39Arigatou

バイクのこと、日常のこと、そして病気のこと。

片道2時間、ソロツーリング。

2010-01-31 12:24:44 | Weblog
タイトルから想像される内容とは

よほども遠い暗い気持から走ることに・・・。




23日の通院日に少し復調傾向で24日の午前に或ることで堕ちました。
24日から26日まで食事もせず着替えもせず入浴もせず寝たきり状態。
29日には話の返事もできるようになって夜にはかなり楽になったところ。
その29日の夜に或ることがあり堕ちました。

30日は通院日。

慈恵での3回目の診療日。

ただひたすら死を望む淵に沈んで座って顔を覆った姿勢で朝を迎えた。

死を望むものが病院へ行く理由があるのかと考えたのは幾度目だろうか。

死にたいと願うのだが勇気がなく生きながらえている

死は病気が見せる歪んだ願望か?

気持の底には生きたいと望む本能が残存してるのだろうが・・・

こどもの頃から早く死にたいと強く思いつつ歳を重ねてきた。。。



話が逸れた。



ボクの住まいから病院までは普通、電車で行くのが当然だと思われる。

近くの駅までは健康な脚で10分弱。

しかし初診も2度目の診療もクルマで行った。


家族と顔を合わせたくない(小さな家なので無理なのだが)
家族の顔を見たくない(だから下を向き隠れて息を殺している)
家族と話をしたくない(会話しようにも言葉が口から出ないけどね)
家族と一緒に居たくない(居場所がないのはどこも同じなのだけれど)
クルマの運転が怖い(正常な感覚を失って危険なのは間違いない)
電車が嫌だ(立っても座っても他の乗客もすべてが嫌だ)
歩くのが困難(10分継続して歩くのが辛い、スピードは驚異的に遅い)


そして家族になにも言わず自転車に乗って

なによりも家に居たくない思いもあって走り始めた。



家に居たくなくて出掛けても出掛ける先がなく5分や10分で帰宅してしまうことがある
お店に行ってフラフラしようとも思えない、人混みが嫌なのだ。
この症状の中で興味惹かれるものはない、バイクでさえも・・・
話をしたいと思うにも友人が居ないことに気づいて落胆するだけ。
どこにも自分の居場所がないと嘆いて家の隅で顔を覆うだけ。



診療日であるなら、それは「居場所」である。

来院しなかった患者を気遣って連絡が来ることはないだろうけれども

その日の、その時間に行けば、ボクの名前がリストに挙がって呼ばれる。


ただそれだけのことで病院へ行くことにした。


電車に乗りたくないから駅に向かって走らなかった。


歩くのは困難だけど自転車はゆっくりだけれども乗れる。
自転車とバイクは乗っただけで不思議な気持ちになれる。



なにがなんでも病院へ行きたいわけではない
途中でダメになったら倒れたらいいと思って急ぎもせず力も入れずペダルをこいだ。



何度もなんどもママチャリに抜かれる。
ボクのママチャリと変わりない自転車なのだけれど
一応シマノの6段変速機付き。
子供にも抜かれ
お年寄りにも抜かれ
バイクやクルマでしか走ったことのない風景を自転車で初めて眺めながら行く。




千住を、上野を、秋葉原を、神田を、大手町を、・・・・・



2時間ほどだと思う。
ちゃんと時計を見ていなかったからね。

ゆっくり走りながら西新橋の東京タワーを近くに見える病院まで来たよ。



12時30分の診療予約だったけれど到着して受付したのは11時30分だった。


医師に嘆きの言葉を聞いてもらい
採血をして2週間後の診療予約をして薬局で炭酸リチウムを貰って


東京タワーへ寄り道もせず
銀座へ寄り道もせず
皇居に目を向けるわけでもなく
秋葉原を散策することもなく
家にまっすぐ帰りたくないのに行きたいところもないものだから
こんな様子で誰かを訪ねる勇気もなければ
そんな相手もいるはずもなく
ただ帰路を走る。



行き先も言わずにいなくなったボクに連絡をつけようと携帯を鳴らす相手もいない。

途中、暴走車に殺してもらえないかと切に願うも
3度ほどボクの急停車で安全確認不足のドライバーを救っただけだった。


朝から何も飲まず喰わず。


足立区の国道沿いのコンビニでカップラーメンを食べた。



そして帰宅すると嬉しいことに誰もいない。
どこかへ遊びに出掛けていたらしい。

そのまま寝た。
寝られないから寝た振りだけれど。
遅くなって家族が帰ってきても伏せて返事もしないで



往復で40kmにも満たない距離でした。




意外に自転車で片道20~30km
走りやすい道と条件そろえばいいかもしれない。


最新の画像もっと見る

post a comment