ラヂオ惑星モルファス

ナナ・ムスクーリ・・・À force de prier



「ユーロビジョン・ソングコンテストで歌われたフランス語の歌」の流れ・・・「フレンチポップス」と称される入賞曲を追っています。
1963年に入りましょう。この年はフランスのポップス界が相当な力を入れてこのコンテストに臨んだ年です。

フランス代表にアラン・バリエール(5位)、モナコ代表にフランソワーズ・アルディ(5位)、ルクセンブルグ代表にナナ・ムスクーリ(8位)、スイス代表にエスター・オリファム(2位)。当時ポップス界で売り出し中の歌手を起用し、フランス語で歌わせたのです。このうち、ナナ・ムスクーリの国籍はギリシア、エスター・オリファムの国籍はイスラエルでした。

ナナ・ムスクーリは1961年にドイツで「Weiße Rosen aus Athen」(アテネの白いバラ)という曲をヒットさせています。
エスター・オリファムはイスラエルで「エスター & アビ・オファリム」というグループを結成していますが1960年にはアメリカの映画にエスター・ライヒシュタットという名前で出演するなど国際的な活躍を続けていました。1963年のユーロビジョンソングコンテストにはスイスのロマンド放送局から出演したためフランス語で歌って入賞しています。しかしその後もエスターはドイツやイスラエルで活躍することが多く、フレンチポップすファンにもほとんど知られていないと思います。

一方、ナナ・ムスクーリはその後もパリを拠点においてフランスで活躍したことからシャンソンファンにもしっかり認知されていると思います。
また、ナナ・ムスクーリ以前は眼鏡をかけた歌手・・・とりわけ女性はいなかったと思います。現在でも女性歌手で眼鏡をかけて歌っている・・・あまり見受けません。ナナ・ムスクーリが一番の代表でしょうか?





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