理由は様々ありますが、一つには、言葉に対する感性が40年を超えるサラリーマン生活の中ですっかり錆び付いてしまったと感じたことでしょうか。
若い頃は俳句のような定型詩には若干アレルギーもあり、現代詩を読みふけっていました。ある時、装丁に惹かれて日夏耿之介の詩集を読んで、日本語の音韻の深さを改めて感じましたし、教育実習では、正岡子規の講義を受け持ったことが心の中に心の中に長い間沈潜して熟すのを待っていた・・・なんてこともありましょうかね?
そんな中、昨年、知り合いに誘われ俳句初心者からの勉強会に参加してみました。公民館の高齢者サークル・・・なのかもしれませんが、勉強していくとなかなか難しい世界ですね。5-7-5に言葉を句切って出来た気になったり、単なる説明文だと言われたり・・・毎月1回、わずかに五句だけ提出して批評を頂きますが、参加者同士の選句でも厳しい評価が多い状態は1年経っても変わりません。
ただ、この勉強会に参加した者の中から継続的に俳句に親しみたい人が8人句会として継続することになりました。指導者は「草萌」という句誌を出しているメンバーの1人です。
で、今月提出したうちのまともな一句
盆の朝豆腐一つの供養かな
認知症の母、30年経った連れ合いの命日も完全に忘れ、遠方の寺から連絡のあった施餓鬼の日の朝、せめて仏壇に供えるもの・・・二つ繋がりのパック詰めの豆腐の一つ。
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