goo blog サービス終了のお知らせ 

道行きロマン

主に市街地 近郊をハイキングしています!

懐かしい上野公園周辺をひとめぐり

2016年09月11日 | まち歩き

9/11(日) うす曇り 27℃。久しぶりにツレアイと歩きました。ツレアイの仕事が忙しくて出かけるのは7月の尾瀬沼以来です。8月は土日も休めず働き通しでした。疲れ果てているようなので、足慣らしと気分転換に上野公園をひとまわりです。

上野駅は広いです。入谷口にはどう行けばいいか分かりますか?公園口と反対の浅草側の改札口です。あまり利用されていません。改札を出ると巨大なジャイアントパンダのぬいぐるみがあって、待ち合わせ場所としては良いみたいです。

今日歩く地図です。右手から谷中、根津、池之端辺りを歩いてアメ横に出ればいいかな。

浅草方向を見るとスカイツリーです。上野駅の鉄路をまたぐパンダ橋で公園口に向かいます。

パンダ橋の碑に書かれた文字はかくかくでした。中国の祐筆家に「熊猫」と書いていただくのもどうかですが、記憶に残りました。

上野公園に入ります。もう何十年振りかの西郷隆盛の銅像です。高村光雲が制作しましたが、連れている薩摩犬は別の方が造りました。

公開された像を見たときに西郷の妻糸子は「うちの人はこげんな恰好で人前に出るような人ではなか!浴衣姿で散歩なんぞしよらん」といきどおったそうです。ですが、軍服姿ではみんなに愛される「上野の西郷さん」にはならなかったでしょうね。江戸城を無血開城させ、徳川家の不満分子たちが蜂起した彰義隊をこの上野山で撃破したのです。とはいうものの西郷自身は薩摩に帰ってから郷土の志士に請われて西南の役で政府と戦います。そんな西郷さんがなぜ上野の森に立って親しまれているのか。考えてください。清水観音堂にお参りします。昔の浮世絵のままに月の松がありました。

さらに進むと野球を愛した正岡子規の記念球場です。「春風や まりを投げたき 草の原」

国立西洋美術館は今年の夏、ル・コルビジュエの建築作品のひとつとして世界遺産に登録されました。

入館しなくてもロダンの彫刻などで圧倒されてしまいます。

素晴らしいオブジェクトの脇に青いみかんを見つけました。

西洋美術館のお隣は科学博物館です。何度も来ました。巨大なシロナガスクジラの像は見ごたえがあります。小さな眼が可愛い。(愛)

国立博物館も今回は中に入らず通り過ぎるだけです。

通りを進むと右手に立派な武家屋敷の黒門です。因州池田屋敷の表門です。屋根は入母屋風、門の左右に向唐破風造りの備えで大名屋敷表門として最も格式が高いものです。昭和26年9月に重要文化財に指定されました。もとは丸の内3丁目(丸の内大名小路)に建てられましたが、明治25年に芝高輪台の常宮御殿の表門として移築、のちに東宮御所として使われた後に高松宮家に引き継がれ、昭和29年にここに移築されたそうです。あまり目立ちませんし、中に入ることもできませんが、ぜひ歩道から柵越しに見ていただきたいお勧めのチェックポイントです。

京成電鉄の駅跡がありました。昭和8年に開業し、平成9年に休止しました。「博物館動物公園駅」です。味わいのある駅舎です。昭和の香りがします。にぎわった当時がしのばれます。

この交差点の向かいに黒田記念館があります。

浴衣姿の女性(後に妻となる)を青い色彩で描いた「湖畔」が有名です。日本近代画家の巨匠ですが、この建物も昭和3年に竣工、美術建築として国の有形登録文化財になっています。そしてそのおとなりが国際こども図書館です。

上野にはなぜこうした贅をつくした建物が多いのだろう。そしてこの辺り一帯には、なぜ住居がないのだろう。

芸大を過ぎて言問い通りを横断します。谷中です。根津神社も近いです。そちらには行きません。池之端に向かいます。ところで作家の池波正太郎さんが通ったという昭和9年創業の甘味店を見つけました。「愛玉子(オーギョーチイ)」と言います。看板メニューは店名と同じ愛玉子600円です。台湾の新高山に密生する植物の種を使った寒天のようなスイーツです。

引き返して言問い通りを少し歩いて谷中6丁目で左折、上野高校、清水坂と下ると水月ホテルがありました。敷地内に明治の文豪、森鴎外の旧居を保存していて会食場としても利用されています。

さらに下って不忍通りの手前には池之端児童公園があって都電車両7500形が展示してあります。ここはかつて都電停留所「池之端七軒町」があった場所です。それから不忍池を散策しました。

池には弁天島が設けられ、弁天堂には弁財天が祀られています。

ゴイサギを見つけました。シラサギのような優美さはありません。動かずにじっとしていました。

不忍池は最近流行りのポケモンGOをする人たちで連日大賑わいだそうです。あたしも思わずコイキングを5匹とコクーンをひとつ捕まえてしまいました。不忍通りに出る手前に下町風俗資料館があったので見てみました。昔はどこにでもあった井戸端や駄菓子屋、カフェの昭和レトロ感は良かったです。

浅草の彫刻師とらさんが実演されていました。名刺代わりといって千社札風のとらさんの札をいただきました。これは色刷りだから神社には張らない、江戸っ子の意気(趣味)で作るものだそうです。

ツレアイは昔の公衆電話をしげしげと見入っていました。

アメ横を少し歩いて上野駅から帰ります。3時間くらいの散歩でした。午後2時近かったので「二八蕎麦」で軽い昼食をとりました。ツレアイよ、早く今の仕事を完成させて、ハイキング習慣にもどろうね。

おしまいにマンホールコレクションをひとつ。東京23区内のマンホールはイチョウのデザインで統一されていますが、上野公園には異種がいました。サクラのマンホールはきっとここだけだと思います。

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。