雑記zaki

日々の雑記

久々仏教に舞い戻ってきた

2022-05-14 11:27:00 | 日記
ここ何ヶ月か強烈にキリスト教に傾倒していて、それは「役に立った」

一番役に立ったと思ったのは、本当にご都合主義だが、「自分」にとって良くないと思われるようなことでも「神」はそれを望んでおられるとか、何か自分が望んだことは神がその時と場所を都合よくしてくれるという考えである。

で、実際そうなのである。例えば人間関係において、これは不思議なもんでちょっとでもなんか微妙だなと思う、この人嫌だなと思うような人をどうにか遠ざけたいでも傷つけたくないというようなアンバランスさ(特に僕の場合は異性関係など)をどう解消していいか悩むことがあったのです。
でもその人間関係も神を通して考えるならば、必要な時私に会わせ、必要な時に私から去らせるのだろうという考え方に変わったように思う。そうすると、本当に用が済んだみたいにいなくなったりするもんである。その時寂しいと思いつつ安心も感じたりしているのである。

それを人生まで拡大するならばあらゆる困難も苦悩もどこかのタイミングで必要な時があるのだろうと感じる。
しかし一方でこれは、人生における困難をただ奴隷のようにキリスト教は追認しているだけなのでは?という批判は当然にあるだろうと思われる。
けれども追認してることは確かでも、そう言って「やり過ごす」ことはテクニックの一つであると感じる。
困難に対して戦って戦って疲弊して最後には自ら死ぬような事よりは幾分かマシである。

ここまで長々とタイトル詐欺のようにキリスト教について、あくまで僕の知る超浅いレベルのキリスト教に関して語ってきたが僕は元々仏教にシンパシーを感じていた。
それで最近、YouTubeで南直哉さんと宇宙飛行士の人の対談の動画を見たのである。
そこでやっぱいいなぁと思ったり、関連動画でマインドフルネスについて語るみたいな動画があり、その中でネルケ無方というドイツ出身の禅僧(曹洞宗)がマインドフルネス批判をしていて本当にその通りと思っていました。
マインドフルネス批判は僕は著名な方だと苫米地英人あたりがしていたのを本で読んだ(確か成瀬雅春との共著)
結局は、より大きなお金を稼ぐため、効率よく働き頭を動かし生産性を高めるためにマインドフルネスというのは、煩悩の塊なのである。たしかにそうだ。
煩悩を強化してよりうまく競争しよう、より良い生活をしようというのはやはり禅的ではない。
じゃあ禅の僧侶は何のために坐禅しているのかと問えば、多くの人は悟るためだというかもしれないが坐るために坐っているのである。
それは何かの役に立つとか、坐禅をすることによって何かが得られることを期待しないでただ坐るという事なのである。
それが結果的に集中力がついたとか、現実の問題に対処しやすくなったとかそうなったとしてもそれを目的にしてはいけないのである。その時点で禅ではない。

というわけで、ネルケ無方さんの本を読んでみようかなと思う。
外国の方が見る仏教というのにも何かしらヒントがあるやもしれぬ。

結局タスクシュートに戻る

2022-05-08 18:41:00 | 日記
なんだかんだ色々やってみるけどタスクシュートに戻る。
しかしスマホ依存からの脱却ってつくづく難しいなぁ。
結局使わない手元に置かないみたいなゴリゴリの方法よりもタスクシュートを使う方がなんだかんだで上手くいくのよね。
逆に言うとタスクシュート的でないから、スマホ依存するんだと思う。
時間が際限なくあるとか、目の前の面倒をキャンセルしたいという意識が働いてタスクシュートから逸れるが故にこうなる。
んーもう少し練らなきゃなぁ。

これだよこれ!と思えた千葉雅也先生のツイート

2022-04-29 00:27:00 | 日記


ほんとこれだよ!と思った。
ちょうど昨日の加速主義にはあんまり賛同しないという話はまさにこれだと思う。
否応なく進んでいく。人間が資本主義を使うんじゃなくて人間が資本主義に使われてしまう。
で、加速してその先で崩壊して良くなるっていうのは楽観的じゃないのかなと思ってしまうのです(ここには宮台先生のもっと深い理由があるのだとおもいますが)
加速主義のその先で良くなるのかな、という疑念は僕の中で拭えない。
もっと悪くなることもあるんじゃないかなと思う。もちろんそれは避けられないわけですが。

とうとう宮台真司の本を読む。クズにならない為に

2022-04-27 19:35:00 | 日記
千葉雅也さんと宮台真司さんの対談記事を少し読んだけど、千葉雅也さんが宮台真司さんの加速主義的なところには同意できないってところが僕も同じだなと思ってちょっと安心した笑
僕も加速主義的なところはあんまりよく思っていなかったりする。

しかし、宮台真司の本を読んで思ったがやっぱり社会で生きるということについてこれだけ、確かに説得力を持って語れる人というのが現実としてどれだけいるのだろうか。
ライフハック的なつまみ食いではなく、深いところまで、だからどう生きるんだという鋭い切り口。そして、一切逃げない。性愛の話もするし、いろんな話をする。

今この記事を書いている現在、宮台先生はツイッターフェミニストに絡まれているが、返信もとても一貫していて論理性があって根拠があって裏打ちされている。
そして、誰もかれも全くまともな反論ができずにいる。
いやすごいなと思った。そして僕もまたクズだった部分を自覚することができて、宮台真司によって治療されたのかもしれない。

たまには厳しくされることも愛情なのかもしれない。
いつかどこかで会いたいな〜と思わせる人だ。

失言は謝ったら許す社会じゃダメですか、一発レッドカードで職を辞さなければならない恐怖社会

2022-04-22 22:34:00 | 日記
現代思想入門の中には、今社会はどんどん管理や秩序に向かっていると書いてある。

吉野家が炎上していたが、確かに言葉が悪くしょうもない発言ではあるが、いちいちこれを辞めさせなければならない社会は怖い。
誰も具体的な被害を受けているわけでもないし、法も何か犯したわけでもない。
最近言葉に厳しすぎるんですよ。実際の犯罪よりも厳しいのではないですか。

たわわとかもそうですけど、実際の被害を防いだり減らすことを主眼におくべきであってどんなに広告を燃やしても、失言をした人を辞めさせてもそれによって何か達成されるとは少しも思えないんですよね。

そしてその正義感に酔っている人というのは自分は清廉潔白に生きていて絶対に失言などしない、他人を傷つけないという自信に満ちているのです。

そんな人間いないでしょ、みんなどっかしら誰かに失礼なこと言って傷つけたりしてますよ。
それをいちいち掘り起こして職を失するまでやられる社会がいいんですかね。

僕はそんな聖人君子ではないんで、本当に怖いですこの社会が。