日々草創

「清く、楽しく、気持ち良く」、、、アホのままでもいいんです。

イデオロギー

2009-04-30 | 日記
先日、東京で銀行マンをしている友人「いっくん」が僕の家に訪れた。
特別な用事があった訳ではないのだが、たまたま僕の家の前を通りがかったのだという。
このような突然の訪問は特に驚くような出来事ではなく、時々地元へ戻ってきてはチョットした相談だの暇つぶしだのと缶コーヒーを片手に僕の家へと訪れ、ウダウダとくだらない話をしにやってくるのだ。

彼は幼なじみの中でダントツに成績が良く、とても頭がキレる人物だった。
そしてそれは現在でも変わる事なく、某大手銀行の東京支社で相当な出世街道を突き進んでいる。
さすが日本の経済状況を動かし兼ねない程の情報発信地でエリート銀行マンをしているだけあって政治経済など様々なノウハウに長けている彼は、さすがにインサイドな話題には触れないものの、常に僕を驚かせてくれる情報を披露してくれる。
しかしそれらの話題も精神論まで行き着くと熱い議論に変わり、時には言い合いにまで発展してしまう事がある。
しかし彼は、いつも僕が言葉にしている「何事も決めつけるのは良くない」という基本姿勢をいたく気に入っているらしく、そんな僕の考えに嗜められる事も多いようだ。
何事に関しても云える事なのだが、思考を発展させると「こうに違いない」「きっとこうだ」という様に、さらに思考を発展させるため自分勝手に結論付けてしまう。
きっと彼は、そんな自分に気付かされる僕との会話を求めているのだろう。

先日彼が訪れてきた時は、環境問題に関するトピックで花が咲いていた。

「エコだとか俺はぶっちゃけどーでもイイと思うんだけど、いっちゃんはどぅ思う?」
「偽善?」
「とかなんとか、いわないの~っ」
「じゃあ、何だよ」
「正義」
「そーいうことにしておこう」

ひまつぶしに環境問題僕を話題にした僕にもウケるが、そんなたわいのない会話の流れから、ちょっとしたキッカケによって僕らの会話は言い熱い議論に発展した。

環境問題での話題からどのようなタイミングで発せられたかは忘れてしまったが、その言い争いは彼のこんな一言で始まったのだった。

「俺は付き合った女と必ず一回はアナルセックスをする」

「えぇ?まじ?」
「あれ?、やらない?」
「やんねーって、変態じゃん」
「そうかぁ?やってみたいと思わない?」
「だいたいケツの穴に入れるなんて、自分の大切なちんこを巨大なうんこに差し込むようなモンだろ」
「違うな。愛情表現のひとつだ」
「いや、絶対に愛情とは違うだろ。俺も直腸検査とかいって指を入れられた事あるけど、めちゃめちゃ痛かったぞ」
「それは別物だって、AVとかでよく女の子が喜んでるじゃん」
「あれは鍛えられた人達だ。絶対素人が喜ぶ訳ねぇって。それにちんこにうんこ付けて何が楽しい」
「わかってないなぁ、、ちょっと痛がる所がイイんじゃん」
「俺にはわからんね。だいたいその辺に落ちてるうんこをちんこに付けんのと変わらねぇよ」
「おまえ!その辺のうんこと一緒にすんなよ!好きな人のうんこは特別だ!」
「いーや、一緒だ。スカトロ野郎」
「なんだとー!だいたいお前は一度でもやった事があって俺を否定してんのか?」
「いや、一度もない」

「おまえ・・・決めつけは良くないぞ・・・」


人は誰でも、思考を発展させる事によって自分勝手に物事を決めつけてしまうものである。
しかしその「決めつける」という行為は、それら対象への偏見を生み出し、場合によっては他人を傷つけたり悲しませたりしてしまうのも。
ようするに「決めつけは危険」と云っても過言ではないだろう。

しかし時には、決めつける事も必要な項目も存在する。
僕はそう思うのである。

男達の挽歌

2009-04-28 | 日記
先日ちょっとした用事で岡崎市へ出向いた時、懐かしい場所を通りがかった。

その場所というのは、数年前に当時つき合っていた女性と飲みに行ったBarがあった場所だ。
残念ながら当時の面影はなく、現在はすっかりキャバクラへと変貌してしまっていたのだが、ちょっとした想い出のある場所だった。

その店は入り口が壊れていて人がやっと一人通れるくらいにしか開かず、中に入ると薄暗くホコリっぽいほど空気がヨドみ、大音響で流れるMETALLICAの曲が店内を揺らしていた。

カウンターには長髪に不精髭、ちょっぴりだらしない体格で強面のオーナーらしき人物が煙草を吹かし、水を飲むかの如くバドワイザーをラッパ飲みをしている。
そして僕がカウンターへ座りビールを頼むと、足元に積まれたビールケースから冷えていないバドを一本取り出し、栓を抜いて僕へと差し出した。

「なんてロックな店なんだ・・・」

僕は一発でその店の虜になりオーナーの前に移動し話しかけた。
こうみえても僕はバンドマン。
やはりロッケンロールな魂が宿った者同士、溶け込むのにさほど時間はかからなかった。

僕らはロックな話題が尽きる事なく、気付けば日を跨ぐまで話し込んでいた。
そんな中、僕は初めての来店だったにも関わらず、その店の何周年かのイベントへゲストで出場するという話になったのだ。

数週間後、僕はバンドメンバーを召集し、そのロックイベントへと向かった。
僕達は当然のように、その店にいたマッドでヘヴィーなバンドマン達に負けない程の曲を用意し、気合い充分で乗り込んだ。

僕らの出番は、店主が率いる熱くヘヴィーな装いのバンドが演奏する前座だ。

決して多くはなくとも明らかに熱い魂を持ち合わしたロックキッズ達を前に、僕らは Gun's & Roses / Van Halen / Rage / Nirvanaなど、とにかく熱くヘヴィーな曲を次々に繰り出し会場を熱くした。

Heat upする会場と共に、僕のシャウトもキレまくる。

「いくぜー!! This is the song for Fack You!! Get the fack out!!」

ザック・ワイルドに憧れて腕を磨いたギターのマノッチ。
スラッシュメタルで慣らしたスピーディーでパワフルなドラムのダイちゃん。
ルックスからワイルドに重低音を響かせるベースのヨッシー。
そんなヘヴィーな空間に、僕のテンションも最高潮だ。

僕らが出せる最高にクールなステージは、アッという間に過ぎ去った。
それだけ充実した時間だったのだろう。

そして次には、オーナー率いるバンドの登場だ。
自分達の演奏以上に楽しみにしていた僕は、汗だくのステージを終えたばかりにも関わらず着替える事もなく客席へ移り、暴れる為の準備運動をしながらヘヴィーな男達の出番を待った。

数分後。
ハードなダメージのジーンズにワイルドな革ジャン、そんなむさ苦しいほど男々しい出で立ちの面々がステージへ登場し、ワルでクールな雰囲気を会場中にまき散らした。
その雰囲気だけで、僕のハートは熱くなる。

そして次の瞬間、レスポールをかき鳴らすギター音が鳴り響き、ついにステージが始まった。


「お~まえにキッス♪、あいら~びゅ~・・・」


「・・・・。」

僕は持参したTシャツに着替え、家路に付いた。
それ以来、そのお店には行っていない。


そんな想い出がよぎった晴天の午後、愛車のラシーンで岡崎市内を鼻唄まじりに走り抜ける僕がいた。

「お~まえにキッス♪、ふんふんふ~ん・・・」




※ちなみに冒頭の写真は、僕が歌っている貴重な一枚です。

ノスタルジックシンドローム

2009-04-27 | 日記
天気の良い午後。
僕は仕事のお客さんと打ち合わせが終わった帰り道、缶コーヒーを片手に海の近くにある公園のベンチへ座った。

春の暖かな空気が体を包み、夏の到来を予感させる程の湿気を帯びた風が、体の横を吹き抜ける。
そして目の前にある中部国際空港からは、離発着する飛行機が頻繁に行き来している。

僕はそんなぬる~い空気の中、缶コーヒーを片手に何も考え来ず、ヘドロのようにだらけていた。


「・・・・・・ズズズッ...ふぅ。。」


昨日の肉体労働のせいだろうか、心地よい程度の筋肉痛が体を包み込み、火をつけた一本の煙草がダラケモードに拍車をかけた。


「あぁ・・・世界が俺を中心に廻っている・・・・」


ただ言ってみたかっただけである。


そんな臨死体験が何分経っただろうか、僕はフと我に返り、おもむろに手帳を取り出して先程打ち合わせをしていた仕事の見積りを計算する。
死にそうな程だらけているが、一応仕事中なのだ。


「おじさん。何してるの?」

小学生の男子二人組が、突然話しかけてきた。
一人は体格が良く、もう一人は背が低くてニコニコしている。
“ドラえもん”で言うと、恐らくジャイアンとスネオといったところだろう。
僕は「おじさん」という言葉に少しカチンときながら、丁寧に対応をした。

「おじさんはねぇ、UFOと交信してたんだよー」
「うわー、そんなのいる訳ねーじゃん」

何とも失礼な受け答えの少年に少し苛立ちながらも、時間つぶしにとチョットだけ相手をする事とした。

「ところでタケシはこんな所で何してんの?」
「俺、タケシじゃねーよ!」
「じゃあ、何年生?」
「5年だよ!」
「チンチンに毛が生えた?」
「ある訳ねーじゃん!バカじゃねーの!」
「うわ~カッコ悪~。俺ボーボーだぞっ」
「あたりめーじゃん!大人だし」
「お前の好きな女子の名前、言えよ」
「・・・いねーよ!バカじゃねーの!」

体格の良い5年生はムキになり、顔が赤くなる。

「顔が赤いぞっ! ホントは好きな子いるんだろ!」
「うるせー!ばーか!ばーか!」
「うわ~、恥ずかし~! 顔が赤いしっ」
「赤くなってないわ!お前なんかウンコマンだっ!」
「何だとー!タケシの方がウンコマンだっ!」
「タケシじゃねーよ!ばーか!ばーか!」


二人の小学生は時折振り返って「ウンコマン!」と叫び、木の枝で地面に線を引きながら海の方へと去って行った。


そしてまた静寂が波音と共に訪れる。
そんな静寂に何となく哀愁を感じてしまった僕は、もう一度一本の煙草に火をつけた 。


「ジジジッ....ふぅ~。。
・・・・・・・・・・・・
・・・ウンコマンかぁ・・・」


もしかしたら僕はホントにウンコマンなのかもしれない・・・

穏やかな午後、二人の小学生が僕の心に一つの自問を投げかけた。

パールハーバー

2009-04-16 | 日記
先日ご近所のお寺で、バァちゃんの七回忌法要が執り行われた。

朝食を済まして準備を整える中、僕の家がそのお墓の近所という事もあって、少し早く到着してしまった遠方の親戚が「休憩させてくれ」と喪服姿でリビングへ上がり込んでくる。
その光景は、なんだか懐かしささえ感じた。

「そっか・・・あれからもう7年も経ったんだ・・・」


僕は両親と兄、弟、そしてバァちゃんとの6人でずっと生活してきたのだが、その7年前にバァちゃんがこの世を去った。
永年88歳で、大往生と云って良いだろう。

汲取り便所に、オヤジが作った薪の風呂、というボロい平屋で6人家族、慌ただしくも賑やかな幼少時代を送っていた僕の家では、貧乏暇ナシで忙しい両親に代わり、バァちゃんが夏休みなどの旅行へ連れていってくれる事が多かった。
行き先は主に大阪のオバちゃんの家、または名古屋市の北に住むオジちゃんの家。
ようするにバァちゃんにとっての息子、娘の家である。
ちなみにジィちゃんは、僕が産まれる直前に亡くなったのだそうだ。

名古屋の親戚の家は割と近いので頻繁に行っていたのだが、たまに行く大阪は幼い僕にとって非常にエキサイティングな場所だった。
なんせ大阪の親戚一同をはじめ、街行く全ての人々が関西弁を喋っている。
当たり前な事なのだが、当時の僕から見れば街中が漫才師、もしくはヤクザしかいないと思っていたからだ。
そんな勘違いからなのか、僕は幼いながらに「バァちゃんをヤクザから守らなければ」という使命感を持って大阪の街を一緒に歩いていた記憶がある。
きっとバァちゃんはそんな僕の気持ちを察していたのだろう、いつも笑いながら僕の後ろを歩いていた。

同居していただけあって、バァちゃんの想い出は数えきれないほど残っている。
大雨のたびに雨漏りする家の屋根へ登り、瓦を並べ直してちゃんと直った時、満面の笑みで僕を褒めてくれるバァちゃん。
両親が家を建ててから、僕が食事の為に車で実家へ送り迎えをする時など、30歳近い僕に対して毎回のように少ない年金からおこずかいを渡そうとしていたバァちゃん。

とにかく僕の想い出にあるバァちゃんは、いつも優しく、常に笑顔だった。
想い返せば、一度も怒られた記憶がない。

しかし人とは残酷にも、必ず別れの時がやってくる。
バァちゃんにも例外なく、そんな時がやってきた。

そう、治る見込みのない入院をしてしまったのだ。

僕ら家族はいつ何があっても全員に連絡が取れるよう、順番に病院で付き添いをした。
始めにオヤジとママ、次に兄貴、そして僕。
仕事を済ませた僕が病室へ着いた夜、すでにバァちゃんは言葉すら発せられない状態だった。
ベッドの脇に座りバァちゃんの手を取ると、氷のように冷たい。
そして僕を見る目は白く濁り、苦しそうに呼吸をしている。

「頑張って欲しい」と思う気持ちと「早く楽になって欲しい」と思う気持ちが入り混ざり、どんな言葉をかけて良いか解らない僕は一気に心が混乱し、とめどなく涙が溢れ始めた。

「バァちゃん・・・」

そんな僕を察してか、バァちゃんは言葉にならない声で僕に話しかけてきた。

「お・・・お・・・こ・・して・・・」
「え?・・・身体を起こして欲しいの?」

まだバァちゃんが入院する少し前、自力歩行が困難になって布団で過ごしていた頃に、疲れた顔をしている僕を見て一生懸命になって身体を起こし、おもむろに僕の手を取って手の平をマッサージしてくれた事があった。
僕より何百倍も辛い状況なのに、そんな優しさを僕へかけてくれたのだ。
バァちゃんは間違いなくそれをしようとしている。
僕は泣いている自分が情けなくなり、気を強く持ち直して笑顔でバァちゃんに話しかけた。

「ありがと。でもバァちゃんの手の方がずっと冷たいからマッサージしてやるよ」

僕は少しでもバァちゃんの手が暖かくなるよう、優しく、ゆっくりと両手でマッサージを続けた。
するとバァちゃんは、荒い呼吸ながらもゆっくり両目を閉じた。

深夜帯になった頃、しばらく大人しく目を閉じていたバァちゃんだったのだが、よほど苦しいのか、それとも脳に障害が起き始めてしまったのか、突然目を見開いて僕のママの名前を大きな声で呼び始めた。
僕は慌ててバァちゃんの目の前へ顔を近付け、落ち着かせようと必死に話しかける。

「バァちゃん、僕だよ僕、ユタカだよっ」

そして、バァちゃんの声に気が付いた看護士が「どうしましたー?」と少し大きな声で部屋に入ってきた瞬間、我に返ったのか急に落ち着きを見せた。
そして僕の目を見て、こうつぶやいた。

“おこられちゃったね(笑)”

今考えてみれば、恐らくその言葉はほとんど発音されていなかっただろう。
しかしその言葉は間違いなく僕の耳にシッカリと届き、暗闇で見えなかったハズなのに不思議とその時の笑顔が僕の脳裏に残っている。

結局バァちゃんの手は一向に暖かくならないまま、気付けば朝を迎えていた。
そして僕との交代の為にやってきた弟に「なにかあったらスグ電話して」と言い残して病院を後にした。

僕はそのまま仕事のため作業場へ向かった。
その途中お腹が空いている事に気付いた僕は、喫茶店へ入って軽い食事をオーダー。
しかしその食事が出てくるのを待っている最中、僕の携帯は鳴った。
病院を出て、わずか後の事だった。

なんでも家族の中で最後に看病へ行った弟の顔を見て、息を引き取ったのだそうだ。
そういえばバァちゃんが入院前、過労で倒れた弟の事を心配していた。
きっと、そんな状況下でも家族の事を心配していたのだろう。
だから苦しみながらも頑張っちゃったのだと思う。
最後まで、お人好しなぐらいに優しい人だったのだ。

次の日、ジィちゃんが眠るお寺で葬儀が執り行われた。
画家だったジィちゃんが描いた達磨大使の模写が飾られる程に、縁の深いお寺である。

そんな葬儀中、僕は一人のジィさんに目を奪われた。
初めて会ったにも関わらず、一瞬にしてどんな人物なのか解ってしまう程の人。
そぅ、バァちゃんと瓜二つの顔をした兄弟だ。
僕は慌てて確認もしないまま、初対面のジィさんに対し「一緒に住んでいた孫で次男のユタカといいます」と、挨拶をした。

そういえば過去に一度だけバァちゃんに対し「兄妹っているの?」と質問した事があった。
その時バァちゃんは「弟がいるよ」という事を教えてくれ「幼い頃は毎日、雪の中でも井戸水で行水してたよ」というエピソードを聞かせてくれた。
しかしどこに住んでいるのかなど、現在の事とかは何も訊いていなかった。

その葬儀に現れた人こそが、そのバァちゃんが言っていた弟「タグチさん」なのである。

考えてみれば僕が産まれて30年以上、バァちゃんの兄妹の存在をちゃんと考えた事など一度もなかった。
思い返せば、幼い頃にバァちゃんが連れて行ってくれていても良さそうなもの。
しかし何故、葬儀の席まで会う事がなかったのか?
僕不思議に思った僕は、帰りの道でオヤジに尋ねた。
するとオヤジから、意外な言葉が返ってきたのである。

「俺もつい最近まで知らんかったんだよ・・・」

オヤジからすれば母の兄妹「おじさん」だ。
その存在を知らなかったのだという。
そんな不思議な関係を、オヤジは僕に詳しく説明してくれた。

さかのぼること大正時代、長野の田舎で産まれた僕のバァちゃんは妊娠中毒症でスグに母を亡くし、父も名古屋の街で教師をする為に出稼ぎへ出てしまっていた為に、祖母の手一つで育てられていたそうだ。
年に一度ほど帰ってくる父は「名古屋へ一緒に連れて行きたい」と持ちかけるものの祖母は猛反対。
なぜなら父がすでに名古屋で新たな家庭を築いて子供も2人いた為に、腹違いの孫娘が迫害を受けてしまうと不安に感じていたからだ。
しかし父が毎回持ちかえる土産、田舎では売っていないビンに入ったジュースや駄菓子などを目にし、そんな未知な魅力に導かれるかのよう祖母の反対を押し切って名古屋の父の元へ。
案の定、初めて会った新たな母からの虐待など、多々の苦労があったらしい。
しかし父が働いていた「教師」という職は、当時とても高貴な職だったため家柄が良く、無事に女学院まで進学。
その後、風呂屋の息子と恋に落ちたのだが、家柄からして「風呂屋の息子などと一緒になるなど」と親の猛反対を受け、やむなく駆け落ち。
そして家から勘当をされてしまったのだそうだ。
その事により、兄弟と離ればなれになってしまったのだという。

ようするに、僕がバァちゃんから兄弟の現在について「訊いていなかっただけ」なのではなく、バァちゃん本人でさえ兄弟の所在を知らなかったのだ。

しかしバァちゃんが亡くなる2年程前、そのタグチさんが探偵に頼んでバァちゃんの所在を突き止め、訪れてきたのだという。

そこまでの話を訊いて関心する僕に対し、オヤジはさらに驚くべき話を始めた。

僕が物覚えのついた頃から仏壇前に飾ってあったジィちゃんの遺影。
ベレー帽を被って煙草を吹かしている芸術家ならではの写真だ。
そこまでの話だけなら、間違いなくその写真の中にいる僕のジィちゃんは、大阪のオバちゃん、名古屋のオジちゃん、僕のオヤジの「父親」であり、そして話に出てきた「風呂屋の息子」のハズ。

しかし、それが違うのである。

駆け落ちして家を飛び出したバァちゃんに待っていた運命のイタズラ。
それは第二次世界大戦。
バァちゃんが駆け落ちした相手「風呂屋の息子」は、間もなく戦争に召集されて娘との2人を置いて戦火の中へ。
そして、帰らぬ人となってしまったのだという。
しかし戦争へ出向く前、一人の親友にこう伝えたそうだ。

「俺に何かあったら、妻と娘を頼む」

そう、その親友こそが、僕のジィさんなのだ。

昔「パールハーバー」という映画を見た時、未亡人になっていく妻達や、親友に恋人を託して出撃していく兵士を目の当りにし、とても切ない気持ちになった事があった。
そんな事が現実に、こんなに身近な人が経験していたのである。

しかしバァちゃんはそんな波瀾万丈を抱えつつも、孫の僕はおろか、オヤジやオバちゃんなど自分の子供達にさえ話さず、いつも明るく笑顔で、誰にでも優しく周りの人達と接していた。
産まれてスグに母親を亡くし、父は見知らぬ土地で家庭を築き、血が通わない新たな母から虐待を受け、命がけで手に入れた恋人を亡くし、戦火のもと僕のジィちゃんと始めた新しい生活の場も空襲で焼かれ、そのジィちゃんにも先立たれてしまったという過去が、僕の産まれる前にあった。
しかし僕の記憶にあるバァちゃんは、ただ優しく、いつも笑顔で明るい人。
僕はそんなバァちゃんを、スゴイと思った。

人はそれぞれに様々なドラマを抱えている。
考え方や価値観など、それも人それぞれ。
しかし身近な人のドラマを知った時、思い入れが強いぶん、より大きく感じる事がある。
それを僕は体験したのだろう。
きっと故人を敬う気持ちは、こうして生まれてくるに違いない。

仏堂に響き渡るお経の中、オヤジからの順番で焼香が行わた。
そして兄に続いて焼香をした僕も、ゆっくりと遺影の前で黙祷をし、手を合わした。

「よくわからんけど、バァちゃんありがとう・・・」

便利さの代償

2009-04-02 | 日記
我々人類は、便利さの追求によって進歩を成し遂げてきたといっても過言ではないだろう。
生活をより便利にする為あらゆる道具を生み出し、それをさらに発展させる。
それらの繰り返しによってさらに便利な文明社会を生み出し、より豊かな生活をおくる事が出来るのだ。

しかし、一つ忘れてはイケナイ事がある。
物質的世界では、便利さや快適さでの進歩は必ずマイナスの側面を伴っている。という事である。
便利さや快適さの追求により、地中温暖化など環境面のマイナスを始め、心理的知的世界における活動と知識もまた、心理的矛盾の増大のために苦悩を伴うことが多いとも言われている。
このような事は誰もが一つは身に覚えがあるに違いない。


そんな便利な道具の一つとして、近年で言えばインターネットは外せないアイテムの一つであろう。
現在、インターネット利用者数は6,942万人とも言われ、人口普及率も54.5%にまで到達するなど、今やインターネットは現代社会において、とても欠かせない存在になりつつあるようだ。

そんな僕も最近は、プライベートでも仕事でもインターネットを活用する機会が増えてきた。
仕事に関する情報処理からデータ送受、通信販売やオークション、、もちろんこのブログまで、ありとあらゆる使用目的がある。
なんといっても何か解らない事を調べるのが非常に便利だ。
使用頻度としては、ほぼ毎日のように使っているだろう。

しかし最近、そんな便利なインターネットにおいて、非常に悪い傾向がみられるようになってきた。

それは、なにか調べものをしたついでに、アダルトサイトを見てしまうという事だ。

さすがに仕事中はそんな事をしないのだが、プライベート用のPCに関しては“お気に入り”にまでしてしまっている。
そして気に入ったエロい画像や動画など“夜のおかず”用にとダウンロードし、フォルダにしまって大事に保管。
最近では画像や動画が増え過ぎてPCが重くなってしまう程である。

こんな事でイイのだろうか?
自分がエロいのは百も承知。
しかし、だからといって、パソコンのモニターに映し出されるエロい画像に興奮し、それを必死で収集する自分。
きっとこの行為にかなりの時間を費やしているに違いない。

「楽しいか?」と訊かれれば、残念ながら楽しい。
「やめなさい」と言われてもやめられないとまらないのである。

これだけ定期的に時間を費やしている楽しい事ならば、すでに趣味と言っても過言ではないだろう。


「最近の貴方の趣味は何ですか?」
「はい。ダウンロードです」


いや・・・切な過ぎる。。


このように、便利さの追求によって得る事が出来る豊かさと引換えに、心理的なマイナス面を得てしまう事もあるのだ。
これは、便利さを求めるが故の現代病とも言えよう。

何事もバランスが大事。
時には「ムダ」とも言える行動に、重要な価値があるのかもしれない。

日常に潜む小さな危険

2009-04-01 | 日記

「ごく小さな物によって致命傷を負う」

例えば、とても大切な会議があった時、たった1枚の10円玉が足りなかったが故に電車を乗り過ごし、大遅刻をして進退問題に至る事だってある。
このように、たった一つのモノによって大きな痛手を負ってしまう事例など、数えきれない程あるだろう。

以前僕は、そんな「とてもとても小さな物」が一人の女の子を不幸へ導くような場面に遭遇した。

その日、僕らはシン君の車に男3人で乗り合わせ、胸を高鳴らせながら女子3人が待つ居酒屋へと向かっていた。
車内ではアホのようにハシャぐ男3人。
そう、久しぶりのコンパで浮かれていたのである。

数十分後、その会場へと到着した僕らは、反射的に到着していた女の子を舐める様に見渡した。
一人は小柄で可愛らしい深津絵里似。
もう一人は細身で背が高く、顔が落合監督夫人。
そして残りは武蔵丸。

男達は一斉に深津絵里へと話しかける。

「はじめまして! 待たせてゴメンね! 待ったよね?!」

しかし一番ニアサイドに位置していたヒロ君が主導権を奪取。
遅れをとった僕とシン君は、渋い顔を見合わせながら落合夫人と武蔵丸の前へと座った。

僕の前には落合夫人。

「ウッズも抜けたし、川上もメジャー行っちゃって来期は大丈夫ですかね?」
「へ?」
「あ、いや、細くてスタイルがイイですねぇ」
「あはは、一応これだけは自慢なんですぅ~」
「へ・・・へぇ~。。じゃ、そのナイスバデェーで男泣かせちゃったりしてるんだぁ ~・・・」
「でもカラダ目当てで寄ってくる男が多いから困っちゃうの~」
「げ!そんなゲテモノ・・・いや、そんな悪い奴がいるんだねぇ」
「だから男って、なかなか信用できないのぉ~」
「そ・・・そーだねー・・・」

空中分解寸前な僕達の会話を他所に、楽しそうに会話が盛り上がるヒロ君と、携帯画面を見つめ続けるシン君。
そんな状態が1時間近く続いた後、女性陣がトイレへと一斉に立ち上がる。
そして男3人になった時、ヒロ君が意外な事を口にした。

「ねぇ、席替えしない?」

すっかりローテンションになっている僕達が最初に言い出すようなセリフを、ヒロ君が自ら言い出したのである。

「いいの?」
「うん。すっごい話しにくいんだよ。なんか気になって・・・」
「なんか??」
「面と向かって話しすれば解るよ」

僕達は何も理解出来ないまま、まずはシン君が深津絵里の前へ座った。
そしてトイレから帰ってきた女性陣との会話が再開。

約20分後。
シン君が僕の腰を突つき、トイレへと誘う。

「今度お前があの子と話せよ。カズの言ってた事が解るからさ」

あの中では明らかに一番可愛い。
しかし何故か二人ともその場から離れようとするのである。
とにかく真相を明かにすべく、トイレから戻った僕は深津絵里の前へと座った。

「ちわ。」
「はじめて話すね。さっきからお話ししたかったのよっ」

可愛くて愛想も良い。どこがどう気になるのか僕には解らない。

「あ、俺も話したいって思ってた!カワイイしね」
「そんな事ないよ~。なかなか彼氏出来ないしさぁ~」
「え~、すぐ出来そうじゃん」

可愛いからか、先程より会話が弾む。
そんな調子で楽しく会話が続いていた時、ついに僕も彼らが言っていた“気になる何か”に気付いてしまったのだ。

“あ、肩に白い糸くずが・・・・・・糸くず??”

“ん?・・・・毛?”

その白い毛を辿っていった僕は唖然とした。

“ホ・・・ホッペのホクロ毛!!・・・しかも白いし長い!!”

「ねぇ、私の話ちゃんと聞いてる?」
「あ・・・うん。・・・で、何だっけ?」

“本人は気付いていないのか? いや、そんなハズはない!
気付かずにあそこまでロンゲに育てるなんて不可能だ!
ひょっとして「福毛」とかいって縁起物として育てているのか?
イマドキそんな・・・これは思いきって注意するべきなのか?
いや、そんな事で傷付かれてても困るし・・・”

「お~い、聞いてるか~?」
「あ、ごめん!・・・今ちょっと宇宙に行ってたかも」

その後の僕は、明らかに口数が少なくなっていった。
別に彼女がブサイクな訳でもない。
話がつまらない訳でもない。
ただ“毛”が気になるだけなのである。

あの“毛”さえ無ければ、あの“毛”さえ処理されていれば、間違いなく彼女はそのコンパ会場でNo.1ヒロインをぶっちぎり、男達の目を釘付けにして電話番号を聞かれまくっていただろう。
しかし非常に残念な事に“毛”があったのだ。

「そんなの彼女が他を向いているスキに抜いちゃえばイイじゃん」

そう言う人もいるだろう。
しかしそういう問題ではない。
その瞬間、その場所で、ホクロから毛が生えているのが問題なのだ。
それはまぎれもない事実として僕等の脳裏に焼き付き、3代末裔まで語り継がれる事だろう。
そしていつしか物語となり、映画化されるに違いない。

物質的には0.1mmにも満たない細さで、ようやく肉眼で捉える事ができる程度の微々たる毛。
それがちょっとした生えている場所の違いで、恐ろしい程の破壊力を発揮してしまうのである。
日常に潜む超小型中性子爆弾。
人間ならば誰でも持っている超危険物質である。

恐らく“毛”に限った事ではない。
普段は何でもない物が、時と場合、目的などによっては異常なまでの破壊力を生み出す事を、誰もが常に心掛けておく必要があるのだ。