実際に、
脚を踏み入れた「大川小学校」
幼い子供達が通った小学校です。
校内(敷地内)は、
許可を受けた人しか入れません。
校舎が全て津波に飲まれました。
僕は、
5回程、
この中で作業させてもらいました。
ほとんどの児童が亡くなったこの場所。
こう言った写真。
僕が通った東北は、
3.11以降、
あらゆる土地が「こう」だったので。
沢山撮り収めました。
街のほとんど。
どこもかしこも。
こういう景色しかなかった。
信じようが信じまいが、
津波の恐ろしさを無言で伝えて来る大地だった。
こういう土地に行って、
何が出来るとか?
考える以前に。
考える前に行っちゃった。
最初は、
洋服の数枚の着替えと、
予備と飲料水(ペットボトル)だけ多めに持って。
それと?
複数の軍手とビニール手袋を多目に。
安全靴もだ。
何を踏むのか?
わからないから。
最悪って?
そんなんじゃ「最悪」って言わないけれど。
飲まず食わずで数日間なら?
耐えられる体だって僕は自信があったから。
違う意味で、
ボクシングの減量が経験として活きてたと思いたい。
実際?
そんな事すら、
クソだったけどね。
現地で補給出来ない事も?
想定内。
by おやじボクサー
どこででも眠る自信あったのだけれど、
場所よりも、
頻繁な地震が随時続いていて、
普通に震度5以上の揺れが?
日常茶飯事だったのは?
かなり堪えた。
頻繁に携帯が鳴るし、
あの「危険です‼」「危険です‼」ってメッセージ?
それも心臓に悪かったと思うよ。
余計に怖くなったもの。
ま、
そもそも。
そんなんでビビってるほど。
小心者だったって事です。
そんな小心者ですら?
居ても立っても居られなくて、
宮城県へ出してしまった。