よかった探し

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亡き父との思い出

2021年09月12日 09時30分00秒 | 日記
私の父は、豪快で繊細でロマンチストな人だった。


あまりにも強烈な人物だったので、
亡くなってずいぶん経つが、
父との思い出が色褪せることはない…。


父は東京下町の北千住で、
駄菓子屋をやっていた
それはそれは貧乏な家で
三男坊として育った。


貧しかったので、
父の母は、口減らしの為
無理矢理病院に入院させられていたので、
父は母の愛情を知らずに育ったらしい…。


父の父は、雷親父で
悪さをすると庭の柿の木に
くくりつけられたと、父からよく聞かされた。


子供の頃は、ガキ大将、
その後、父の二人の兄の影響(七光り?)で
番長となった。


そのまま進んでいたら、
違う未来があったかもしれないが、
一番上の兄がその道から
軌道修正させてくれたらしい。


その後は、一生懸命勉強し、資格をとって
建築士をやっていた。
家で、専用の道具を使って
緻密な製図を書いている姿を思い出す。。


ひどい大酒飲みで
常に大五郎など4Lの焼酎が並んでいて
毎晩、酔っ払い、盛大なからみ酒をしていた。


シラフの時は、すごい無口なのに
お酒が入ると大声でがなられ、説教をされるので、
夕飯が終わると、
大至急部屋に引っ込むようにしていた💨


無口で、バリバリの威圧感を放っていたので
近寄りがたかったが、
何かあった時は、前に出て守ってくれる人だった。


私が家の近くで真っ昼間から痴漢にあった時も、
たまたま出張帰りで家にいた父が、
鬼の形相で👹逃げた犯人を探し回ってくれた。


父の口癖は、
「人生50年!」だった。


そして、本当に50歳でぽっくり逝ってしまった…。
出張先で、脳出血だった。
予言していたのか、有言実行なのか、
最後まで、波瀾万丈な人生だった。。


息子が、
じぃじに会いたかったなとよく言うので、
一目だけでも会わせてあげたかったなぁと
思う今日この頃である。


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2 コメント

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Unknown (多摩爺)
2021-09-12 09:58:32
感慨深く読ませていただきました。
私は女房の尻の下に敷かれるのを是とする爺さんですので、
お父様の真似はできませんが、
もっと長生きしなきゃと思った次第です。
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Unknown (yukota)
2021-09-12 10:18:19
コメントありがとうございます😊
実は、もっと凄まじく亭主関白な父だったのです💧
私は、奥様の尻に敷かれてくれてる人の方が、優しくて素敵だなぁと思っております✨
こんな父でも、長生きしてほしかった…と思っているので、多摩爺さんもご家族の為に健康に過ごして下さい😌
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