Church of the Dunes

映画を見て調べたことの備忘録。更新は、のんびりペースの予定です。

Allowing Fate to be Arbitrary (4)

2019-01-26 08:30:13 | Allowing Fate to be Arbitrary

つい先日、年が明けたかと思っていたのに、
もう、1月の終わりも目前ですね(笑)
2019年最初の更新は、こちら の続きです。

 *~*~*~*

「無作為な運命を受け入れる ― クリストファー・ノーラン&ジョナサン・ノーラン対談 ― 」
 title:Allowing Fate to be Arbitrary
     ― A conversation between Christopher Nolan and Jonathan Nolan ―
 via:Introduction ~ DUNKIRK Screenplay by Christopher Nolan (pp.ix-xxxvii)

  C:だけど、室内の司令官たちへ場面が移る度に、興を削がれる。僕がドイツ最高司令部を目撃して
    いる。僕がドイツ国防軍空軍を目撃している。これは、僕を経験の範囲外へと連れ出してしまう。
  J:同様に、実のところの出来事は正確ではないと、ある種の全知と覚醒を一定の水準で示唆するね。
  C:その通り。そして、それが映画を古臭くしたんだ、僕らの子ども時代に作られた第二次世界大戦
    の映画に固有の方法があったばかりに。実際は、これらの作品は僕らが子どもだった時より以前
    に作られたけれど、僕らは日曜日のTV放映で見て育った。これらの映画のすべてが、軍のお偉方
    の将軍たちを必ず登場させる慣例を有していた ― 現代の映画には、モニターとありとあらゆる
    ことが全てあるコントロールルームといったパターンがある。しかし、同一手法の体系化とすら
    まったく言えないがね。'あなたは関係している' という本質的な調子があった ― 映画的リズム
    だ ― そして君は、城でシャンパンを飲みつつ、何でも話している軍の高官たちの類で離脱する
    ことになる。それが映画を古臭くした、彼らを今のことと感じるのは困難だ。映画の調子のまま
    にね。僕がまさに今、映画で興味を引かれるのは、ここでの映画はエンジン全開とする ― 体験
    する主観的な経験だ。
  J:君に仕掛けている。
  C:そこからドイツ人が視界に入らない考えが出てきたのは必然だと思う。だけど、とにかく覚えて
    いるのは、台詞でも文章でもカードでも始めは、ナチスについてたくさん話していた、登場人物
    たちは常にナチスを話題にしていた、この長期にわたった戦争がどれほど恐ろしく嫌なもので、
    あの悪党たちがどれだけ邪悪だったかを、現代の観客に思い出させるように。
  J:そうだね。
  C:マーク・ライランスが脚本を読んだとき、― 僕は彼にドーソンを演じてほしかった ― この敵の
    姿が見えないことについての全てを彼に伝えた、彼らは異邦人になり得る、誰にでもなり得る、
    あなたも知る通り。これはサバイバルについてなんだ。彼は脚本を読んで、ドイツ人に17回言及
    していたと指摘した ― 彼は数えていた。そして 'あなたが挑もうとしているものと戦わないの?'
    と言った。それから僕は考えた、ああ、たぶん彼は正しい。これらの言及の全部を取り去ることに
    しよう。そして、僕はそれを寧ろ好んだ。知っての通り、その方が理にかなっていた、'ドイツ人'
    という単語の代わりに '敵' という語を使うんだ。それは良い意味で、我々がしてきたことを一層
    明白にした。ドイツ人の姿を見せないことのような、そうだろう?
  J:うん。
  C:僕はいつも観客に秘密を共有させることを話すが、我々はドイツ人を見せないと彼らに知らせよう。
    これが最後にドイツ人がピントから外れた状態でいる理由だ。観客の人たちには気づいてほしい、
    彼らには意図的であると実感してほしい。ああ、我々はドイツ人をたくさん見せない、ということ
    ではないんだ。決してドイツ人を見せないんだ、飛行機以外には。