Church of the Dunes

映画を見て調べたことの備忘録。更新は、のんびりペースの予定です。

Allowing Fate to be Arbitrary (5)

2019-02-25 08:53:53 | Allowing Fate to be Arbitrary

少し前のニュースになりますが、
クリストファー・ノーラン監督の新作公開日が発表されました。
「2020年7月17日公開」「タイトル未定」「IMAXにて上映」以外の詳細は不明ですが、
とりあえず、Varietyの記事 をリンクしておきます。
続報が、いつ、どんな内容で出てくるのか、楽しみに待つとしましょう。

そして、以下は こちら の続きです。

 *~*~*~*

「無作為な運命を受け入れる ― クリストファー・ノーラン&ジョナサン・ノーラン対談 ― 」
 title:Allowing Fate to be Arbitrary
     ― A conversation between Christopher Nolan and Jonathan Nolan ―
 via:Introduction ~ DUNKIRK Screenplay by Christopher Nolan (pp.ix-xxxvii)

  J:そして戦争映画に関しての問題ある事情の一つに取り組む、「西部戦線異状なし」に端を発する、
    第一次世界大戦 ― '全ての紛争を終わらせるための戦争' ― の映画は、何故なら、最後は、信じ
    られないほどに虚無的だから、そうでしょう? どうしてそれが始まったのか、人はほとんど思い
    出すことができない。
    ベトナムの時期の戦争映画は同水準の虚しさがある。第二次世界大戦の映画は欧米の記憶の中に
    高潔な対立であることの意識があるから厄介だ。かつてなく、まさしく目に見えて悪い奴がいた、
    最悪の悪党たちがいた。そうしてそれが全体の物語をある意味で傾けるんだ。「シン・レッド・
    ライン」が太平洋戦域を舞台にしているのは興味深い。確かに日本人は酷く不快なことや、戦時
    残虐行為を行ったが、善対悪であるという直感的な位置づけは、目に見えてというほどではない。
  C:そうだね。
  J:あの映画はもう少し体験的だ。君も僕もともに大好きな作品だ。
  C:僕は気に入っている。これまでに作られた映画の最良の一本、最高作かもしれないと思っている。
    どれほど強くそう感じることか。だけどこの点に関して目を向けると、唯一の妥当性は意図的に
    時代を超えたことと、その感覚だった。その詩的さは、ダンケルクと、それが物語ったことと、
    まったく対立する気がする。
  J:確かに。
  C:だからそれが一面に置かれた問題だった。「シン・レッド・ライン」は多くの方法の中、虚しさ
    と言及されるグレーゾーンとが、寧ろベトナムを描いた映画のようにほとんど感じられると思う。    
    第二次世界大戦の映画の論点に目を向ける違ったやり方はある ― つまり、これらの体験を経た
    誰かの視点を考えるとして、そうした状況下に巻き込まれた人々は分析的にどこか似通っている
    とか、もしくは兵士たちを描写しがちで、葛藤を描きがちな現代映画のように内省的であるとか
    僕は思わない。僕はマシュー・マコノヘイとこの件について、戦争に関する新しい映画について
    話していて、僕は彼に彼の考えを尋ねて彼は言ったんだ、'うーん、対話を持ち、彼らが決して
    経験していない事柄に見通しを持つ、多くの人々がいる。後に経験するだろう事柄を。経験する
    ことを彼らは知らないだろう、でしょう?' 第二次世界大戦の映画がつく嘘の簡潔なところは、
    たとえ愛国的主戦論者に見えるとしても今日の一般的な他の傾向とあまりに隔たっていると僕は
    思う。しかし真実もある、兵士たちが戦争に赴く際のこととして、彼らは任期中にグレーゾーン
    を考えることが必ずしもできない。彼らはそれと共に仕事へ取り掛かるしかない。そして、何年
    か後に、その体験を整理するんだ。

 *~*~*~*

いきなりマシュー・マコノヘイの名前が出てきたので驚きました~。
映画「 インターステラー 」に携わっていた頃のエピソードなのでしょうか

しかし、戦争映画が苦手な人なので、ここで話題にされている作品を実は一本も見ていない。。
そのうち、時間をつくって見てみようか、迷い中です。



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