次なる参拝地は甲府五山筆頭である長禅寺。
こちらは信玄公の母親である大井夫人の菩提寺でありますが、
それよりも甲府というか山梨で一番の伽藍が整えられています。
それを見ることがとても楽しみです。
所在地:山梨県甲府市愛宕町208
宗派:臨済宗
創建:(伝)天文21年(1552)
開基:大井夫人
開山:岐秀元伯
札所:甲斐百八霊場
【縁起】
長禅寺の前身は甲斐西郡の国人領主である大井氏の領する
巨摩郡相沢に建立された寺院で、大井氏の菩提寺であった。
古長禅寺は真言宗寺院であったが正和5年(1316)に甲斐国おいて
臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。
戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、
晴信(信玄公)らを出産する。
大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、
没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。
創建年代は甲斐国志によれば信玄生母が死去した天文21年で、
甲斐国社記・寺記によれば永禄年間(1558-1570)であるとする。
後に晴信が出家した時、岐秀和尚から機山信玄の法名を贈られたと言われます。
信玄公は大井夫人が亡くなった後、母を開基とし、岐秀元伯を開山に招いて、
現在の場所に新しく長禅寺を開かせました。
信玄公は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、
後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。
なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。
【岐秀和尚】
仏の道は己は何者なるやを問うところから始まる
御自身が何者なるかを問い続けられよ
さすればおのずから 答えをうることが出来るはず
己が見えずして 人は見えず
人見えなくば この世は見えません
何を考え いかなることをしてきたか よくよく考えられよ
さすればおのずから 己の姿見えるはずじゃ
大河ドラマ武田信玄での岐秀和尚のセリフが忘れられない。(一部略)
【惣門】
なんじゃこら~。
でけー。
こんな門は見たことが無い。
これだけでこのお寺の威容が分かるというもの。
惣門の下を車が通ってもいいのか不安であったが、
タイヤの跡があったので、この下を通りました。
【山門】
こちらもまた見事な門でした。
ここから右手に行けば無料駐車場がありました。
【三重塔】
甲府大空襲で伽藍は灰燼と化したので、
現在の伽藍は戦後に再建されたそうです。
三重塔は昭和53年(1978)のものですが、
かなり色褪せてますね。
【庭園】
【鐘楼堂】
【参道】
向こうに見えるのが山門です。
【大井夫人霊廟】
【五重塔】
平成2年(1990)に再建されたもの。
これは見事な五重塔ですね~。
ダークブラウンの色合いが渋くて、
完全にゴマラー好みです。(^^
【新塔】
新しく建てられています。
三重塔、五重塔があるから、
これは七重塔なんだろうか。
もともと現在の三重塔は七重塔にしようとしていたが、
建築技術の都合で三重塔になった経緯があるから、
七重塔かも知れないね。
それにしても庫裏もデカイし、
このお寺の資金力は凄いものがあるね。
檀家さんは大変だ。(^^;
【本堂】
これはまた大きな本堂ですが、
残念ながら見ることもままならない。
【大井夫人墓】
案内板はあるけど、最後の最後で大井夫人の墓です、
という案内板が無い。
だから参拝した時はこの墓が大井夫人の墓という確信が持てなかった。
大姉と刻まれていたので多分コレだろうと思ったけど。
【御朱印】
庫裏に行って玄関にいた方々に御朱印をお願いすると、
「うちは真言宗や天台宗と違ってそんなんしないしない」と、
オッサンに邪険に断られました。
あのオッサンは僧としての雰囲気、品格がまるで無いから、
恐らく檀家だと思うけど、
まるで御朱印をやる真言宗や天台宗をバカにしてるかのようでしたね。(怒)
臨済宗でも大本山を初め、沢山のお寺が御朱印をしていますが、
と言いたくなったけど、言ったところでしょうがないから言わなかったけど。
でも、時間が経てば経つほどムカムカしてました。
要は言い方なんだけどね~。
同じ言葉でも言い方が悪いと反感を買うだけ。
それでは人生において絶対損するよ。
こちらは信玄公の母親である大井夫人の菩提寺でありますが、
それよりも甲府というか山梨で一番の伽藍が整えられています。
それを見ることがとても楽しみです。
所在地:山梨県甲府市愛宕町208
宗派:臨済宗
創建:(伝)天文21年(1552)
開基:大井夫人
開山:岐秀元伯
札所:甲斐百八霊場
【縁起】
長禅寺の前身は甲斐西郡の国人領主である大井氏の領する
巨摩郡相沢に建立された寺院で、大井氏の菩提寺であった。
古長禅寺は真言宗寺院であったが正和5年(1316)に甲斐国おいて
臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。
戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、
晴信(信玄公)らを出産する。
大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、
没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。
創建年代は甲斐国志によれば信玄生母が死去した天文21年で、
甲斐国社記・寺記によれば永禄年間(1558-1570)であるとする。
後に晴信が出家した時、岐秀和尚から機山信玄の法名を贈られたと言われます。
信玄公は大井夫人が亡くなった後、母を開基とし、岐秀元伯を開山に招いて、
現在の場所に新しく長禅寺を開かせました。
信玄公は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、
後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。
なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。
【岐秀和尚】
仏の道は己は何者なるやを問うところから始まる
御自身が何者なるかを問い続けられよ
さすればおのずから 答えをうることが出来るはず
己が見えずして 人は見えず
人見えなくば この世は見えません
何を考え いかなることをしてきたか よくよく考えられよ
さすればおのずから 己の姿見えるはずじゃ
大河ドラマ武田信玄での岐秀和尚のセリフが忘れられない。(一部略)
【惣門】
なんじゃこら~。
でけー。
こんな門は見たことが無い。
これだけでこのお寺の威容が分かるというもの。
惣門の下を車が通ってもいいのか不安であったが、
タイヤの跡があったので、この下を通りました。
【山門】
こちらもまた見事な門でした。
ここから右手に行けば無料駐車場がありました。
【三重塔】
甲府大空襲で伽藍は灰燼と化したので、
現在の伽藍は戦後に再建されたそうです。
三重塔は昭和53年(1978)のものですが、
かなり色褪せてますね。
【庭園】
【鐘楼堂】
【参道】
向こうに見えるのが山門です。
【大井夫人霊廟】
【五重塔】
平成2年(1990)に再建されたもの。
これは見事な五重塔ですね~。
ダークブラウンの色合いが渋くて、
完全にゴマラー好みです。(^^
【新塔】
新しく建てられています。
三重塔、五重塔があるから、
これは七重塔なんだろうか。
もともと現在の三重塔は七重塔にしようとしていたが、
建築技術の都合で三重塔になった経緯があるから、
七重塔かも知れないね。
それにしても庫裏もデカイし、
このお寺の資金力は凄いものがあるね。
檀家さんは大変だ。(^^;
【本堂】
これはまた大きな本堂ですが、
残念ながら見ることもままならない。
【大井夫人墓】
案内板はあるけど、最後の最後で大井夫人の墓です、
という案内板が無い。
だから参拝した時はこの墓が大井夫人の墓という確信が持てなかった。
大姉と刻まれていたので多分コレだろうと思ったけど。
【御朱印】
庫裏に行って玄関にいた方々に御朱印をお願いすると、
「うちは真言宗や天台宗と違ってそんなんしないしない」と、
オッサンに邪険に断られました。
あのオッサンは僧としての雰囲気、品格がまるで無いから、
恐らく檀家だと思うけど、
まるで御朱印をやる真言宗や天台宗をバカにしてるかのようでしたね。(怒)
臨済宗でも大本山を初め、沢山のお寺が御朱印をしていますが、
と言いたくなったけど、言ったところでしょうがないから言わなかったけど。
でも、時間が経てば経つほどムカムカしてました。
要は言い方なんだけどね~。
同じ言葉でも言い方が悪いと反感を買うだけ。
それでは人生において絶対損するよ。
それまで見事な景観に感動してたのに一気に冷めましたしおまけにその住職、ガルウィング系?の高級車乗り回してて「なんだ、所詮、この景色も金持ちの道楽かよ」ってつっこみたくなりました。
けっこうこの道の界隈では塩対応で有名らしいと後で知りましたがいまだに思い出すと腹立たしいです。
さっきたまたま思い出してイライラして検索してたら同じような方がいたのでコメントさせていただきました。すいません。よい旅を!!
そうでしたか。
あの塩対応は本当に腹立ちますよね。
もしあのオッサンが僧だとしたら、
僧だかじゃなく人間として失格だと思います。
ガルウィングなんてランボルギーニしか思い浮かばない。(苦笑)
フェラーリやベンツ乗ってる僧なんてロクなのがいないのに、
ガルウィングなんて俗物の極みじゃないですか。(苦笑)
人はお金を持ち過ぎるとダメになることがよく分かりますね。
コメント有難うございます。
これはもう被害者の会を結成するしかありませんね。(苦笑)
どうやらあの住職は僧としてあるまじき人物のようですね。
禅宗全体は悪く思わないでくださいね。
悪いのはあの住職だけですから。(苦笑)