遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

谷川岳慰霊塔

2023年12月11日 | 年中行事

おばんでがんす

私の人生の大きな転換と惨憺たる青春時代の原因は何といっても兄の遭難死で有ろう

其の前にも色色な条件が有って自分の意志ではない方向へどんどん流されていった。無力の少年から青年時代を経た

父は旧家の裕福の家に育った,そのために働くことがあまり得意ではなかった、然し時代の波に押し流されて。

敗戦とともに没落していった、当時としては珍しく恋愛結婚で有った、旅館の娘の母は旧家の農家に嫁ぎ仕事の嫌いな父との間で

多くの苦労をしたらしい、子供の私はしらないが、後々近所の話や親せきの話を聞いて泣いた物であった

43歳で胃癌で死んだ、当時癌は究極の死病で有った。父も手は施したようだが、胃潰瘍だと告知していた、

母も胃潰瘍ならば手術すれば治ると解釈して手術を強く希望した、

それも無駄だと承知のうえで手術をした父も辛かったろう、当時は薬も無く延命は輸血だけであった

しかも、売血頼りの輸血で没落に追い打ちをかけた、私が十歳で有った。母を返せとなく子供の声が親戚や近所の大人の涙を大い

に絞ったそうだ

百日前に後妻をもらうと後妻が長く務まると言う迷信が有った、四十五日で母が来た

併し二十九でいきなり三人の母に成ったのだから継母も大変であったろう、考えた末に父は口減らしと母の苦労を見て

私を妹の家に養子に出した、嫌も応もない昔の話だ、仕方なく従って養子に行った、学校も転校して、いじめにも遭ったが

幸いの事に良い同級生たちがいて助かったいちねんはん経過したら

兄が谷川岳で遭難した、幽の沢の衝立から夏の雷雨に遭ってハーケンが外れて墜落した。十九歳であった

後続のパーテイーが翌日見付けて呉れた、すぐ遭難対策班が組織されて収容の段取りになった

併し収容の費用が莫大であった、職人の一日の手間が240円の時一時間時間3000円の救護班を8人頼んだ

3000えん*8人*8時間で有る、当時としては莫大であった

300,000円、、すべて現金で決済することになっていた

其の外にも検死代広場の使用m火葬だいきんなど等自宅に連れてきて葬儀が住んだら400;000程の借金ができた

家の中の売れるものは全て売った、家畜、農地、そして其のほかに出来る借金はみなした

農協、郵便局、銀行、一般の家。没落に歯止めがかからない、折角の跡取りがしんで継ぎ手がいなくなった

養子に出した子供を返してもらう話になった、が然し養子先も子供がいな家であったので,籍が移動してあったので簡単

にはゆかない、父と妹夫婦とで裁判に成った、半年ものあいだ裁判をして。将来養父母の面倒も老後見ると言う条件で決着した

そんな借金と老後の面倒を見ると言うハンディーまでも背負って実家に帰って来た

先の事は何にもわからない少年の決断であった、

働くことはいとわなかがあまりの借金に只々夢中で働いた、農家の冬、春の農閑期に村内の職人の親方の処に修行に出た

最初の給料が1日50円であった。農家の養蚕も大量にした、家が大きかったので蚕が沢山飼えた

群馬県で二位の養蚕農家に成った、妻の助力も多大であった、父は私が二十歳の年に脳溢血に成り。半身不随になった

益益苦しい家計に成った、一家心中を考える時もあった、が継母の応援と妻の応援で何とかしていた、

此れでは農家ではとても借金が減らないと気付き職人の道を生かし親方の勧めを得て独立した

バブルが盛り始めた時代でもあった、順調に建築業が伸びて来た、漸く借金が減り始めた、はたちで家長に成り35さいまで 

借金をなした、実に苦しい時代であった

そんな借金の元凶であった兄であったが、やっぱり実兄は実兄である、毎年の慰霊祭には十年間通った

自分でも実兄と同じ山登りもした、三十五からは人並みの生活ができた、事業も株式会社にし従業員も増えて今に至っている

今も年に二回や三回は必ず慰霊に行く、姉がひとりいるのでたまには連れてゆく、姉弟して泣きに行くだけなのだが

今回も谷川温泉まで行ったので慰霊塔に見舞って来た

 慰霊塔だ

 鎮魂の日だ

多くの若者たちのあこがれの目印、、、、山人の像だ

多くの遭難者の長い歴史を示すように冬日の長い影が伸びている

昭和二十一年以降の遭難者の名盤だ

厳しい冬の凍結で大分傷んで来た。いずれは再建の話もあるだろうが

兄の名前も刻んである、未だに十九の儘の兄貴だ。冬の風花が目に染みてしまったので帰ろう、

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (チョキチョキ)
2023-12-11 20:13:05
本当に、本当に長編小説のような波乱万丈な人生でしたね~💧
奥さんも頑張って助けてくれました
義母さんの介護も、良くそこまで出来ているな?と思っていましたが、義母さんも苦労してきているのを感じていたから、師匠も介護出来て居たのですね

今日は、義兄の娘さんが若くして亡くなってしまったので、長野まで行ってきました
辛いものですね~💧親より早く亡くなるのは、、、
お兄さんも生きていたら、豪快な人の様でしたので、楽しい出来事でも聞けたでしょう
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 遭難 ( 遊童子)
2023-12-12 22:11:07
ちょきちょきさんへ
こめんとありがとうございます
波乱万丈とはよく言ったものだと思います
自分でもよくしのいできたなと思います
「人生は二重丸程無くっても丸にチョン程幸せだった」
「十の趣味十の遊人百の旅中中愉快の人生であった」
最近の歌だ
長野の姪御さん心からお悔やみ申し上げます
有難う
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