おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

子供の頃・・・戦時中の写真を教科書で見てた以上に、、、、別の意味で精神的に衝撃が大きかった「3.11」の東北。

2020年03月19日 00時05分38秒 | 3.11ボランティア 茨城県水戸から宮城県11年間参加<<社会福祉協議会>>

 

実際に、

脚を踏み入れた「大川小学校」

幼い子供達が通った小学校です。

 

校内(敷地内)は、

許可を受けた人しか入れません。

校舎が全て津波に飲まれました。

 

 

僕は、

5回程、

この中で作業させてもらいました。

ほとんどの児童が亡くなったこの場所。

 

 

 

 

 

 

こう言った写真。

僕が通った東北は、

3.11以降、

あらゆる土地が「こう」だったので。

沢山撮り収めました。

 

 

街のほとんど。

どこもかしこも。

こういう景色しかなかった。

信じようが信じまいが、

津波の恐ろしさを無言で伝えて来る大地だった。

 

 

 

 

こういう土地に行って、

何が出来るとか?

考える以前に。

考える前に行っちゃった。

 

 

最初は、

洋服の数枚の着替えと、

予備と飲料水(ペットボトル)だけ多めに持って。

それと?

複数の軍手とビニール手袋を多目に。

安全靴もだ。

何を踏むのか?

わからないから。

 

 

 

最悪って?

そんなんじゃ「最悪」って言わないけれど。

飲まず食わずで数日間なら?

耐えられる体だって僕は自信があったから。

違う意味で、

ボクシングの減量が経験として活きてたと思いたい。

実際?

そんな事すら、

クソだったけどね。

 

 

 

現地で補給出来ない事も?

想定内。

 

 

 

by おやじボクサー

 

 

どこででも眠る自信あったのだけれど、

場所よりも、

頻繁な地震が随時続いていて、

普通に震度5以上の揺れが?

日常茶飯事だったのは?

かなり堪えた。

頻繁に携帯が鳴るし、

あの「危険です‼」「危険です‼」ってメッセージ?

それも心臓に悪かったと思うよ。

余計に怖くなったもの。

 

ま、

そもそも。

そんなんでビビってるほど。

小心者だったって事です。

そんな小心者ですら?

居ても立っても居られなくて、

宮城県へ出してしまった。

 

 

 

 

 

 



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