【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

東日本大震災から1年経過

2012年03月13日 23時53分22秒 | 一般
毎週の記事の関係で出遅れたが、日曜日に1年を迎えた。
昨年のその関連した出来事や身近なところを簡単に振り返る。
冒頭画像は地震マップよりキャプチャした本震の震源と震源域。
沖縄以外の全土とロシア・中国・韓国・北朝鮮の一部までも揺れたのだった。

あの日は金曜日。
娘は学校に行っていて、6年生を送る会とか卒業式の練習をしていた。
おそらく時期的にそんな頃。
私は接骨院で治療をしてもらい、昼食を取って1時間経ったかどうかの頃だった。

テレビはミヤネ屋を見ていたが、石原慎太郎の記者会見があることでの
中継が入っていて、大阪発信の全国放送だが、関西ではなく関東での
ライブ中継を行っていたのだった。
その際に緊急地震速報がテレビからなって、
揺れが大きいと思って、逃げるよりはそばにある家具が
自分やメインのPCに倒れてこないように支え始めたら揺れだした。
スタジオは地震速報がないのでわからないが、
記者会見現場は記者らの携帯などがキャッチして入ったのでわかってて
その後揺れ始めたのだから、戦々恐々とその揺れがどこまで大きくなるのか
黙って見守るしかなかったのだ。
ところが大阪は全くわからないので、中山さん都知事はまだですか?
みたいな全く温度が違うことを言っていて、
何ですか?地震ですか?中山さん、会場は揺れてるんですか?と
ミヤネさんが問うと、東京も震度5強の揺れに襲われた。
その映像が大阪にも伝わって、画面に映る人々が揺れて頭を伏せたりして
机や照明も大きく揺れたので、これは大きな地震があったんだと解った。
そして中継は不可能だと一旦スタジオが引き取って、
東京では大きな揺れがあったようですが、大丈夫でしょうか…。
のように言ったと思ったら、ついに大阪も揺れたのだ。
あぁっ!!こっちでも揺れだしました!震源はどこなんでしょう?
おそらく震源付近は相当大きな揺れを観測していると思われます!!
のようなことを宮根さんが話していたかと。

私はその時倒れる家具を体を斜めにして支えていて、
娘の心配が頭を大きくよぎったが、学校にいるので多分大丈夫だろうと
(大人が大勢居るので)それなりに思ったが、
お袋は一人暮らしなので足も悪いし心配でTELを掛けるが、
既にその時点で不通。発生から5分もしたかどうかの頃だ。
それがどうにか安否を知りたいと、携帯と固定電話のダブルで
掛け捲っていたが、40分程度全く繋がらず、
もう限界だとして、携帯でのみ掛け続けようとして
娘を学校に迎えに行こうと思ったら、
ベランダから外を覗くと、丁度同じ登校班の子がお母さんに迎えに来られて
うちの娘も一緒に連れて帰られてきたのを目にして、
帰ってきて良かったと思ったと同時に、迎えに行ってあげられなかった
罪悪感や敗北感みたいな自分の遅い対応に嫌悪して落ち込んだが、
やはり大人が多くいる学校と、一人だけのお袋とでは
お袋の安否のほうが気がかりだとは間違いないとは思う。

そんな娘が階段で上がってくるようにそのお母さんに言われ、
その足で上がってくる途中に、2回目の5強が襲ってきた。
1回目よりも大きかった印象だ。
でも1分も掛からないで上がれるのに娘が全然上がってこない。
非常階段は比較的横が低いので、揺さぶられて落ちたのか!?
長かった揺れが収まって慌てて玄関を飛び出たところ、
他の部屋の奥さんと、赤ちゃんを抱える娘さんに
家に入る前に、壁につかまって安全を確かめてからにしなといわれ
そのようになっている姿が目に飛びこんできた。
そして私に手招きされ、その母娘にお礼を言って家に入ったが、
帰宅時に友人とのときに見た飄々とした態度は
ただの強がりであって、私に抱きとめられる瞬間は泣きべそをかきだした。
それもそうだろう、もう1軒の同じ階の部屋は、他の家族がいたのか
わからないが、20代のお姉さんが玄関を一定の隙間を開けて、
玄関に近い部屋のドア付近でたたずんでこっちを見ていた。
その目は間違いなく怯える小動物のそれだった。
一応成人した人がこうなのだから、子どもの恐怖は計り知れない。
東京ですらそんなのだから、現地の子どもはどれだけ恐ろしかったか。
でもそれは恐怖の序章だとは、まだ誰も理解できていなかった。

その後頻発する地震速報と揺れで精神的にも皆が参った。
余震においては被災地もこっちも変わらなかったと思う。
ただ大きく違ったのは、倒壊した建物などで潰されてしまった人がいて
その救出が急がれるところだった。
でも恐怖の大王は静かにゆっくりと近づいていた。津波という。
昔には大津波があっても、近代的な堤防で防げるのではないか?
これまでもそこそこの地震があっても届く津波は大したことなく
昔の言い伝えも風化してか、早い段階で避難していた人は
随分と少なかった印象。それでも防災無線などで必死に津波の襲来を
各地が告げていて、電源が既に消失した地域もあったが、
東日本の全てとも言える沿岸に大津波が押し寄せ、
遅ればせながら避難を開始し始めた逃げ惑う人や車を飲み込み
生活に使っていたもの全ても瓦礫というごみにさせてしまうほどの
未曾有のパワーで町を破壊し、人の命をも奪っていった。

残念なのは遠くに行きたい気持ちは解るが車に乗って大渋滞。
1台が車を捨てて逃げれば後ろは進むはずもない。
この場合は足で山に逃げるしかないことが出来なかったこと。
そして津波の避難場所は海と真逆の高台だと認識できず、
大川小の子どもは教員の間違った選択によって大勢の命が
その結果失われてしまったこと。
生きるために必死で逃げるんだという作業を行っているのに
それが仇になって死んでしまったなんて、無念すぎる。
やはり我々日本人は四方を海に囲まれた土地に住んでいるので
海沿いに住んでいなくても、こういうことは知っていないといけない。
それを強く思い知らされた。
だって転勤などでいろんな馴染みない土地にも行く可能性もあるんだし。
そして逆に大雨のときは土砂崩れの可能性があるので山は避け、
洪水の通り道になるだろう谷間は避けた場所が適切か?
でも大震災の爪あとがあまりにも大きすぎて、
大雨のことはすっかり忘れて、被災した人も、マスコミも、
危ないから高台に高台にとだけしかいわない。
災害は津波だけじゃないので、総合的に防災を意識した街づくりを
してほしいし、有識者がこういうことをしっかりと声にし広めて欲しい。
そして原発の電源が確保できなくなり、暗黒大魔王が降臨の気配。

津波は水害の後に、火災を起こし、春先でまだよかったものの
夏場だと追って衛生的なバイオ災害ももっと発生していたかと思う。
それが少なかったのはせめてものことだったが、
それも日を追うごとに発生してくる。
だが津波が町をそぎ取るように破壊したのに、
原発の暗黒大魔王が牙をむいた。メルトダウンだ。
政府の誤報なのか嘘なのかは今更問わないが、
水素爆発で大丈夫だといったそれは、チェルノブイリ広域には
ならなかったものの、深刻度のレベル7は最終的に同じまで並び、
実際放射性物質は北海道の道南から、関西にまでも飛散し、
避難区域も円で考えられたが、実質風向きの関係か、
北西に多く飛散し、時間帯によっての風向きの変化で、
関東方向にも2種類の風向きの時に、両方で吹き込んだ千葉の柏や
流山には高濃度の放射線物質が飛来した。
横浜でもそこそこの濃度が検出され、東京も東側ではそれなりに
飛散してきたのだった。
正直言ってチェルノブイリは、そんなに技術もないソ連が
国が大きいからと勇んでやったが失敗したので
技術は世界のTOPレベルのわが日本では、原発の事故なんて
よっぽどのことがない限り起きないと高をくくってた。
安全神話といわれていたが、そうは思ってなくて、
日本の技術がフェイクだったとか、鍍金がはがれた気がして
それが凄まじく虚無感があって、これまで信じていたものは
なんだったんだろうと、何を信じていいのかわからないほどの
落胆した気持ちにさせられたのだ。

ただ、日本の技術はやはり素晴らしいしフェイクじゃない。
2つの落とし穴があったのは、よっぽどのことが起きたのだ。
日本は有数の地震国なのだから、そういうことは起きることを
前提で考えていないことがいけなかった。
よって原発事故は、地震をきっかけに津波が引き起こした
人災であるということかと。
本当なら人災ではないと、東電も組織は嫌いだが働く人は
私らと同じなので、その人たちを肯定してあげたいのだが、
残念ながら現場の人は作業に携わっていて、
運営というか稼動させるのは上層部の役割だから、
その上層部が未曾有の事態を想定して緊急電源を1機に付き
いくつもの複数確保して、地中やら相当高い場所やら、
いろんな災害を想定した場所に設けてなかったことが人災の部分で、
このこのぐらいでいいだろうという、最悪の事態という
リスクヘッジが大幅に甘かったことと、
こういうことが起きるだろう災害は起きないと勝手に過小評価して
決め付けていたことが最悪のシナリオの始まりだ。
大体しょっちゅう起きるレベルだったら、それは大災害じゃない。
しょっちゅう起きるんだから日常的なマイナートラブルで
すんでしまうような処理や仕掛けが打てているはずだから。
よって緊急事態は滅多に起きない大災害でもたらされる。
それは稼動した翌日に起きるかもしれないし、
老朽化で終了する数十年先の当日かもしれない。
それは解らないんだから、稼動した瞬間にとんでもないことが起きると
想定して作っていかないと、建築物にしてもそうだけど、
想定外だったなんて言い訳にならない。
そんなことを思ったのだった。

そうしたら巨大組織の上層部のリスクヘッジの甘さと
政府のいい加減な無責任さが槍玉に上がる中、
スーパーなどに行くと、米がない、水がない、お茶がない、紙がない、
カップ麺がない、日配品やレトルトや缶詰がない、ガソリンもない、
放射能汚染された水道水は死を招くとして、以下は解るのだが
特に粉ミルクを飲む乳児が要る家庭はパニックのように水を買い求めた。
それに乗じて自分だけ助かればいいという利己主義者が
こぞって必要以上の買占めに走った。
あの数日後、ディスカウントで普段あまり売れない美味しくない
カップ麺のケースを小脇に抱えて、買占め成功とばかりに
ドヤ顔していた40前後の女性をみて、震災の前日に米を食い尽くして
普通に米がないので買いたいだけの我が家はどこに行っても米が無く、
見たくもないそんな醜い人間の本性を嫌というほど見ることになった。
もっとも買い物に来ていない人も多くいるので、
利己主義者は一部だとは思うけど。
そしてその女性を睨むことはなく、あまりにも哀れで、
どうしてこんなに自分だけよければいいと考えられて、
その買占めによって、もしかしたら誰かの命が奪われるかもしれないのに
それでも食わない余分な数までも買って帰るのかと思ったら、
あまりにも私が眉を下げた悲しい目で見ていたのだと思う。
その人が私の視線に気が付いて目があった直後に、目をそらし消えていった。
その人のその態度と表情はトラウマ的に強く焼きついている。
顔は普通の可愛くもブスでもない人だったが、凄まじく醜く見えたので。
なんか怖かったし。人間ではないのか?と。

そうこうしていると、栄村で大震災翌日に6強が起き、
数日後には富士山の袂でも同等の地震が起き、
これはもはやこの世の終わりなのかとも思った。
実際震災の最初の5強が来たときは、7よりも全然小さいのに
この世の終わりのきっかけかとはやはり感じた瞬間もあったのだ。
そして学校も金曜だったことで、土日を挟んで月曜から通常。
一応各家庭の判断で休んでもよいということだったが、
数名以外はみんな来ていた。大人もみんな被災地以外は普通にしてたし。
そんな数日後に原発が爆発して、東北・東京電力管内で一部停電。
電力が足りないとして、あの計画停電が始まったのだ。



これがそのときの部屋と娘の様子。
娘は黒で顔出ししないから修正してあるが、
明かりは全て失われ、ストーブとローソクのみ。
電気のありがたさや明るさがどれだけのものかと体感できたことは
単純に学習として収穫だったが、語弊も招いた感じに不公平感が
凄まじくあって、千葉でも津波が来た旭市や凄い液状化の
TDLなんかがある浦安なども計画停電の対象となり、
森田健作などが被災していて停電も起きますってどういうことだと怒り、
その辺は対象外になったが、都心部というか、東京の大半は無停電。
足立区は東京扱いされていないか、或いは東京は停電しないで
他の関東にだけ押し付けているという声を出させないための
あたかもアンドロメダのようにいけにえにされかのような、
或いは魔女裁判とでもいうような扱いをされた感じがした。
それでいて値上げのお願いだって。
計画停電した地域は据え置きだろう?普通。
あの節はありがとうございましたって。



だってこんなに真っ暗だったんだもんな。
地域外は電気が来ているから高層ビルの明かり的なものは遠くに見えるけど
いくら夜でも、仮に雨降りの新月の夜でもこんなに黒くない。
暗いじゃなくて、もはや町が黒い。とにかく漆黒の闇だったよ。
こういう状況が多くおきれば、被災地にも現れたように、
犯罪者がうろつくよ。物取りで済めばまだましかもしれないが、
もしかして命も奪われることも。
そういうところも停電には間接的に含まれると肝に銘じて欲しいし、
個人としては、今時のジェットポンプの給水設備は、
停電後は圧力が掛からなくなったときに、圧が下がる分逆流し、
一定の圧と流れが決まってたので起きなかった、
水道管内部のサビなどの汚れを剥がしまくって、
停電のたびに無駄に水をやたら捨てまくっていたこともあったので
勘弁して欲しい。単純に勿体無いし、水道料金を東電は保証してくれない。
勿論願いでたこともないが。そういうこともある。

1年経って、徐々に被災した人々は顔を上げて立ち上がって、
素晴らしかった普通という日常を取り戻そうと、
二度と帰ってこないものは諦めて、歩き出している。
でも追いつかないものが多々あって、買占めのとはまた別な利己主義。
瓦礫の処理は放射線が出るからお断りという地域ばっか。
そんなもん宇宙からいろんな宇宙線も注がれてるし、
先日大きな太陽フレアがあって、極小な影響があるものも
地球には降り注がれたが、どうして誰も文句も不安も叫ばない!?
・・・知らないから叫べないんだろ?瓦礫は知ってるから
嫌だって言うんだろ?何が嫌で、自分の土地で処理されると
何がどうなるのか明確に言って欲しい。証明を持って。
それができないやつは反対なんて出来る立場にない。

ある被災者の方が、昨年の漢字一文字は「絆」でした。
でも私には、一番薄っぺらい絆に感じましたのように言ってた。
戦後の向三軒両隣のような、隣組の接触や感覚、
そして自分ちも食うものに困っているのに、
誰かが物乞いに来たら、わずかでも分けて差し上げる。
その後自分たちも困るのに。
これが日本人の本当の美徳だよ。
キリスト教の右の頬を打たれたら左のほほもみたいに、
あなたが痛いなら、私も痛みを一部被ろうじゃないかという。
それが相互扶助というもの。

相互扶助はボランティアの基本理念。
ボランティアを参加することで自分はいい人だと思い込んで、
こういうことに反対している人が居たら最低だな。
ボランティアも発祥は十字軍のボランタスだし、
マスターベーション全開で行ってはいけないもの。
確実に相手ありきで、過剰な手出しもご法度という、
一定の学習と心得がないと出来ないもの。
なので本物のボランティアがもっと増えて欲しいし、
そこから心をもっと育て、その心を若い世代に、子どもに伝えて欲しい。

原発は30~40年は全てが終わったとは行かないだろうから、
これはそれだけの時間は仕方がない。
でも避難地域以外は、もっと速度を上げてやれることは沢山ある。
それをスピード化できるのは、政治家の間違いない提案と決断と実行。
そして私ら一般人の思いやりと行動力と団結力。
それに掛かっていると思う。
何も出来なくても、出来る何かはある。
改めて募金もしてみるとか。
芸能人なんて相当な額寄付している人も居るし。氷室ックとか。
・・・これも金ばかり集まっても、使え道がわからずたまったままって
最低なおちが今付きかかっているけど、それをしないように。
もしそれを横領なんてことがあったら、即刻死刑だな。それは。
そういうことにもなりかねないからさっさと処理掛けた方がいい。

なんにしてもハンドインハンドって大昔アリスが歌ってたけど、
今こそそのときだと思う。

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