12/5(土) くもりび。ツレアイと娘と3人で、都電見たさに大塚駅周辺を歩きました。
その都電荒川線は軌道式でワンマンバスみたいです。三ノ輪橋から早稲田まで街中を走ります。おもちゃのプラレールで娘と遊んだを頃を思い出してしまいました。大塚駅前で都電はほぼ直角に曲がります。
南口からゆるい坂を上がって下がって巣鴨教会です。
多くの童謡の作曲で知られる山田耕筰は10歳で父を亡くし、この教会の前身である「自営館」で13歳まで働きながら過ごしました。彼の思い出に共感した北原白秋が後に「からたちの花」を作詞しました。楽譜を記した記念碑が敷地内にあります。
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ
青い青い針のとげだよ
からたちは畑(はた)の垣根よ
いつもいつもとおる道だよ
昔、この付近は牧場が多かったそうです。東福寺には山門脇に疫病で死んだ牛の「疫牛供養塔」がありました。懐かしい?二宮金次郎の像も、、、。
そこからJR山手線を江戸橋で渡り、少し行って右に曲がり、真性寺を過ぎると、左手にあの有名なおばーちゃんたちの原宿?巣鴨地蔵通り商店街が始まります。ここからずっと都電荒川線の庚申塚駅まで続く夢の?商店街です。縁日のような活気と懐かしさがあふれています。
少し歩くと右手にひときわ賑わうのは「とげぬき地蔵」です。境内にある「洗い観音」は病気や痛いところを洗うと効き目があるそうで行列が絶えませんでした。
「とげぬき地蔵」から白山通り(国道17号)を渡り豊島中央卸売市場の先を右に進むと徳栄山本妙寺です。
ここにはあの「遠山の金さん」や剣豪「千葉周作」の墓、明暦の大火(振袖火事)の供養塔などがあります。空が広く見えますが少し雨が心配になってきました。
朝日通りを歩いて都電の踏み切りを渡ると妙行寺。明治42年に四谷から移転された日蓮宗のお寺です。ここには「東海道四谷怪談」のお岩の墓があります。墓を示す道標が境内にいくつも残されています。
そう、そうしてこれが、お岩さんの墓です。
右となりに忠臣蔵の浅野家の墓と浅野内匠頭夫人・瑞泉院の供養塔があります。
境内には「とげぬき地蔵」の境内にあったのと同じ「洗い観音」があります。こちらは行列なしです。豊島中央卸売り市場が近いせいか「うなぎ供養塔」、「魚河岸供養塔」もありました。
再び白山通りに出て、巣鴨に戻るように歩き、都電を渡って右に行きます。
庚申塚です。猿田彦大神を堂に祀っています。それで三猿(見ざる・云わざる・聞かざる)なのかしら。庚申塚は中山道の立場(休憩地)として賑わったそうです。都電庚申塚駅を渡って左に行きます。
都電荒川線の路線図です。この路線に沿って歩くのもきっといいと思います。終点の早稲田の前には面影(おもかげ)橋なんて駅もあるんですね。
明治女学校跡は西巣鴨幼稚園のところにありました。少し先には大日堂。建立した春海和尚は脇のお堂の石仏の中央におられました。
大日堂の上にはみかん。お堂の向かいにはシコンノボタンが美しい青い花を咲かせていました。近所にはトトロの小さなぬいぐるみが干されています。