ロングドライブ

「VW PASSAT VARIANT」と「PEUGEOT 3008」でのロングドライブ記録です。(2019/09/11)

北の国へ(北海道)2

2022年07月03日 | ドライブ

2022年6月22日

いよいよ北の国・北海道に上陸する日となった。

前日宿泊したホテルを朝7:00頃出発すると、一路東北道を青森目指して走った。
フェリーで向かうのは函館(北海道)の港である。この津軽海峡を渡るには「青函フェリー」「津軽海峡フェリー」の2社があり、当初予定したのは青函フェリーの方だった。フェリー乗場に着いて確認した所、11:35の函館行きが出ないことが分かり、急遽津軽海峡フェリーの10:00発函館行きに変更したのだった。

写真2枚目は函館山

フェリー乗場に着いたのが9:30近くだったため、少々焦ったが何とか乗船することができ、函館にはほぼ時刻表通りの13:40に着いた。
こうしていよいよ北海道上陸となった。

函館に着くとホテルのチェックインには少々早いので、今回の目的の一つ「源義経ゆかりの地めぐり」で「船魂神社」に行くことにした。

船魂神社」は学校の敷地内らしく入ることができなかった。仕方なく帰り道に通った「八幡坂」で撮影。
この景色も有名で、函館のお約束の景色のようになっている。

この日宿泊の「ホテル パコ函館」にチェックイン開始(15:00)ギリギリに到着すると、早速ホテル自慢の天然温泉に入った。
泉質はさっぱりした感じのものだったが、旅の疲れを癒してくれるような感じがした。

走行距離: 213km
給油: なし

6月23日(木)

北海道2日目。

ホテルを7:30頃出発すると、R228を西に向かった。今日の目的地は江差追分(えさしおいわけ)で有名な江差である。
上の地図でも分かる通り、函館からさして距離がある訳ではないため、比較的のんびりと進むことにした。

最初に立ち寄ったのは松前だった。

江戸時代、蝦夷地を所領とした松前藩の城下。
松前城(福山城)は昭和24(1949)年に焼失したりした。

松前に寄ったのは「源義経ゆかりの地めぐり」の関係もあった。この城内には幾つかの神社仏閣もあり、その一つ「光善寺」の境内に義経ゆかりのものがあるのである。

光善寺」の境内は綺麗に手入れがされていた。

これが義経直筆(義経が矢じりで彫ったとされる)の碑だ。矢じりで彫ったと言うには結構大きな字であり、写真のように字もしっかりしている。

松前町の3大名桜の1つ「血脈桜(けちみゃくざくら)」。

松前藩屋敷」として当時の街並みらしきものが再現されていた。

松前藩沖ノ口奉行所」。

自身番」。本来の「自身番」は目明しの勤務場所だったが、ここ松前では火の見番所となっていたそうだ。番所の横に火の見櫓(やぐら)がある。

武家屋敷」。

松前を後にしてR228を江差目指して北上した。

途中のパーキングにて。

更に先の「道の駅 上ノ国もんじゅ」で昼食を摂ることにした。

2Fのレストランで頼んだのがこの「てっくい天ざる」。

てっくいって何?答えは写真をご覧戴きたい。北海道民でも多くは知らないと言う話もある。
興味津々で食べてみたが、淡白な味の白身魚と言う感じだった。確かにヒラメなので当たり前と言えば当たり前である。

江差では「かもめ島」に立ち寄った。江差では江差のシンボル的島ともされているようだ。

この白い岩が「義経が残した馬」で、岩になって今も主の帰りを待っているとされている。

鳥居の奥の岩(奇岩?)が「瓶子岩」。

夕日の展望灯台」。

江差追分節記念碑」と灯台。

弁慶の足跡」。満ち潮の時には水没してしまうらしい。このようにくっきり足跡が出ている光景に出会えたのはラッキーだった。

このかもめ島には明治維新の時、幕臣「榎本武揚」がこの「開陽丸」で函館まで逃げて来たという。最終的に開陽丸かもめ島で座礁し沈没したらしい。

かもめ島を見てからこの日宿泊の「ホテル ニューえさし」にチェックインした。

夕飯は安直にホテルの目の前にあった「江差会館」という居酒屋で食べることにした。
タコの刺身は「真ダコ」となっていたが一切れが大きく、食べ応えがあった。また、店の名物として「ウニ玉」があり、タップリのウニの玉子とじは非常に美味しかった。

走行距離: 172km
給油: なし



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