祖母が亡くなった。
99歳だった。
亡くなる3日前まで元気に畑仕事をしていたそうだ。
100歳まで生きると張り切っていた。
ばあちゃんなら間違いなくそうなると思っていた。
高齢の人たちは「家族に迷惑をかけたくないから、PPK(ピンピンコロリ)が理想」だという。
確かにそうかもしれない、長く床に臥せることは本人にとってもその家族にとっても辛いことだと思う。
だけど、突然の別れは心の準備が間に合わなくて辛いと祖母の死で思った。
子供のころは毎年夏休みには長期滞在して、ド田舎生活を満喫していた。
祖母は「よく遊び、よく学ぶ」の実践者だったから、「よく学ぶ」を嫌う私はよく叱られた。
成長と共に足が遠のき、最近では母から祖母の様子を伝え聞く程度だった。
お世話になったのに、何も恩返しをしていないという後悔が私の辛さの原因。
人も物も今あるものは、これからも存在すると思いがち。
「そうじゃないけぇ、大事にせんといけん」と最後にばあちゃんに叱られた気がした。
99歳だった。
亡くなる3日前まで元気に畑仕事をしていたそうだ。
100歳まで生きると張り切っていた。
ばあちゃんなら間違いなくそうなると思っていた。
高齢の人たちは「家族に迷惑をかけたくないから、PPK(ピンピンコロリ)が理想」だという。
確かにそうかもしれない、長く床に臥せることは本人にとってもその家族にとっても辛いことだと思う。
だけど、突然の別れは心の準備が間に合わなくて辛いと祖母の死で思った。
子供のころは毎年夏休みには長期滞在して、ド田舎生活を満喫していた。
祖母は「よく遊び、よく学ぶ」の実践者だったから、「よく学ぶ」を嫌う私はよく叱られた。
成長と共に足が遠のき、最近では母から祖母の様子を伝え聞く程度だった。
お世話になったのに、何も恩返しをしていないという後悔が私の辛さの原因。
人も物も今あるものは、これからも存在すると思いがち。
「そうじゃないけぇ、大事にせんといけん」と最後にばあちゃんに叱られた気がした。