日々草創

「清く、楽しく、気持ち良く」、、、アホのままでもいいんです。

恋愛の法則

2009-07-22 | 日記
恋愛とは、自分勝手な物である。

相手の気持ちや立場など関係なく、勝手にその人を好きになり、その人自身の行動で自分勝手に嫉妬し、傷付く。
時には自分の立場や行動までもを棚に上げ、他の誰かを傷付けようが自分勝手にその相手を想い、涙する。
それは老若男女、性格、能力、容姿など全てを問わず、人間ならば誰にでも起こる現象であり、避けられない人間としての本能とも云えよう。
そのような現象により、殆どの女性は色々な夢を抱き、自分勝手に夢物語を創っていく。
そして周りの男達はそれらを逆手に取り、いかに自分の虜にするかを自分勝手に考える。
色々なパターンがあったとしても、たとえ立場が逆転したとしても、結局は自分達が勝手に想う事からの現実。
かの有名な哲学者、斉藤正一は僕にこう言った。


「ファッションヘルスとは、おちんちんを舐めてもらう所である」

「クルーン並みの豪速球だな、ショウイチ君・・・」

「知らない女の子にお金出すだけですっごいエロい事できるんだよ。行かない?」

「安易にそんなアイデアを出す前にもっと他の楽しい事を考えようぜ」

「アイ・ウォナ・ゴー・トゥー・ヘヴン」

「うぜぇ」


正一君は僕の幼なじみ。
今でこそ遊ぶ機会が少ないものの、以前よく一緒に遊んでいた時など何かと理由を付けてはファッションヘルスへ行きたがる生粋の風俗バカだ。
普段はそんな変態志向とは裏腹に、色んな物事を豊富な知識と屁理屈で哲学的に考えてウザいほどゴタクを並べて語る“雑学王”っぽい人ではあるのだが、残念ながら彼の風俗好きは仲間内でも有名で、周りからは「ヘルスの王様」または「ヘラクレス」と呼ばれているのである。

ずいぶん前の話ではあるが、そんなヘラクレスと遊んでいた時の事。
彼はいつものようにファッションヘルスへ行きたがっていた。

「行こうよ~」
「クラブにでも行って頑張って女の子をGETするとか、そーいうのでイイじゃん」
「絶対ムリです」
「わからないじゃん、可能性がゼロではないハズだぞ」
「残念ながら限りなくゼロに近いです」
「じゃ、俺が女の子に声かけてイイ雰囲気を作ってから最高のトスを上げるからさ」
「僕のジャンプではネットまで手が届きません」
「なんですぐ諦めるかなぁー」
「僕が半分お金出すからさー」
「む?、事情が変わった」

こうして僕らは、仕方なくファッションヘルスのあるネオン街へと向かったのだった。

コインパーキングに車を停め、僕がどこへ行くのか質問すると、彼はまるでそんな質問を読んでいたかのように僕の発言を制止し「こっちだ」と言わんばかりにネオン街へと目線を送り、僕を先導するかのように歩き始めた。
僕が以前よく通っていたクラブを素通りし、未知の裏通りへ躊躇なく突き進む彼の力強い後ろ姿は、完全に「キング」の風格を漂わせている。
さすがヘラクレスだ。

しばらくすると彼は立ち止まり、顔なじみらしき呼び込みのボーイと話し始めた。

「今日は結構入ってるんじゃない?」
「わかりますかぁ~、今日はまぁまぁです。今日は来てくれないんですか?」
「悪いけど今日はツレがいるからさ。決まってるんだよねー、行く場所」
「そーなんだー、残念!また来て下さいねー」
「おぅ!また電話入れるから」

さすがヘラクレスだ。

そしてついに彼が目的としていた店の前に到着。
すると、その店のボーイらしき人物が、少し慌て気味にヘラクレスへ話しかけた。

「えっと、、いつも指名して下さってるレナちゃん、昨日で辞めちゃったんですよ、、」
「エッ!!」
「でもまた新しいイイ子が入ったんで・・・・・」

そんなボーイの言葉など、全くヘラクレスの耳には届いていなかったのだろう。
彼は何も言わず突然Uターンをし、下を向いて歩き始めたのだ。

「ショウちゃん、どーした?」

そんな僕の問い掛けに、彼は小さな声でつぶやくように話し始めた。

「今夜、ちゃんと行くって約束したんだぜ、、なのに何で??何も聞いてなかったぞ?」

その落胆振りから、一瞬にして彼がレナちゃんを想う気持ちを読み取る事が出来た。

「し・・・仕方ないって!きっと何かの事情があったんだって!」
「今までどんな悩み事だって、真っ先に俺に話してくれてたんだぞ、なのに何で・・・」
「・・・・・・。」


僕はそれ以上、掛ける言葉がなかった。
そして僕らは黙々と歩きながら、何故か駐車場の方へと向かっていた。

「・・・・帰る?」

僕は意を決し、ヘラクレスに声をかけた。
すると彼は、少し間を置いて予想外な言葉を発したのだ。

「クラブにでも行ってナンパでもしよか?」

僕はそんな彼の意気込みに、間髪入れずノリを合わせた。

「さ、、さすがショウちゃん!バッチリ決めようぜ!」


その後、目を覆いたくなる程の魂の抜けた大ハシャギを目にしたのは、言うまでもないだろう。。


このように恋愛とは、とても自分勝手な物である。

そしてそれは、とてもはかない物でもあるのだ。
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恐怖体験

2009-07-15 | 日記
世の中には、科学では解明できないような出来事がある。

たとえばUFOや幽霊、妖怪などの目撃など、色々な事を例に挙げる事が出来るのだが、残念ながらそれらを完全に証明した人はいない。
実際にそれらを目撃した事のない人からすれば、到底信じる事が出来ないだろうから疑われても仕方が無い。
しかし実際に体験した人からすれば、信じてもらえない行為は非常に残念だろう。
だからそれらの話は科学的根拠を用いず、信じるか、信じないかだけの問題なのである。


去年の夏頃の事。
僕はある日の夜、身の毛もよだつ体験をした。
少なくともこの体験は僕がこの世に生まれて物覚えがついてからは初めてで、もう二度と経験などしたくはない事だ。

あの日は確か台風が近付いてきていた日で、異様なまでの湿気に包まれ、とても寝苦しかったのを憶えている。

深夜3時頃だっただろうか、突然バッチリ目が覚めてしまった僕は、どうにもこうにも寝付けないでいた。
何時かは寝付けるだろうとしばらく布団に入っていたのだが、いつまで経っても寝付けない僕は、仕方なく布団から体を起こし、気分転換にシャワーを浴びる事にしたのだった。

深夜の住宅街は物音ひとつなく、風が全く無いのも手伝って恐いぐらいに静まりかえり、僕がお気に入りにしているシャワールームでさえ無気味に感じるほど静かな夜だった。
そんな中で僕は少しぬる目のお湯を出し、頭の先から全身で浴び始めた。

清々しい水の匂いは、不思議な事に先程まであった漠然とした不安も洗い流し、僕の心の中まで綺麗にしてくれる。

しかしそんな時、誰でもこんな経験はないだろうか?
皆が寝ている深夜帯に一人でシャワーを浴びていた時、背後に何かしら気配を感じる事。
そう、僕もその時、やっぱり感じてしまったのだ。

そのとき僕は大きな一軒家で一人暮らし。
そんな時の不安感は、家族で住んでいる時の数倍はある。
聞こえてくるのはシャワーの音だけで、それ以外は何も無い。
しかし背筋に異様なまでの緊張を感じているのが脳の先まで伝わってくる。
振り返るのが恐い。
何も無くあってほしい。
きっと振り返らずに終えれば、何も無かったかの如く、清々しく部屋に帰る事が出来るだろう。
しかし何も無い事を確認すれば、もっと気分が晴れる筈。
でも振り返るのが恐い。
色んな事が頭を巡り、必要以上にシャワーを浴びる時間だけが過ぎて行く。

そしてついに僕は、一度も振り返る事なくシャワーを浴び終えるのだった。

心も体も清められた僕は、あまりの清々しさに全裸でスキップしながら必要以上におちんちんを揺らし、ベッドルームへ戻って行った。
僕の寝室は16畳ほどある広さで、以前名古屋のテレビ局で大道具さんをやっていた頃のノウハウを駆使し、イタリアン風に仕上げた大のお気に入りの部屋である。
シックな色調のフローリングを床一面に敷き詰めて壁や天井を白一色に塗り潰し、ちょっぴりエロティックな間接照明で天井を照らしている。
そんな中にシンプルなマットだけのベッドとふわふわとしたカーペット、そして少し大きめなスピーカー2つと、その間にオーディオ機器や大量のCDが所狭しと並べてある。
そんなベッドルームに戻った僕は、気分を落ち着かせる為に大量のCDの中からスロージャズをチョイスし、オーディオへSET。

その瞬間である。

突然スピーカーから人の声。

僕は大きな鼓動を鳴らしながら慌ててオーディオを覗き込んだ。
なんと、AMラジオにセットしてあったのだ。

「びっくりしたー・・・」

僕は気持ちを落ち着かせ、CDにセットしてスタートボタンを押す。
その直後、気持ちのイイ音楽がスピーカーから流れ始め、僕の心が一気に和む。
しかし次の瞬間、僕は大変な事を思い出した。

「そーいえば朝一番から大切な仕事があった・・・」

しかし焦りは禁物。焦れば余計目が冴えて眠れなくなってしまう。
僕は一段とスローなフレンチポップをオーディオから流して眠気を誘う事に。
シャワーを浴びて全裸のままの僕は、毛並みがとても気持ちいいカーペットの上で大量のCDを前に、ヤンキー座りでしゃがみ込みながらお目当てのCDを探す。

この時だった。
この瞬間、世にも恐ろしい体験をしたのだ。

「ぷすーーーーーー、ぷりっ。あっ!」

その時、明かにオナラとは違う感触が僕の体を包み込み、その衝撃が脳天まで突き抜けた。

“やばい!!実が出たかも!”

慌てて振り向くと、輝くような毛並みのカーペットの上に小さな黒い物体。
僕は気が遠くなった。
そして慌ててティッシュを探す。
しかしこういう時に限って定位置に見当たらない。
ドタドタと部屋中を駆け回り、やっとの思いでティッシュを見つけた僕は慌ててその黒い物体を拭き取った。
しかし悪い事は連鎖して起こるモノで、あろうことか慌てて拭き取ったが為に大事なカーペットへ刷り込むように拭いてしまったのだ。

“うわっ!!毛並みの奥まで入っちゃった!”

焦りは禁物。僕は心を落ち着かせ、冷静に対処法を考えた。
そしてバケツと雑巾、洗剤を用意し、茶色く染まった箇所の前へ。
こんな醜態の名残を翌日に残す事など出来ない。
僕は必死になって、丁寧に奥の奥まで拭き取っていく。
その作業は困難を極め、蒸し暑い空気の中を全身全霊をかけ、汗だくで続けていった。

匂いがほとんど無くなった頃、外は明るくなっていた。
そして最後、僕はとどめとばかりにファブリーズを吹きかける。
こうして僕の世にも恐ろしい出来事は、心の中へ封印されたのだった。

科学では解明出来ない事。
それは証拠を消し、誰かの心の中へ封印する事で科学の手が及ばなくなるのだ。
あとは、信じるか、信じないかの問題だけなのである。
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奇跡の想像力

2009-07-11 | 日記
以前、本屋さんで立ち読みをしていた時のこと。
どこかの会社主催だと思うのだが“こども川柳”なるものの公募があり、その入選作品の中でこのような詩が紹介されていた。


はだかで 歯をみがくと おちんちんが ゆれます


とても素晴らしい。
応募者の名前まではチェックしていなかったのだが、常人とは思えない程の才能を感じる事が出来る作品だ。
風刺的なセンスを駆使した作句法が、現在に至る短詩型文芸域の方法論を超越さえしているといえよう。
この詩の中にある「裸で歯を磨く」という所で、容易に温暖な季節を想い浮かばせる説得力を披露し、この時代における一般家庭の開放感が一語たりとも無駄のない言葉遊びによって表現されている。
そして次に描かれる「揺れるおちんちん」が果てしない清涼感と共に僕らを空想の世界へといざなってくれるのだ。
残念ながら作者は解らないのだが、恐らく平成に名を刻む程の詩を詠みあげる事は間違いないだろう。
将来、松尾芭蕉と肩を並べて文学史に紹介されるのも簡単に想像する事ができる。
いや、ひょっとしたら芭蕉を超えちゃてるかも。

このように子供という生き物は、時として大人では理解出来ない程の想像力を発揮する事がある。
以前、近所に住む小学校校長から「体育倉庫の壁面にイラストを描いてほしい」という仕事の依頼を引き受けた時、出向いた仕事先でそのような事を思い知らされる出来事があった。

午前の授業中、静かな校庭の片隅にある殺風景な体育倉庫前で、僕は事前に打ち合わせをした“明るく健全なイメージのイラスト”を一心不乱に描き続けていた。
まずは“サッカーをしている少年”や“ブランコを楽しむ少女”など、白いチョークで下書きし、発色が良くなるように塗りつぶす部分を白いペンキで下塗り。
そして少し時間を置いて色付けを始めた頃、お昼休憩の時間なのだろう、小学生達が一斉に校庭へとなだれ込んできた。

「ねぇねぇ。なにしてるの~?」

予想はしていたものの、早速ガキ共が近寄ってきた。
僕は一人の大人として、子供達の手本となるべく丁寧な対応を心掛けた。

「校長先生にたのまれて絵を描いてるんだよー」
「すげー!画家だ!おいっ!この人画家だぞー!」
「あっ!おい、さわっちゃダメだっ。このペンキついたらとれなくなるぞ!」
「げっ!マジー!とれなくなるんだってよー」

さっそく悪い予感。

「ねぇねぇ、これって何の絵?」
「これはサッカーボールだよ」
「じゃあ、これはー?」
「ボールを蹴ってる男の子だよー」
「じゃあ、これは~?」
「えーっと、・・・」
「あぁっ!!!」
「なに!? どーした!」
「ペンキがついちゃった~」
「だからさわっちゃダメだって言ったじゃん!」
「・・・さわってないもん。もたれただけだもん」

肩にペンキを付けた男の子が言い訳にならない言い訳をしながら、申し訳なさそうに僕の所へやってきた。
僕はイライラする気持ちを押さえ、付いたペンキをシンナーで拭きとってあげる。
そして増え続けるギャラリーに対し、少し大きな声で提案した。

「またペンキが付くとイケナイから、この線より入っちゃダメだよー。それから、気が散るから静かにしててねー」

僕はそう言いながら足で地面に線を引き、わいわい騒いでいるガキ共を無視するかのように仕事を再開。

「・・・・クスクス・・・・いてっ」
「シーっ、喋るなって言ってたじゃん。怒られるぞ」
「あっ、押すな、バカ」
「あ~、いま線より入った~」
「おめーが押したんだろ!」
「押してないもんっ」


まじでウザい。


しばらく時間が過ぎ、見飽きたガキが減り始めてやっと静かになり始めた頃に、1人の男の子が僕へと近付いてきた。

「ペンキが付いちゃった~」
「なっ!・・・線から入っちゃダメだって言ったじゃん!」
「はいってないよ~」
「入らなきゃペンキ付かないでしょぉ」
「空中だもん」

やられた。
その男の子は絵を触るため、線の手前から決死のダイブをしたのだ。

人間は常にメリットとデメリットを秤にかけて行動をする生き物である。
この場合に関して言うと、ダイブした事による怪我の恐れと、ペンキが手に付いて取れなくなってしまうという事と、絵に触った事で僕に怒られるというデメリットがあり、メリットなどどこにも見当たらない。
その結果、当然このような行動はしないハズ。
しかし子供という生き物は、それらの多大なデメリットをはねのけてしまう程の何だかわからないメリットを見いだしてしまうのだ。
はたして彼はどんなメリットを見つけ、何を手に入れようとしたのだろうか?
達成感か?それともただの根性試しか?
それは今現在、大人となってしまった僕では残念ながら理解する事が出来ない。

しかし想い返せば、自分でも理解し難い行動はあった。

なぜあの時、無差別にピンポンダッシュなんてしたのだろう。
なぜあの時、うんこにどれだけ近付けるか競い合ったのだろう。

それらはきっと、何かの確信を持って行動していたに違いない。
しかしそれが何であったのか?
そして、何が欲しかったのか?
それは自分でさえ、子供の頃の自分でしか解らない事だ。

「子供心」
それは誰にでも一度は宿り、そして消えていく。
そんな、とても尊い存在なのである。
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ミステイク

2009-07-05 | 日記
知性や才能、その他の能力において基準となる物は様々あるが、それらは人それぞれに違いがあり、それらを見極めるのも人でしかない。
そして、それらの能力がどんなに優れている人であったとしても、人である限り決して避けられない駄目な部分が存在している。

そう、「ミステイク」である。

当然、優れた人ならそれを極限まで少なくする努力をしているに違いない。
そして場合よっては、それを失態とは思わず「未来への糧にする」というポジティブな考え方も出来るだろう。
しかし、ミスはミス。
どんなに優れていても、必ずしてしまう物なのである。

僕は常に他人よりミスが多いと考えるようにし、極力そのミスをしないように心掛けて生活している。
しかし残念ながら、それでもやっぱりミスをしてしまう。
だからそれらのミスに対し、できるだけ自分に対する精神的被害などを減らすよう、そのミスをフォローする気力や体力を惜しまなくかけるようにしている。

例えば、僕は仕事で店舗の看板などを制作したりしているのだが、誤字や脱字、寸法違いなど、様々なミスをしてしまった時などは自分のミスを瞬時に認め、それに対して迷惑をかけた方々に納得してもらえるよう素早い対処とサービスに勤める事で他人を納得させ、自分自身も慰めている。
このようにして、決して避けられないミスを自らフォローする事で、後への凝りを残さないようにしているのだ。

しかし僕はつい先日まで、過去に犯したとんでもないミスに悩まされ続けていた。

僕の家のお隣さんは花屋さんを経営しているのだが、数年前にお店の改装で近くのテナントで仮店舗として営業をしていた時、その店の入り口に僕が看板を制作して設置してあげた事があった。
そしてその看板は新店舗の正面入口前駐車場横に移設され、先日までしっかりと掲げてあった。

隣に暮らして数年。
何故に気付かなかったのか自分でも全く解らないのだが、その看板にはこう書かれていたのだ。

「フラワー・ショプ」

そう、「ショップ」ではなく「ショプ」。
10年前後は経っていただろうか。。
お隣さんは気付いていなかったのだろうか?
それとも「こーいう書き方もある」と信じて何とも思っていなかったのだろうか?
きっとお隣さんはその看板を気に入っていたのだろう。
これ見よがしに堂々と入り口付近にかかげてあった。
どちらにしても10年も経過し、「すいません、間違えました」などと言い出せなかったのだ。

しかし有り難い事に、少し前になって次なる店舗改装の為に看板を新規で作り替える事となり、一件落着を迎える事ができたのである。。

このような事はほんの一例ではあるのだが、僕という人間は時に、もっととてつもなくダイナミックなミスを犯してしまう事がある。

時折僕は、壁面など巨大なキャンバスに絵や文字を書く仕事の依頼を受けるのだが、ちゃんとしたデザインや書体の指定が無い時は、下書きもせず自分の感性だけで描いてしまう癖がある。
しかし以前、その感性だけで仕上げる癖が仇となって、とある大売出しをする用品店から「入り口の大きなパネルにアピール性の高い大きな文字を書いて欲しい」という仕事の依頼を受けた時、人の背の高さ程もある大きな文字でダイナミックなミスを犯してしまったのだ。


「大ゲバーン」


人として生きる限り、ミスは避けられないものなのだ。
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悪魔のZ

2009-07-01 | 日記
フェアレディZーs30。
ヨーロッパ製の高級GTに比肩するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、日産の世界的なイメージリーダーカーとして足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち国内販売8万台)という当時のスポーツカーとしては空前の世界的ブームを巻き起こし、「ダッツン・ジー」の愛称で親しまれつつ日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に周知した日産の記念碑的車両である。
近年では、ヤングマガジンの人気連載漫画「湾岸ミッドナイト」の中で様々なバトルで伝説を残した車として「悪魔のZ」と称され、幻の名機”L型エンジン”を搭載したハイクオリティな車体は、古さを感じさせないポテンシャルと圧倒的な存在感で、車好きな男達を魅了し続けている車だ。

そんなアンティークカーを4年程前から所有している僕ではあるが、正直いうと購入前まで上記のようなウンチクや特別な憧れを持っていた訳ではなく、単にそれまで乗っていたマーチ君が瀕死状態だったが為に別の車へ乗り換える為、なんとなく購入してしまった車なのである。

その購入キッカケは、僕の部屋に転がっていたプレゼントに貰った一台のラジコン。

それまでの僕は車に対して特別興味が無く、走れば何でも良いと思っていたが為に、次に買う車を非常に迷っていた。
そんな最中に目に飛び込んできたフェアレディのラジコン。
それが僕の中にある変なチャレンジ精神に火をつけてしまったのだ。

「よし、このラジコンと同じ車を買おう!」

アホである。

とりあえずインターネットで検索。
すると、プレミアが付いてとても高価じゃないですか。
それまで「走れば良し」などと思っていた僕からすれば、30万円以上の車なんぞ買う気も起こらない。
しかしそんな中、探せば有るじゃないですか。

「17万円!」

早速僕は、その車が置いてある千葉県の某車屋さんへ電話。

「その車、なんでそんなに安いんですか?」
「えぇ、ボロボロなので・・・」
「動くんですか?」
「はい、なんとか車検は通りますよ」
「それ、ください」
「え!? ホントにボロボロですよ!」
「動くんですよね?」
「はい、なんとか・・・」
「じゃ、ください」

こうして購入したZ君。
正式にはフェアレディZs30からマイナーチェンジをしたs31。
そんな事はどうでも良いのだが、雨の日は屋根に空いた穴から猛烈な雨漏り。
そして案の定、到着後一週間で路上停車です。

しかしそれは想定内。
っていうか、ここからが本当のチャレンジです。

とはいうものの、それまでの僕はボンネットさえ開けた事がないほど車に関して超ド素人。
まずはボンネットを開けてみます。

案の定、サッパリ。

それも想定内。
まずは車のしくみを把握します。
ガソリンタンクを下から覗き込み、ガソリンが流れるホースをエンジンルームまで辿り、どこに流れ込んで、どうやってエンジンの中に入っていって、どうやってエンジンが動くかを事細かく図にしていきます。
わからない事はインターネットで検索。
するとどうでしょう、なんとなくですが、車のしくみが解ってくるのです。

そして次に、何が故障の原因かを調べていきます。
ガソリンがちゃんとエンジンまで来ているか?
点火プラグからちゃんと火が出ているか?

そんな事を調べていると不思議と故障の原因箇所が判明し、その部品を最寄りの車屋さんやインターネットなどで取り寄せて交換すると、なんと故障が直ってしまうのです。

そんな調子で悪い箇所を次々と修理。
そして次にはボロボロの車体を直すため、ボディーの穴が空いていた箇所や凹んだ箇所を自力で板金し、ラジコンと同じカラーリングにするため塗料とコンプレッサー、吹き付けガンを購入して見よう見まねで気合いの全塗装。

そんな苦節1か月。

換気の悪い場所で全塗装したが為に、シンナー中毒者になりかけた事もあった。
故障箇所が解らなくてガレージ悩み込み、時には何日もの間に渡り座り込んだまま頭を抱えていた事もあった。
もしあの時「体操座り世界選手権」があったら、メダルを獲得していてもおかしくはなかっただろう。
あれほど長時間の体操座りなら、かなりの芸術点を稼いでいたに違いない。

しかし、ついに完成したのです。

古さを感じさせないフィーリングと、唸るL型6機筒エンジン。
30年前にタイムスリップしたかの如く感覚で、僕の心を浮き上がらせる。

偶然にもチョットしたキッカケによって雑誌に取り上げられ、少し恥ずかしいが良い記念もできた。
今ではそんな古い車を所有する仲間も増え、ちょくちょくイベントを開催するようにもなった。
それまで全く無知だった車の簡単な整備や修理、板金や塗装の鏡面仕上げ、それに簡単な溶接テクニックまでも身に付いた。

4年前の僕が巻き起こしたアホなチャレンジで、ちょっとしたスキルアップをする事ができ、なにより僕の大きな楽しみが一つ増えたのだ。

悪魔のZ。
それは僕にとって、天使のような存在なのである。
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