ロングドライブ

「VW PASSAT VARIANT」と「PEUGEOT 3008」でのロングドライブ記録です。(2019/09/11)

西海道(九州)周遊 3

2018年08月27日 | ドライブ

2018年6月20日(水)

九州旅行3日目。この日は福岡から大分に入りたいと考えていた。
最初に向かったのは筑前国(ちくぜんのくに)一之宮筥崎宮(はこざきぐう)である。前日泊まった「ベッセルホテル福岡貝塚」からは10分かからない距離だった。

この筥崎宮、ものの資料には「一之宮」と載っているが、由緒書(ゆいしょがき)にもHPにも「一之宮」の文字は見えない。訪問目的は勿論1.旧 一の宮と言われた神社に行くこと。であるが、もしかすると的外れだったのかも知れない。
ただ、由緒書によれば、筥崎宮筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれ、日本三大八幡宮(宇佐(大分)、石清水(京都))の1つとされているとのこと。

筥崎宮に着いた時、天気は生憎の雨模様だった。丁度通勤、通学の時間帯に差し掛かる頃で、駅に向かう(多分)サラリーマンや学生の姿が目立った。

境内に入ると、お潮井(おしおい;禊祓(みそぎはらえ)に基づくもので、この砂を外出の際に身に振りかけて災厄を逃れることを祈ったり、田畑に撒いて虫よけや豊作祈願をする。)や

木造の亀山上皇(かめやまじょうこう;第90代天皇(鎌倉時代)元寇(げんこう)の際に全国の寺社に国家の安泰を祈願した。)

湧出石(わきでいし;この石に触れると運が湧き出ると言われている。八幡様のパワースポット)などがあった。
祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)の3柱であるが、応神天皇八幡神(はちまんしん)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)などとも呼ばれ、八幡宮の祭神となっている。また神功皇后の息子とされ、当宮では親子で祀られていることになる。ただ分からないのは玉依姫命で、この神は神武天皇(じんむてんのう;初代天皇)の母とされているので、何故ここで登場するのかが不明である。

筥崎宮を後にすると、次に香椎宮(かしいぐう)に向かうことにした。目的は興味の湧くものだったが、何が私の興味を引いたかと言うと、2世紀終わりから3世紀にかけての頃、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が神功皇后を伴って九州に熊襲(くまそ)征伐にやって来てこの地で亡くなり、後を継いだ神功皇后はこの地に宮(現 香椎宮)を造り、ここをベースキャンプとして朝鮮半島の国新羅(しらぎ、しんら)征伐のために兵を送ったとされているためである。
筥崎宮から香椎宮までは20分足らずの距離だった。

香椎宮に着くと早速参拝に向かったが、ここでも雨は降ったり止んだりで、足元は良くなかった。

境内には神木(しんぼく)の綾杉(あやすぎ)があり「神功皇后様が「とこしえへに本朝(みくに)を鎮(しづ)め護(まも)るべし」と祈りこめられてお植えになった杉で 紀元860年(西暦200)のことであります」と解説されていた。
元が宮だったからであろうか、通常の神社の造りとは少し違うようにも思われた。
祭神は主神を仲哀天皇神功皇后、配祀に応神天皇住吉神としている。

香椎宮を出ると、次は宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)に向かった。目的は興味の湧くもので、神功皇后がここで祈って新羅征伐に出発したとされている。香椎宮から宮地嶽神社までは30分ほどだった。

かなり広い駐車場から参道に入り、鳥居を潜ると階段を上り更に幾つかの鳥居を潜って神門に辿り着く。

神門の奥には正に巨大な注連縄(しめなわ)の吊られた拝殿がある。当社の由緒書には3つの日本一として「大注連縄」「大鈴」「大太鼓」が書かれてあり、その1つがこの巨大な注連縄と言うことになる。と言うことは、巨大注連縄で有名な出雲大社(島根県)よりも大きいと言うことになる。敢えて大きさの比較は記さないが、日本一かどうかも別として、大きいことは間違いない。

拝殿の後ろの本殿は屋根だけが見え、まるで黄金のように輝いていた。

宮地嶽神社の次は宗像大社(むなかたたいしゃ)を目指した。目的は興味の湧くものである。宮地嶽神社から宗像大社までは15分ほどの距離だったが、正確に言えば、宗像大社は沖ノ島(沖津宮)、大島(中津宮)、宗像本土・田島(辺津宮)の2島を含む3つの宮からなっているため、今回は宗像本土・田島(辺津宮)のみ行くことにした。
さて、目的の興味の湧くものであるが、宗像大社の祭神は田心姫神(たごりひめのかみ;沖津宮)、湍津姫神(たぎつひめのかみ;中津宮)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ;辺津宮)の3柱だが、この3柱の神を称して「宗像三神(むなかたさんしん)」と言う。実はこの三神は広島県宮島の厳島神社(いつくしまじんじゃ)の祭神でもある。宗像大社厳島神社の関係は分からないが、三神をそのまま祀る形態に興味を持ったのである。当社の由緒書によれば、宗像神(宗像三神)を祀る神社は厳島神社(いつくしまじんじゃ;広島)、松尾大社(まつのおたいしゃ;京都)、竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ;滋賀)、江島神社(えのしまじんじゃ;神奈川)、善知鳥神社(うとうじんじゃ;青森)など全国各地に6200社を数えるとしている。
突飛な推測かも知れないが、京都の松尾大社は渡来人秦氏が祀った神社としても有名である。と言うことで、宗像神を祀った全国の神社は、もしかすると秦氏と何らかの関わりがあったのかも知れない。

観光地としても有名な当社は、流石に手入れも行き届き、綺麗な境内、綺麗な社殿だった。大社造りと言うのであろうか、通常の神社とは明らかに社殿の造りが違っていた。

宗像大社を後にすると、大分県に入り、豊前国(ぶぜんのくに)一之宮宇佐神宮(うさじんぐう)に向かった。ここの目的は1.旧 一の宮と言われた神社に行くこと。と同時に興味の湧くものでもあった。
宗像大社から宇佐神宮までは東九州道を経由して約1時間半で行くことができた。
宇佐神宮一之宮と言うよりは全国の八幡宮、八幡神社の総本宮というイメージの方が強い。かの有名な(主に関東では)鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう;神奈川)は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう;京都)を源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に勧請(かんじょう)したものと言われるが、元の石清水八幡宮はこの宇佐神宮を勧請したものと言われる。

宇佐神宮の駐車場から社殿に向かう途中に、神武天皇(初代天皇)が日向(ひむか、ひゅうが;宮崎)の地を出て大和(やまと;奈良)に向かう(神武東征(じんむとうせい))途中で、当地に立寄ったとする碑があった。因みにこの碑は日本書紀の記述を基に昭和15年に造られたようである。

宇佐神宮上宮下宮とあり、伊勢神宮内宮外宮のような関係にあるようだった。但し、伊勢ほど規模が大きい訳ではなく、上宮下宮は同じ境内に存在している。

境内の下宮解説板に「下宮参らにゃ片参り」とあったこともあり、上下両宮を参拝させて頂いた。
祭神は八幡大神(はちまんおおかみ;応神天皇)、比売大神(ひめおおかみ;宗像三神)、神功皇后(じんぐうこうごう)である。

宇佐神宮の参拝を終えると、次に湯布院にある宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)に向かった。目的は興味の湧くものであるが、正直なところ、何故ここを選んだのか今となっては思い出せない。

広い駐車場の脇に・・・否、参道の脇に広い駐車場があり、そこに車を止めると社殿に向かった。

拝殿、本殿は中の島に設けられているようにも見えたが、社殿の周りを池にしている、弁天社のようにも見える造りとなっていた。
祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにさつちのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、神倭磐余彦尊 (かむやまといわれひこのみこと;神武天皇(じんむてんのう))、神渟名川耳尊 (かむぬなかわみみのみこと;第2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう))の6柱である。

境内には「ご神木の切株」が3つ置かれていたが、説明書きに「平成3年9月27日の台風19号により参道、社殿等に倒伏した杉、144本やむなく伐採処理し切り株の大なるものをここに存置する。」とあった。

宇奈岐日女神社を後にすると、この日宿泊予定の「鶴崎ホテル」に向かった。同ホテルは天然温泉に入れると言うことで、ここを予約したのだった。

走行距離: 249km
給油量: なし



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