遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 木(ぼく)迎え

2022年01月11日 | 年中行事

おばんでがんす

先日も出した六日山の項でも話したが。正月六日は山の神、大山衹之命、に参拝して一年の山仕事の無事を祈願し、山の産物の豊かなる

ことを祈願する日だ

当家にも大山衹之命の石宮がある一年に三回お参りする日が決まっていて、貢物を奉献する、その一つが六日だ

そして其の六日に山に山法師の枝を伐ってきて一週間乾燥させると13日に成り小正月のお飾りの日に成る

一週間ほど置くと枝が乾燥して繭玉が挿しやすくなるのだ

太い枝は豊作を祈願するために、奥の間の八畳一杯に成るように、大木で飾るのだ、だから支柱も中心に必要になる

 

毎年のことだが今年も一月十一日の地元紙、上毛新聞の23面に掲載されていた、以前から思って居た事だが繭玉飾の基本が知られていないようだ

然もみどりの指定重要無形民俗文化財、だと聞く、世論を先導し正しい伝承を伝えるべき報道機関が誤った根拠により影響力のある報道をする

と言うことは、私は一読者として賛同できない、私のほかにもそうした意見があることを風聞している

山法師の木を当地方では「山桑」と呼んでい、自然界で唯一蚕が葉を食べる気なのだ、晩霜の被害で桑が霜焼けてしまい蚕に呉れる桑が無い時に

せめて次回の蚕の種だけでも残さなくいてはいけないと、山桑の枝を伐り蚕に呉れて種を残した、そして其の育てられない蚕は,「棄蚕」と言い

農家は泣く泣く河原や畑や辻々廃棄した、最大の農家の収入源である養蚕はこの地方では主力産業だ、その棄蚕を憐れに思い供養したのが各地に

残る蚕影碑である、当地では蚕のことを「おこさま」と呼ぶ、文字通りの、お子様、なのだ、大切の飼育していたのがわかる

蚕は桑を食べて成長し繭を造る、この喰わなくして繭は出来ないのだ、水草の枝やトネリコの枝では繭は出来ない

其れはあくまでも似ている樹だから使っただけで、それ等の木を使って繭玉を挿すと収穫した繭玉の挿し口が苦くなって食味がおちる

採りたての枝で有れば繭に枝の皮が残って猶更苦くなる、その為に一週間乾燥させるのだ

当家では丸い繭玉を造るが、本当の繭の形をした繭玉も作る、そしてそれは純白の繭にするために白米にしてから粉に加工するのだ

赤や黄色や緑の色付き繭は「中繭」と言ってB品として買いたたかれるものだ、だから基本は白なのだ

桑も豊作になるように、庭中の小山の頂上にも飾る、畑と山とを見立てたものである、それ等は又別稿で掲載しよう

枝葉繭玉が挿しやすいように全体のバランスを見て、また繭玉を刺して枝が枝垂れるであろうことを想定して配置をみる

そして他の枝は伐りおとして置くのだ

大正月に松飾りをしたところは全て繭玉を飾る、したがって家の内外に56ッか所を飾る

繭玉を挿すのに生々しい内に剥ぎらないと鋏の切れが悪いし乾燥し始めた頃合いを見て鋏を入れる、写真が家の内外に飾る山桑の枝だ

大きさの順番でほんすうがちがうのでぶんべつしてある

大木は八畳間に収まるように大きめの枝をくみあわせて配置する、上の写真の枝全てを使って飾る

先端を刺しやすいように斜めに切って措くのがコツだ

こうして数々の段階を経て丁寧に神様に進ぜて、無力の庶民の農家のせめても神頼みなのだ

だからそうして謙虚の心がけで養蚕お豊作を祈願するのだ

だから根拠のある正しい伝承を伝えたいと思い昔通りの小正月飾りを継承している

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

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