舞斗の正義禄

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人体形体宛ら形態携帯

2007-02-08 00:20:58 | ニュース
携帯契約数一億人突破!


遂にここまで来よったか。ちょっと前までは7000万人だか言ってたけど、まさかこんなに早いとわ・・、おじさんちょっぴり驚いちゃったよ。んふふしかしこれで私の存在がどんどん貴重になってゆくわい。なにせこの期に及んで携帯を所持していないのだから。いいねいいねこの感覚、周りからの視線・・「こいつ携帯も持ってないのか」と言いたいのならとことん言うがよい。何を言われようが、私の頑固さには着いてこれまい。「友人出来づらいじゃん」と言われてもそれがどうした。「何かと便利だべよ」とかは言われずとも百も承知の上で所持せぬのだよ。「緊急時どうすんだ」と仰られても、んなものは自身の力で振り切ってやる。「他人が助けを求めてる時周りがあんた一人の時はどうすんだ」→近隣宅へ呼び込む、公衆電話がある場合は即℡、自力で助ける、車を止める、自転車を呼び止める、歩行者を呼び止める。「お前それで会社入ったらやって行けるのか?」駄目だったら駄目、不持でも可なら可だった。それだけのこと。「一億二千万人が持ってたら?」何度も言わせるんじゃねえ、それがどうした。「あのこの時携帯があったらなぁ~、何て思ったことはあるんじゃないのかね?」ある。だからとて何故持つ必要がある? 戦後日本経済を支えてきた今の団塊世代の人々はそんなもの無くとも生きてこれた。「カスが! 今と昔じゃ時代も思考&指向も違うだろうが!」携帯を持たずしてもし私が死んだらそれまでの人生だったということ。だが持ってないからといって早々に時代遅れとして死んで行く訳ではない。人生の目的とは最後まで生き抜くこと。金稼いで死のうが、目一杯な生活で死のうがどちらも変わりゃせん。ただ若くして餓死する等は絶対にしてはならない。「んじゃさっさと逝けば?」五月蠅い黙れ。

何時もの癖でまた論点がずれてしまった・・どうにかならないものかこの考察の仕方。とりあえず私が携帯を持つには幾つもの壁をどうにかせねばなるまいにということなのだ。言うておくけど、携帯持つ人を非難している訳ではない。必要なのだから所持している訳だし、その考え方は全くの普通。私の考えが他と違う、ただそれだけのことだ。

持ちたい人はどんどんどんどん持つがよい。その中で持たないというのは私にとって愉悦にも値するであろ。 ふふふ・・

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