おばんでがんす
先日何気なく出かけたらこんなところにと言うところに山百合が群生していた
こんな処とは、武骨な土建屋の会社が持っている土地の高土手だ、二階建てバスでもなければ見えない位置だ
とても見事な群生だ、ここまでにするには何年も大切に残してきたことだろう、もう上に走る電線にも届きそうな場所なのだ
花の数からして十年来面倒を見てきたことに相違ない。武骨な職業でも優しい心を持った社長の指示であろう
空につき出た百合は逞しく太く育っている、百樹園の様に日陰ではないので、なよなよしていない、、余りの見事さについつい一枚、板絵を描いてしまった
矢張り本物から見ると30段くらい落ちる、こうして山百合の群生を見つけると、進むほどに山百合が目につく、崖から道路を除いている、懸崖の百合
未だ今朝咲いたばかりだろう、蕊がきれいな橙色である、そしてこちらは満を持している蕾で明日辺りは咲くのだろう
これが板絵のモデル嬢だ
帰りがけに、百観音様を奉拝した、昔の観音信仰で百二十体もの観音様の石像がある、地元の人たちが長い間守ってきたものだ、克っての、廃仏稀釈、の制で首の取れている観音様がたくさんある、地元の人たちが捨てられた首をを見つけてきてつなぎ合わせてある、時の権力者が変われば多くの文化が破壊される、しかしそれも歴史の一コマであり、まだ文化が熟成しない時代の遺物だう、、、、この現代にさえまだ戦争をして多くの文化を破壊し数多の犠牲者を出しているところがある、、、それは皆一部の権力者の権力闘争であり、庶民は何時の時代も犠牲になっている、早く自然の花や動物を愛する人間本来の姿を取り戻してほしいものだが
観音様の境内の入り口には門番がいる、沢山の花を持った大株である
門番によく話して境内に入らせていただく彼方此方に観音様への御供花の山百合が自然の姿で供えてある、村人の優しさや心の広さが伝わる一幕だ
清楚な山百合を見たせいか、あるいは百観音様を参拝したせいか、清清しい気分で帰宅できた、もっともっと学ばなければならないし見習わなければならない事が沢山ある
未だちょっくら死ねない
そんじゃあまたはなすべえ 遊童子
久しぶりに描いた板絵も肉眼で拝見してきましたよ
やはり感動すると良い絵が描けますね
伊吹山行ってきました
10日ほど早いようで、下野草と、伊吹虎の尾が蕾一杯でした
「花が少ない!」と文句を言っていた人が居ましたが、近くで毎週行ける方でもなければ、開花時期は難しいですね
想像できっと山一面ピンクに彩られるのだろうと、友と話していました
師匠の教え通り、どんな時でも楽しみは見つけられます
でも此処でも、鹿の害で、あちこち掘り起こされて、一部柵がしてありました
こめんとありがとうございます
伊吹山は少々早かったようですね
動物保護、動物愛護、野生保護、色色と言って騒いでいる人たちが大勢いる、あたかも其れが自然を愛し、優しい文化人で教養も高く人間的にも優れているかのように声高に主張している
馬鹿を言うなと言いたい、増えすぎた鹿に食べられる花たちはどうすればよいのだ、、野生保護団体がその草たちの保護や植物を愛する人たちの心までも満足させてくれるのか!!!!!
程よいバランスと言うものがある
狼男とか餓狼、とかオオカミ少年とか、狼はあまりにもよく言われない、がしかし、その狼を絶滅させてしまった日本は今、猪や猿や鹿や、あるいは外来の動物たちに自然界を荒らされている、唯一の天敵の人間がいたずらに銃規制をした結果獣たちが繁殖しすぎて
解決のめども立たない
銃猟を緩やかにして事故が起きれば又批判の対象になる庶民が受ける迷惑や損失のことは何ら関係なくそれこそ歯牙にもかけないが、世論には弱気だ
役人の事なかれ主義が高じた結果がこうした後手後手だらけの行政なのだろう
もっと五十年先を見据えた。人間を含めた自然環境の正しい長期的な展開が欲しいものだが
策を作る、ロープを張る、こんなことは泥縄の最たるものだ
見たいみたいと念じていれば必ず見られる機会が来ます、「棒ほど願って針ほど叶う」のが常で有り
果報は寝て待て、と言うのもある
ではまた