遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

きちぼうじん

2015年11月13日 | 年中行事

お晩でがんす

当社でいつもお世話になっている「妙福寺」と言う寺が町内にある

住職はご高齢の庵主様だ、ご主人を失くしてから一念発起して、僧侶の資格を取得して現在92歳のご高齢で

寺を守護している、とてもそのような御高齢には見えず矍鑠としている

隣近所から毎日お手伝いさんが来て日常の雑事は面倒を見て下さっている

日蓮宗の古刹に相応しい、頭脳明晰な方で諸般に通じていて時事にも詳しいので若い者顔負けである

此の寺の例大祭が毎年11月12日に行われる、昔はとても賑やかな大祭であったが今は大分下火に成って来た

 平時の佇まいは誠に静かな俗世間とは無縁と思えるような場所だ

克って当所に箕輪城と言う百名城に入っている城がありましたがその初代城主、長野信盛公と言う殿様が

ここにこの寺を立てて裏鬼門の御守護を祈願したと伝えられている寺です

山号は、長中山、寺号は、妙福寺、と言います

御本尊は。釈迦牟尼仏と日蓮上人ですが、古い神仏混淆の名残を残して、鬼子母神様、も祀っています

其の例大祭が通称[きちぼうじん]です,この辺りでは正確な、鬼子母神、と言う人は稀ですし 地元の人ではない方々です

古い時代から愛されて深い信仰を受けていた大祭で、この地方では、きちぼうじん迄に麦蒔きを終える事。

きちぼうじんに初めて防寒着を着るとか、餘の賑やかさを「きちぼうじんの晩のようだ」と言ったり

子供たちには秋の農作業の手伝いをさせるのに、きちぼうじんに何か買ってくれると言った約束をして

お手伝いをさせました

こうして深く地域に溶け込み地域の子供の守り神として大切にされてきた

境内は大変広かったのだが、墓地や栄枯盛衰の中でだんだん狭くなり、戦後の農地解放でさらに狭くなって

しまったが、それでもまだ800坪くらいはあるようだ

長い参道が往時の盛りを忍ばせる

突き当りが本堂でその脇には高名な枝垂れ桜がある、樹齢500年もあるらしいが、枝先が何時も庭を掃いている

当日は出店が出て露天商の威勢の良い掛け声が祭り気分を高揚させる

昔は50も60も出店が出たが今はそれも時代の流れで少なく成ってしまった

人出もそれに伴い少なくなったが何時までも残したい地方の祭礼の一つだ

この祭礼の灯はこの近隣では、「油餅」と言う御馳走を作る

これは護摩を磨って半分ほどを粉にして牡丹餅に、塩味と、甘あじ、との二種類を作るものだ

農家の収穫の忙しさと引き続の麦播きの忙しさを凌いだ者たちへの体力回復と休養を与えるための

ちゃんとした意味合いの有る奥深い農家の昔からの知恵だ、豊作への感謝と来春の豊穣のお願いの祭りで

其れからもたらせられる豊かさで子供たちを育てられるようにと言う庶民の願望がある

当家では少し改良して、「餡子入り」にしている

こうした素朴な仕来りや祭りごとが、地域の連携を高め、地域の安穏をもたらすものではないかと思うが

残念乍ら年年歳歳そういったものが失われて、金、金、金、の世知辛い世の中に成ってきている

みんな誰しもこれではいけないと言う心の叫びは持っているのではないかと思ううが、発露できない

私もその一人なのが悔しい

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

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