カタールde語る

「カタールしねしね団」団員募集

ナショナルチームと言うけれど-その2

2007-04-30 05:18:05 | Weblog
4月29日 


カラダの調子がメチャ悪い。
それというのもこのナショナルチームとやらに関わってから、格段に悪くなった。
ちなみに初練習に参加したのが、4月の10日。
翌週からめまいがし始め、立ちくらみの連続。
そのうち食あたりを起こし、胃をおかしくし、それが治まったと思ったら久々に風邪をひいた。
結構な熱が出たので、なかなかの手ごわい菌に当たったのだと察する。
それもこれもカターリーの毒にやられたとしか思えない。
やはり血が合わないのだ。きっと。いや、絶対。
このチームを去る日も近いかもしれない。

と、いきなり結論に近いところまで書いてしまったが、今日は前回の続き。

さて、因縁の出会いから2日後の火曜日、指定されたとおりに4時キッカリに体育館へ赴く。

ガラーんとした体育館にいるのはかろうじてコーチと選手一人。
後で解ったが、この2人は親子だった。
ちなみにエジプト人。

緊張して来たものの、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
まだ他の誰も来ないようなので、コーチに話を聞いてみる。
要約するとこんな感じだ。

カタールの女子バスケットの歴史は4年(4年?!男子はプロリーグがあるというのに)
ナショナルチームのメンバー構成は十数名のカターリーとエジプト人3人、チュニジア人2人(この2人は正式メンバーとは違うらしい)。
このチームには中東イチうまいプレーヤーが所属していて、彼女がキャプテンらしい。
チームは3つあり、ビギナー、レギュラー、とその中間。練習日を変えて各チーム練習しているらしい。
メンバーは殆どがティーンエイジャー(!!!!!)で最年長でも24歳。
ちなみに一番年下は14歳だと。

・・・・だんだん緊張が解けるのを感じると同時に広がる不安。
歴史4年て。
一番経験してる選手がMAX4年?ありえんよねぇ。
(実際は7年、8年という子がいた。どこでやってたかは知らんが。)

実は先月まで練習はお休みだったのだが、イランが試合をしたいと言って来たので最近練習を再開した。試合は4月の終わりだとか。

で、問題の練習内容は?という質問には「結構キツイわよ」とのお言葉。
高校の部活の記憶が蘇る。
まさか、またこの年でフットワークからやらされるとは。

雑談を交えこんな話をすること45分。
選手は相変わらず来ない。

ようやくワラワラと集まりだしたのが5時5分前。
練習開始は5時を過ぎていた。
やっぱりアラブ。さすがカタール。
こんな傍目にはシリアスなチームでもこれなのだ。
日本ならコーチがキレまくって練習前に校庭30周くらい言い渡されそうなもんだ。
やはりこの地で時間を守ってキッチリ開始、なーんて事は皆無なのだ。
ある意味すべて筋が通っておる。

で、問題の練習。
脅されたわりには、「はぁ?」という内容だった。
ランニング、柔軟、フットワーク、ドリブルシュート、で、変則3メン、で、ゲーム。
しかも、しっかりしろよ、ティーンエイジャー!!
アタシより体力ないじゃんか!!!

いくら試合前の調整のような練習にしたって、これでいいのか?!
と大声で問いただしたくなるような内容。
コーチも練習そっちのけで見学に来たオバチャンと話し込んじゃうし。
正直「なんじゃこれ?」と思ってしまった。

まぁ、ココで「モノ凄いチームに入ってしまいました!大変です!ついていけません!!」と大ウソを書いても誰にもバレなかったと思うが、それすらあまりにも情けなくて書けなくなるくらいのレベルでございまして。
そうだなぁ・・・・高校生レベル・・・・それでも良く言ってるかなぁ。
アタシとバスケをした事がある人はアタシがどんなレベルかよーくご存知だと思うが、そんなアタシが見てもコレである。
将来暗いのよねぇ。

確かに中東イチうまいと言われるキャプテンは結構上手。
このチームでよくここまで育ってくれたよ、と思う。
やはり経験の多い、エジプト人の子たちも結構上手い。
が、その他がねぇ。これまた似たり寄ったりで実に楽しそうにキャーキャー言いながらゲームをしてなさる。
性格はみんな人懐こくて、いい子達ばかりだ。
無邪気に日本語を教えて!と寄ってくる。
やっぱ、裕福家庭の子達はスレてないんだなぁ、としみじみ思った。

驚くことにさすがナショナルチーム、国がいろいろバックアップしてくれているらしく、休憩時の飲み物の支給(水以外にもジュースが出るあたりがカタールらしい)フルーツなど至れりつくせり。

そんなぬるま湯にドップリ浸かった子供たちは、まぁ、土足
かろうじてサンダルから履き替えてる子もいるが、基本は外から履いて来てそのまま体育館IN。
使ったボールはしまわない。モップ掛けもしない。
練習中に電話はする。アクセサリーはつけっ放し。
ゲーム観戦中に音楽なんかも聞いたりする。
ここまで自由だと何と言うか、うらやましいというか心底心配になるような現状なのである。

さて、これで練習参加の不安もなにもかも取り払われたわけだが、なにしろ最初に書いたように体調がおかしいのだ。
脱退する事を真剣に考えているのだが、なんと気前のイイ事に、練習用Tシャツを2枚も配給された。
さすがカタール。


ここまで貰って消えるか、アタシの中の良心と戦っている今日この頃である。


ナショナルチームと言うけれど-その1

2007-04-21 05:01:36 | Weblog
4月20日 


ドーハに来てずっと探していたものがある。
バスケットボールクラブだ。
こちらに来て2ヶ月くらいでチームを見つけて電話してみるも、スポーツクラブの会員が結成したというチームで、入る条件がそのスポーツクラブに入会する、というもの。
そのスポーツクラブ、今では無くなってしまったが、その当時は入会金もバカ高く、月の収入条件まであって、その割にはアタシが使いたいような設備も少なく、仕方が無いので断念していた。

その他、フィリピン人のコミュニティでチームがあるという噂を聞くも、やっている場所も遠いし、どうもココに来てフィリピン人に対する評価がガタ落ちになっている今日この頃、そのチームを訪ねてみる気持ちにもなれず。

やっぱ、こんな国でバスケなんて無理なのね・・・・と諦めかけて1年と半年。
とうとう見つけたんである。
しかも女子バスケットボールチーム!!

聞いたその日に早速、練習をしているという体育館に行ってみる。
アジア大会のために作られたまだまだ新しい体育館だ。
女性専用設備らしく、警備員も女性。

入り口でサインをし、女子バスケチームが練習していると聞いてきたのだが、是非入会したので案内して欲しい、と言うと「OK!」と感じよく練習場所に案内してくれた。
大きな体育館のメインコートでは女子ハンドボールチームが練習していた。
バスケットはウォームアップコートで練習していると言う。

覗いて見ると・・・・・なんとコーチがいる。
その他にも練習を見守るアバヤ着用のオバチャン3人。

・・・・・おっとっと。
随分予想に反して立派なチームを見つけてしまったようだぞ。
警備のお姉ちゃんに、「あの人に聞いてみて。」と言われ、コーチらしきオバチャンを教えていただく。

練習を見ているアバヤのオバチャンに「あんた、何者?」と言われ、「バスケがしたくてやって来ました。」と告げると、コーチのオバチャンに大声で声を掛け、なんやらアラビア語で話始めた。

コーチのオバチャンがやってきたので、
ワタシ:「バスケがやりたくてココを紹介されてきたのです」
コーチ:「バスケはやった事あるの?」
ワタシ:「一応・・・・」
コーチ:「アンタ、どこから来た人?」
ワタシ:「日本です。」
コーチ:「じゃ、ちょっと見てみたいから、ウォームアップして」
ワタシ:「今?!このまま?」
コーチ:「なんか不都合?」
ワタシ:「いや・・・・別にいいですけど・・・・」

その時アタシはエクササイズの帰りで運動できる格好ではあったのだが、まさかその場でやれ、と言われるとは。

ワタシ:「ところで、どういうチームなんですか?」
コーチ:「ナショナルチームよ。」
ワタシ:「ふぅ~ん・・・・ナショナルチーム・・・。って、ナショナルチーム?!社会人のクラブチームとかそういうもんではないの?」
コーチ:「そんなチームは無いわよ。」
ワタシ:「ナショナルチームって・・・・国の代表ですよね?アタシ、そんなレベルでは・・・・」
コーチ:「だって、アンタ、バスケやりたいんでしょ?」
ワタシ:「はぁ・・・・そうなんですけどぉ」

解っていただけるであろうか。アタシの胸の内を。
ココまで来て部活バスケ、しかもナショナルチームなんて聞いただけでもマジ練習してそうな所でバスケなんてやりたくないんである。
きゃっきゃと笑いも織り交ぜながら楽しくバスケットできる場所を探していたのに・・・・。
しかし、ここまで来てしまったからには仕方が無い。
しぶしぶウォームアップし、ランニングシュート、ツーメン、ジャンプシュートをやらされる羽目になってしまった。

ランニングシュート、ジャンプシュートでいきなりのダッシュ連続に息はゼーゼー。
貧血寸前だ。
しかし1年半ぶりのバスケットボールの感覚、懐かしくてちょっと嬉しかった。

そんな懐かしさもつかの間。
ツーメンを何往復もやらされ、頭がクラクラして目も寄ってきた時、
コーチのオバチャンは言った。
「わかった。とりあえず次の火曜日4時から練習だから来て。その時また見てみて決めるわ。」

複雑・・・・・。
いっそこれで落としてもらった方が良かったかもしれないと正直、思ってしまった。

体育館を出てからずっとこの先一体どうしたら良いのかと悩む羽目になった。
次に行ってまた試され、恥をかいて笑われて帰るのか、あまりの過酷な練習について行けずに自ら断念する事になるのか・・・・。

今日来た時に既に練習が終わっていたのがマズかった。
チラっとでも練習が見れていれば、次に行く前にばっくれるという事もできたが、海のものとも山のものともわからない今、ここで決断してしまうのもどうかと思ってしまう。
やっと見つけたチームだし。

カタールに来てこんなところで自ら試される事になろうとは・・・・。
とほほほほ・・・・。である。

そして2日後の火曜日、結局アタシはまたこの体育館を訪れる事になる。
この続きは次回。



ニセ札博物館

2007-04-10 06:36:44 | Weblog
4月 9日 


最近眠れない夜はなぜかプレステ1の「バイオハザード」をやってメモを片手に最短ルートを探し出し、ロケットランチャーを手に入れて無敵状態でゾンビ共を気持ち良~く蹴散らしたろか、と目論んでいる団長です。
寒い目論見ですなぁ、こうやって書くと。
今なお手に入れられないところが更にマヌケな感じがひしひしと・・・・・。
ま、小さな小さな楽しみですから。はは・・・・。

さて、最近日本人会でとある博物館に行ったという話を聞きつけ(アタシは日本人会には入会しておりません)思い出したエピソードがあるので書いてみることにする。


これもやっぱりラクダファームを見に行った時にさかのぼる。
友人の友人、数少ないカタール観光をしましょう、という企画に乗ったわけだ。

この博物館、王族の系列のどなたか(パンフ貰ったが無くした。名前聞いたが忘れた。)の個人所有物を展示している博物館だそうで、拝観するのに政府に申請書を出さなければならんというなんとも高飛車なもの。
入場はタダだ。

外観は以前アタシが往復300kmかけて行ったズバラフォートによく似ている。
こんなに近くに似たような建物があるなら、あっちに行かなきゃよかったと真剣に思ったものである。
外にちゃんと昔の大砲もあった。

さて、中はというと確か5つか6つに展示場が区切られていたと思う。
もう3ヶ月も前なので忘れてしまったが。
ちゃんと案内係の私服バリバリの太っちょのオッサンが居て、細かに内部を案内してくれる。

最初の間には古美術品コレクションが展示されており、昔のシリア、イランなどの食器、装飾品、飾り刀などがある。
あんないい加減に見える人たちがこんなに細かい装飾ができるのかと、いや、以前はできたのだと感心させられるものが並ぶ。
色使いも蒼や緑で綺麗なモノばかりだ。
そんなコレクションが10mくらいの長さの部屋に3列も並んでいる。

その先には車コレクションだ。



古い車がまた、随分綺麗に陳列されている。
その後ろにはキャデラックだ、ポルシェだ。
金持ち道楽の考える事は計り知れない。
乗れよ。飾らないで。
それで今乗ってるのがランクルって言われたらポルシェも泣くよ。
車だけでなく、バイクもチャリンコもある。
そして何故かその床にはキツネの毛皮。



趣味の悪さもピカイチだ。

案内係のオッサンが「まだ全部動くよ」と言ったので、
「じゃ、試していい?」

と聞いたら「No~~!!」と笑顔で返答。
ちぇ。

その後も何度が乗らせてよ~としつこく伺うも、敵もさる者、何度も笑顔でかわされ、次なる間、「昔の世界のお金コレクション&カーペットコレクションの間」に案内された。

なんだかそれ以外にもあったような気がしたが、忘れてしまった。
すみません。半端な記憶&レポートで。



入った瞬間、案内のオッサンが、「ここには昔の日本のお金もあるんだよ!!」
と自信満々に言うもんで、へぇ、昔は漁師のカターリーでも金持ちははるばる日本に来るくらいの甲斐性があったのかい、と一瞬思ったが、いや、あとでいくらでも金にモノ言わして買えるわな、と思い直した。
しかし、もっとスゴいものが待っていたのである。

それがこの記事のタイトルであり、ここまで前振りしてしまったから、なんの落ちもないのだが、ある意味なかなかの衝撃であるのでご覧いただきたい。




ルピーです。

「ざ・じゃぱにーずがばめんと」とあり、その下には漢字で日本政府うんぬんとあるのだが、印刷されてる絵が既に日本じゃない。
ルピーってどこよ?インド?パキスタン?スリランカ?
日本って昔インド領だったんですか?
アタシ知らなかったです。
これまたなんと保存のいい、ピン札。

これに堂々と「JAPAN」と展示されているのだから、家電と車しか日本について知らない外人だったら信じるぞ。ここまでやられたら。

瞬きもできず、あまりにビックリして口を開けながら顔を上げたら満面笑顔のオッサンと目が合った。
思わず日本語で「うっそぉ~ん。」
オッサンは笑顔。
「Is this fake?」と聞く気にもなれんかった。
オッサンの笑顔があまりにも自信に満ちていて。
「どうよ?」ってなもんだったもんで。

また、これ一枚じゃないところがまた変に本物っぽいっていうか、胡散臭いっていうか。



まぁまぁ、見てくださいよ。
この「JAPAN」コレクションの数々。

アタシの鳥のような記憶を手繰ってみても、見たことない札のオンパレード。
異国情緒満点の品揃え。

これ訴えられないんだろうか?
詐欺
じゃないの?

他にも各国様々な昔のお札が展示してあったのだが、のっけからコレだった為、全てがニセ札に見えてしまい、もうどうでもよくなってしまった。
それだけでなく、このあとの昔のアラブの洋服、鎧、馬車の展示などあったのだか、これ以上の衝撃と脱力感を与えるものは無かった。

この博物館、まだまだ拡張しているという。
政府に申請という面倒くさい手続きがあるから皆があまり来なく、抗議される事もなかったと思うが、いつの日か一般公開された時にはカタールの「ええ加減さ」がもっと多くの人に知られる事になるだろう。

日本政府の方、是非一度カタールに来てこの博物館に行ってください。
そして正式に「うっそぉ~ん」と国王に申し上げてください。
よろしくお願いします。







トリハダ

2007-04-02 05:04:28 | Weblog
4月1日 


今日は記事を書く予定ではなかったけど、緊急報告。
本日トリハダの立つような体験をしてしまいました。


夕方6時過ぎ。
エクササイズから帰る途中の出来事。
交通量が多くなってきた時間帯。
アタシは歌声だけは世界一愛しているマイケル・ジャクソン様をBGMに、ボケっと信号待ちをしていた。
3車線道路で真ん中。アタシの前には小型のバスが停まっている。
アタシの左隣がちょっと進んだし、後ろから来る車もいないから、移動しようかと、ヨっとハンドルを切ろうとしたが、アタシの後ろに停まってた車に先を越された。
「ちっ。やられたぜ。」
と思いつつ、ハンドルを戻し、元の位置でそのまま待つことにした。

それから15秒も経っただろうか?
びゆぅーん、と右の視界にすごい勢いで車が通ったのを捕らえた。

人間の脳とは、スゴイ。
3秒くらい、イヤ、もっと短い時間だったであろう。
しかし、アタシにはストップモーションのように長い時間に感じられ、
様々な事が思い浮かんだ。

こんな感じ。

「な、なに今の???」
「えっ、やけに早くね?隣の車」
「大丈夫かよー、ぶつかっちゃうよ。あれじゃあ」
「絶対ブレーキ間に合わないって」
「ほーら、言わんこっちゃない!!」

横目に車を捕らえてから、このくらいの事を考えたのは間違いない。
口に出したら結構な秒数だ。

で、お察しの通り。
ぶつかったんである。見事に。
どこーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!、と。

耳に残ってるのは急ブレーキの音とぶつかった音。
視界にはタイヤから煙があがって前がペチャンコになったフィアット。

これ、真横で起こった事故です。

更に恐ろしい事に、このフィアット、多分直前までアタシと同じ真ん中の車線を走っていたんだと思う。
ブレーキを踏んでも明らかに間に合わないと悟ったフィアットの運転手はちょっと出ているアタシを避け、せめてもうちょっとブレーキポイントが稼げそうな隣の車線に移動したのだ。
アタシの車を寸でで避けて。
明らかに避けた感じがわかるんだよ、真横をスっと横切った様子で。
少なくともずっと端の車線は走っていない。
いきなり視界に現れたんだから。
解ります?そんな感覚。

こんな感じ。↓



恐ろしくヘタな絵をだいぶ拡大サイズでお届けしてしまう事をお詫び申し上げます。
この絵で解っていただけるであろうか?
もちろんぶつけられたセダン(結構ボロだったが、載っていたのは欧米人だった)
はその前に停まってたタクシーに激突。
なんでかアタシの前に停まっていた小型バスもハザードを出して停まってしまった。

アタシはと言えば
「しぇーーーーーーーーっ、しぇーーーーーーーーーっ!!」
と、八つ墓村に出てくるババァにように半分腰砕けになりつつ、
しかしこのまま事故渋滞に巻き込まれてなるものかと
速やかにバスを避け、信号が変わったその交差点を後にしたわけである。
結構正気。

マジでトリハダが立ちました。
家に着くまで思い出しては
「おおーーーっ、こうぇ~っ!!」
と大きな独り言を言って帰りました。

そんな出来事。
エイプリルフールだからと言って嘘書いたわけではないですよん。
常にノンフィクションでお届けしております。

では。

夏が来る。

2007-04-01 06:12:53 | Weblog
3月31日 


3月最終日ギリギリ間に合うか!?と思いきや、日本はとっくに4月。
いきなりテンションが下がりました。
でもカタールも気持ちもまだ3月なので、日付は3月。うむ。
そうそう、世間では年度末ってヤツでしたねぇ。
バタバタとやたら内部作業で忙しかった思い出が記憶の遠ぉ~くの方に蘇ります。
やっと落ち着いた週末、みなさん、いかがお過ごしですか?


さて、カタールは先週くらいから日中の温度がぐっと上がってまいりました。
あの灼熱地獄の季節がまたやって参ります。

そんな季節の変わり目をお知らせする日本の「春一番」のような儀式(?ま、強風ですわ)がカタールにも存在するわけで。
去年も今頃飛ばされそうになった記事を書いたような気がするが、今年もまた書いてみよう。
なんてったってヒドかったんだから。今年は。

2週間くらい前かなぁ。いや、もっと前か。
朝、起きてダイニングに行くとこげ茶の6人掛けダイニングテーブルが真っ白。
窓を見ると窓の外も真っ白。
部屋履きのビーサンの裏も真っ白。

窓という窓、換気機能を受け持っている全てのパートからなんとも細かい砂埃が部屋中に入り込んでいるのだ。
もしや・・・と思い、エアコンをつけると予想通り、

ごほっっ

といい勢いで砂を吐きまくってくれた。
おお~、いい勢いで砂が舞ってるねぇ、と思わず腕組み。
この調子で家中に6個あるエアコンの砂を出しまくる。

ベットルームなど、こんな中でまた掃除して寝るのかと思うと本当にめまいがしたが、仕方がない。やるしかないのだ。

エアコンから砂が出切るのを待って早速掃除。
あまりにひどい状況のため、最初はホウキで砂集め。
集めてみたら立派な砂山が出来上がった。
その後掃除機でもう一度部屋全体を流し、最後はモップがけ。
タップリ2時間一汗かきながら掃除終了。
ああ、今日の仕事は終わった。という感じ。
充実感満載。
ギターでもかき鳴らして一曲歌いたいくらいの勢いだ。
ギター弾けないけど。

しかし!!
こんなことで満足していた自分を愚かに感じるのに時間はかからなかった。

がぁ~~っでむ!!

たかだか数時間である。
気が付いたらテーブルの上がまた白~く・・・・。

頭の中がワケのわからない悲しみで一杯になった。
さっきのすがすがしい気持ちなど強風と共に去りぬ。
ってか逃げ出してしまいたい、こんな所から。
見なかった事にしてまた寝てしまおう。

と、脱力100%So!かもね!な、非常にうんざりする出来事が待ち受けていたのだ。

恐ろしいのはこの後で、なんとこんな状態が2週間くらい続いたのだ。

途中の数日は本当に「見なかった」事にして放置した。
それでもちょっとテーブルの白さが「深み」を増したぐらいのもんだった。

外に出てもヒドイ状態で毎日髪の毛はゴワゴワ。
目が痛くて、鼻毛が激しく伸びるのを感じた。
こんな細かい砂を毎日気が付かずに吸っているのだから、絶対に肺の一つもおかしくなっているはずだ。
帰ってレントゲンでも撮ったら確実に影の一つや二つ写っていてもおかしくない。
こんな公害病なかったっけか?
友人の飼っている猫ですらセキをするのだ。
この埃っぽさ、尋常ではない。

こんなに人々を病気寸前にさせ、迷惑を掛け、落胆させ、ムカつかせ、ようやくカタールは夏に入る。
本当に何が起こっても腹立たしい結果を招くのがこの国カタール。
季節の変わり目もこれだ。

こんな最悪の国の存在、みなさん、思い出してくれました?
それでは、ごきげんよう。