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さよならは 言わない

2009-03-18 17:54:53 | 邦楽
小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本のニューミュージックを代表するシンガー、シンガーソングライター。元オフコースのメンバー(リーダー)でボーカル。株式会社ファー?イースト?クラブ(FAR EAST CLUB INC.)代表取締役社長。東京都渋谷区に在住。身長172cm。血液型はA型。



概略
将来、建築家を目指していた小田は高校時代から同級生らと続けてきたフォークグループ「ジ?オフ?コース」のアマチュア音楽活動の有終の美を飾るために「ヤマハ?ライト?ミュージック?コンテスト」に出場した。しかし、自信をもって臨んだにもかかわらず2位になったことで、プロの道を歩むことを決める[1]。

数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。

オフコース時代からソロ活動は始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後に活動を本格化させる。特に、1991年のトレンディドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌「ラブ?ストーリーは突然に」が大ヒットし、収録シングル『Oh! Yeah!』はオフコース時代にも達成できなかった「オリコンシングルチャート第1位」と「シングルのミリオンセラー」の達成を一挙に成し遂げ、それ以降の曲もヒットを重ねている。

CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ(#テレビでの活動の節を参照)。また、音楽以外の分野では映画やドキュメンタリーの制作なども行った。


来歴
神奈川県横浜市金沢区出身。
金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育つ。横須賀中央のバイオリン教室に通っていた。実父はすずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章受賞。
関東学院六浦小学校 - 横浜市立八景小学校 - 聖光学院中学校?高等学校 - 東北大学工学部建築学科 - 早稲田大学大学院理工学研究科(建築学専攻、池原義郎研究室)修士課程修了。
1969年 11月2日 第3回「ヤマハ?ライト?ミュージック?コンテスト」(LMC)全国グランプリ大会(新宿厚生年金会館大ホール)に東北代表として出場し赤い鳥に次いで、第2位となり、最優秀歌唱賞を受賞する。
古今亭志ん生のファンである。
2008年11月、京浜急行金沢文庫駅の駅メロに「MY HOME TOWN」が決まった。
2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。


[アーティスト名] 小田和正
[タイトル] さよならは 言わない
[CD番号] FHCL-7007
[発売日] 2009-02-25



1 さよならは 言わない
2 さよならは 言わない (カラオケバージョン)




http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110010010001011



Juicy Extacy

2009-03-18 10:54:19 | 邦楽
Little Non(リトル?ノン)は、日本の音楽バンドである。オタク系バンドの急先鋒として知られる。ランティスに所属している。


メンバー
ノゾミ(女性 / ボーカル / 7月13日生まれ)
シュン(男性 / ギター / 8月31日生まれ)
親分福田(おやぶんふくだ / 男性 / ベース / 4月9日生まれ)
大生伊藤(だいなまいとう / 男性 / ドラム / 8月16日生まれ)



概要
2000年6月15日に結成される。ライブハウスデビューは、2001年4月22日とされる。2回目のライブハウス登場は、約1年後の2002年4月14日であった。2002年?2003年のライブハウス登場回数は、確認できたものだけで、それぞれ5回?3回である。平行して原宿などで、ストリートライブを実施する。

現在のメンバーとなったのは、2003年であり、翌年の2004年から、活動状況が一変する。2004年2月15日のライブ以降は、ほぼ月1回のペースでライブハウスへ出演して、活動が本格化される。さらには、2004年3月27日から、夕刻の秋葉原を起点として、ストリートライブを開始する。当初の集客は少なかったが、急速に客足を伸ばす。その後は、日曜の秋葉原歩行者天国を利用したストリートライブとして、時間帯を昼?夜の二部構成に変更したところ、100人を超える観客が集まり、大盛況となった。同時にライブハウスでも、徐々に観客動員数を伸ばす。

秋葉原発で、初の本格的バンドと言われるが、いわゆる「オタク系」「アキバ系」「萌え」などの要素が、特徴としてみられるだけではなく、そういった要素を巧みに消化して、上質のポップ?ロック?歌謡曲で、独特の世界観を創り上げている。

こうした活動の方向性?姿勢が、一般への露出の増加に繋がったのか、マスメディアの注目も集め、いくつかの雑誌やウェブサイトに紹介記事が掲載される。さらには、2005年4月-9月まで、ノゾミの4コママンガの連載があった。また、2005年5月1日?5月15日には、秋葉原の空ビルを利用した無料ライブを実施する。2005年5月22日に渋谷 RUIDO K2にて、初のワンマンライブを開催した。

2005年6月1日には、とらのあなより、自主制作CDを発売する。このCDは、とらのあな秋葉原店とインターネット通販にて、購入が可能だった。

なお、ここまでの活動は、あくまでアマチュア活動になり、音楽事務所などに所属してのインディーズ活動は、全く行っていない。従って、この頃の活動は「ストリート時代」と、呼ばれている。

ストリートライブの実施が困難という現状を鑑み、現在は主に日曜夕刻?プロモーション活動後に「秋葉原お掃除大会」を実施している。これまでも、集うファンと共にストリートライブ後は、会場周辺の清掃は必ず行って来たが、徐々に規模を拡大する。

そして、2005年10月26日には、初のシングル「あきらめないで」を発売して、メジャーデビューを果たした。初登場のオリコン週間シングルチャートで、28位を記録する。また、セカンドシングル「サンバdeサンタ!」は、初登場オリコン週間シングルチャートで、30位を獲得した。

2006年4月26日には、初のアルバム「桃色夜行列車」を発売する。同時にネットラジオ「Little Nonのレッツゴー☆ハッピー」の配信も開始する。

2007年4月8日からは、ラジオ関西にて、初の地上波ラジオのレギュラー「Little Nonのレッツゴー☆ハッピー ~秋葉原万歳編~」が、放送開始になる。これをきっかけとして、積極的に関西方面のライブにも出演し始めており、活動範囲を広げている。

2007年10月12には、初の両A面シングル「ハナマル☆センセイション / 愛情◎エデュケイション」を発売して、所属レコード会社を移籍した。



[アーティスト名] Little Non
[タイトル] Juicy Extacy
[CD番号] LHCM-1052
[発売日] 2009-02-25



1 Juicy Extacy
2 Dreaming,Dreaming,Smiling
3 Juicy Extacy (Instrumental)
4 Dreaming,Dreaming,Smiling (Instrumental)



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