へるしーな日々

            やーやの日記
             折々に、思いつくままに・・・
     

義父の最期

2008-03-18 20:36:55 | メモリー

義父のことを、もう少し書いておこうと思います。
95歳で亡くなる1ツキほど前から、肺に水がたまりだした義父は、かかりつけの医師の指導のもとに酸素発生装置を家に置き、寝室とダイニングで使えるように、長いパイプを用意してもらっていた。

酸素を吸入すると楽なのか、食事のときは自分ひとりで食べるより、ダイニングで家族と一緒のほうがいいと、パイプをつけたまま食卓についていた。そんな体調でかなり苦しい状態だったと推測するが、本人はびっくりするくらい、意識ははっきりとしていた。

容態が変化して、食欲もおちてから2,3日医師の往診を受け、そのままその医師の付き添いでに入院となった。家族は義父のほか、その息子のジィジ・やーや・Sの三人だった。
Sにおぶわれて、車に乗り病院へ向かう途中も意識はあり、見知っている桜並木を通るときには、「はやく桜が咲かないかな~」と言っていた。

この言葉が 終の言葉 となってしまった。
緊急外来についた義父の様子をみた、その病院の医師は私たちに向かい、気管送管しますか?と聞いてきた。
私たちは、あまり医学的な知識もないままに、気管送管をしないとどうなるのですか?と尋ねた。
医師は、「自然にまかせれば、あと数時間の命かもしれません。」と言う。

一瞬、迷いながらその場にいた三人は「それではお願いします」と答えていた。夜中の1時、気管送管され、人口呼吸器をつけた義父は少し落ち着いたように見えた。
だが喉を切り、気管送管すると言葉を発することができない。これが、なんとも哀れだった。

身内の者が次々と会いに来てくれ3日目、義父は息をひきとった。

七回忌を終え、義父の息子であるジィジは、ポツンと言った。

「父は、言葉が発せなくなる、気管送管を本当に望んでいたのかな~

自分のときは、気管送管しないでくれな!」

そんなことは、無理よ! 命があと数時間と言われれば、身内の者は少しでも延命を願うョ・・・
本当にそう望むなら、元気なときに家族に徹底していなければ・・・

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

重い話題をめずらしく二人で語りあったジィジとやーやでした。

それにしても95歳まで気丈に、人としての尊厳を保ち生きた義父のことは、私たちのそうありたい・・・というお手本でもあります。

合掌

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2 コメント

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おはようございます (チーコ)
2008-03-19 09:29:39
yumemiruさん、
義母も去年12月に94歳でなくなりました。間際まで意識ははっきりしていましたから普段は近寄りがたいほどにしっかりした人でした。人は必ず最後の時を迎えますが私達も最後まで生きる、という事を教えられました。
返信する
生きる (yumemiru)
2008-03-19 16:40:30
チーコさんへ
コメントありがとうございます。
チーコさんの義母さんも、長生きなさったようですね。
誰しも年をとっていく訳ですが、うまく年を重ねるというのは、やさしいようで、むずかしいと思います。
亡き義父は自分もそのようにありたいと思える、数少ないお手本でした。
前向きに・希望を失わずに参りましょう!
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