気まぐれ五線紙 Jazz

古き良きジャズを懐かしんで - スウィングしなけりゃジャズじゃない

Blue Note best jazz collection / Sonny Rollins

2012年02月10日 | Blue Note best collection



「Blue Note best jazz collection」 3号は懐かしのソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)だ。

   DeAGOSTINI Blue Note best jazz collection / Sonny Rollins


ソニー・ロリンズの音は、聴いた瞬間に彼と判る。

因みに、私の数少ないジャズコレクションの中のソニー・ロリンズも2枚だ。

   「気まぐれ五線紙 Memory」 Sonny Rollins ( ソニー・ロリンズ )


ソニー・ロリンズは1930年9月7日生れで現在81歳だが、いまも世界で活動しているようである。
ブルーノートとの契約は1956年~1957年で、4枚のアルバムがリリースされているようだ。

この本には、マイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックを語るには、そのリーダー的資質やアレンジ能力にも触れなければその魅力は伝えられないが、ソニー・ロリンズについては彼の演奏そのものがすべてを物語る、と書かれている。まさに私も同感である。

彼は8歳の頃からピアノを習い始め、11歳でアルトを吹くようになり、16歳でテナーに持ち替えている。
テナーに変えたのはコールマン・ホーキンスの影響のようで、なんとホーキンスはロリンズの近くに住んでいたそうで、ホーキンスの家にまで押しかけているようだ。
また、ニューヨークに生れ育った彼には、この頃のセッション仲間にジャッキー・マクリーンがいたようだ。
高校を卒業した彼はすぐにプロとなったようで、1948年には18歳で早くもレコーディングをしている。
1951年の頃、彼を親身に理解してくれたのがマイルス・デイヴィスで、なんとマイルスはロリンズのためにピアノまで弾いているようだ(そうなんだ)。

ソニー・ロリンズの失踪はよく聞く話だが、1954年から1972年の間に3回いなくなっているようだ。
1954年は麻薬の根絶で、1956年は周囲からの評価と自分が考える実力とのギャップによるもので、いまの自分の演奏がこれでいいのかという自問自答があったようだ。最後の1969年はジョン・コルトレーンが亡くなったことによるものらしい。彼のあの豪快な音の裏には、意外にも繊細で真摯な面が隠れていたようだ。


Blue Note best jazz collection / Sonny RollinsのCDは今回も5曲収録だが、ブルーノートとの契約は1956年の暮れだったようで4曲が1957年の録音で、ロリンズの音としてはピンポイントな音となる。
(例によって記載順は録音順にしたが、今回はほとんど意味が無い)

2. 「Decision デシジョン」
  (Music by Sonny Rollins)    録音: 1956年12月16日
Donald Byrd(tp) / Sonny Rollins(ts) / Wynton Kelly(p) / Gene Ramey(b) / Max Roach(ds)

ブルーノートでの記念すべき1枚目のリーダーアルバム「Sonny Rollins Vol.1」の1曲目に収録されている。
ロリンズの自作曲で、ハード・バップだ。
1956年は積極的に活動した年だったようで、その1年の最後に行われた録音ということになる。


4. 「You Stepped Out Of A Dream ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム」
  (Word & Music by Gus Kahn / Nacio Herb Brown)    録音: 1957年4月14日
J.J.Johnson(tb) / Sonny Rollins(ts) / Horace Silver(p) / Paul Chambers(b) / Art Blakey(ds)

ブルーノート2枚目のアルバム「Sonny Rollins Vol.2」の5曲目の曲だ。


1. 「Asiatic Raes エイジアティック・レエズ」
  (Music by Kenny Dorham)    録音: 1957年9月22日
Sonny Rollins(ts) / Wynton Kelly(p) / Doug Watkins(b) / Philly Joe Jones(ds)

アルバム「Newk's Time」の2曲目に収録された曲だ。
不規則に不思議なリズムを刻むケニー・ドーハムの作品で、多くのジャズメンが取り上げている曲のようだ。


3. 「The Surrey With The Fringe On Top 飾りのついた四輪馬車」
  (Word & Music by Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers)    録音: 1957年9月22日
Sonny Rollins(ts) / Philly Joe Jones(ds)

上の「Newk's Time」の4曲目の曲で、ロリンズはベースも外したドラムスだけをバックに演奏している。
こういった場合のアドリブでも、やはり彼の頭の中にはコード進行は有るのだろうか。

彼は1985年にニューヨークの近代美術館ですべての曲をテナー1本で行ったことがあるようだ。
(その時のライブ盤が「ザ・ソロ・アルバム」で、彼は1時間近い長時間のアドリブをしているようである)


5. 「Namely You ネイムリー・ユー」
  (Word & Music by Johnny Mercer / Gene De Paul)    録音: 1957年9月22日
Sonny Rollins(ts) / Wynton Kelly(p) / Doug Watkins(b) / Philly Joe Jones(ds)

同じく「Newk's Time」から最後の収録曲である。
フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムとのやりとりが、なんだか面白く、ロリンズらしい音が楽しめる。


ところで、ソニー・ロリンズは細かいことは気にしないで、感性でのびのびと雄大に歌うタイプの人だが、これに対しブルーノート側は数日間リハーサルを行い万全の体制で本番に入るそうで、彼にとっては苦手だったようだ。
ところが、1956年の初録音で彼は、共演者との綿密な打ち合わせをして収録したそうで、その時の写真がページ一面に載せられていて、なんだかそれらしくていい。

いやぁ、しかしロリンズの音を聴いていると、若い頃を思い出し、昔懐かし、これぞジャズという気がしてくる。


話はブルーノートに変わって、ブルーノートが会社として設立されたのは第1号が発売され、2回目のレコーディングも行なわれた1939年4月の翌月5月のようで、この5月にはその2回目のレコードも発売されたようだ。
ただ、興味深いのが、この時アルフレッド・ライオンは登記に必要な300ドルが無く、資金稼ぎに港湾労働者として働いたりしたようだ。(当時のアメリカの300ドルがいかほどの額かはよく解らないが)
しかし、その300ドルは出来ず、ライオンはジャズマニアのライター、マックス・マーグリスという人を、共同経営者に向かい入れたようである。(マックス・マーグリスは1947年頃に会社を離れているようだ)

ブルーノートの3回目のレコーディングは、1939年の6月8日に行われたようで、この時にシドニー・ベシェ(ss・cl)が加わり彼のソプラノ・サックスをフィーチャーした「サマータイム」が録音されている。この発売がこの年の冬のようで(ずいぶん時間が開いている)、売り上げは徐々に伸び1年間で2000枚以上プレスしたらしい。(1号は50枚だ)
この「サマータイム」のおかげで、ブルーノートの経営は一気に好転し、アルフレッド・ライオンは自分のオフィスを構えることが出来たようだ。
また、この時にドイツから渡米してきた旧友フランシス・ウルフという人をブルーノートに招き入れている。



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Blue Note best jazz collection / Herbie Hancock  ※2月7日追記

2012年02月06日 | Blue Note best collection



「Blue Note best jazz collection」の2号はハービー・ハンコック(Herbie Hancock)だ。

   DeAGOSTINI Blue Note best jazz collection / Herbie Hancock


今回の2号には付録が付いていた。
それは「JAZZ KEYWORDS」と称する、ちょっとした辞典だ。
ページ数(Word数)は少ないが悪くはない。

因みに、私の数少ないジャズコレクションの中にはハービー・ハンコックは無い。

ハービー・ハンコックは1940年にシカゴに生れ育っている。
彼は、大した下積み時代も無く、1962年22歳の時にブルーノートと契約し「テイキン・オフ」でデビューしている。
そして、翌年にはマイルス・デイヴィスの新クインテットに加わっているようである。

彼は公務員の父を持ち、7歳でクラッシックピアノを始め、なんとその4年後11歳でシカゴ交響楽団と共演している。
そして、14歳でジャズに興味を持ったようだ。
高校卒業後はアイオワ州のグリンネル・カレッジで電子工学を専攻していたが、途中から音楽へ専攻を変えた。
20歳の時に、ドナルド・バード(tp)と出会い、ドナルド・バードは彼をニューヨークに呼んで、アルフレッド・ライオンに紹介している。

1962年から1969年にかけて彼のレコードは作られているのだが、大半はハンコックのオリジナルのようである。
これはライオンがハンコックの長所をアピールするには自作曲がいいと考えたからのようだ。
また、驚いたことに、これらの中にはピアノ・トリオの録音が無いそうである。これがハービー・ハンコックの特徴のようで、彼は作編曲家として総合的な即興表現のクリエーターということのようだ。

ハービー・ハンコックは1960年代、モダンジャズの伝統から脱却するための方法論を、主にメロディーや和音の面から模索したようだが、1970年代以降にはファンク音楽にいち早く接近したり、ヒップホップを大胆に取り入れたり、アフリカンドラムをテーマにしたりとか、リズム面で試行錯誤をしたそうだ。

また、彼は映画音楽にも、その才能を発揮したらしい。

Blue Note best jazz collection / Herbie HancockのCDには、今回も5曲が収録されている。
(前回と同様に記載順は録音順とした)

3. 「Watermelon Man ウォーターメロン・マン」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1962年5月28日
Freddie Hubbard(tp) / Dexter Gordon(ts) / Herbie Hancock(p) / Butch Warren(b) / Billy Higgins(ds)

ハービー・ハンコックが初のリーダー作「Takin'off テイキン・オフ」の1曲目の曲のようだ。
彼はクールで知的な魅力とポップでファンキーな部分を持っているようだが、この曲は後者の代表作のようだ。


5. 「Cantaloupe Island カンタロープ・アイランド」
  (Music by Harbie Hancock)    録音: 1964年6月17日
Freddie Hubbard(cor) / Herbie Hancock(p) / Ron Carter(b) / Tony Williams(ds)
(※ウェブには「Anthony Williams」と書かれているが「Tony Williams」の間違いであろう ・・・ その旨連絡した)

ハービー・ハンコック4枚目のリーダーアルバム「Empyrean Isles エンピリアン・アイルズ」の3曲目の曲だ。
この曲でのフレディー・ハバードはコルネットを吹いている。
カンタロープとは、それを食べると不老不死になるという、オレンジ色の果肉のメロンの一種だそうだ。
ウォーターメロン・マンの続編とも言うべき曲だそうだ。


1. 「Maiden Voyage 処女航海」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1965年3月17日
Freddie Hubbard(tp) / George Coleman(ts) / Herbie Hancock(p) / Ron Carter(b) / Tony Williams(ds)
(※ウェブには「Anthony Williams」と書かれているが「Tony Williams」の間違いであろう ・・・ その旨連絡した)

ハービー・ハンコック5枚目のリーダーアルバム「処女航海」の1曲目の「処女航海」だ。
1960年代後半以降、コンセプト・アルバムが一般的になっていったそうで、このアルバムはその草分け的な存在であったようだ。テーマは「海」だ。
この曲はもともとは英国皇室ご用達ブランド、ヤードリーのコロンのコマーシャル用メロディーだったそうで、当初のタイトル名は「TVジングル」となっていたのを、ハンコックの妹が「処女航海」と付けたということだ。


4. 「Riot ライオット」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1968年3月6日
Thad Jones(flh) Peter Phillips(b-tb) Jerry Dodgion(a-fl) Herbie Hancock(p) Ron Carter(b) Mickey Roker(ds)

1963年にマイルス・デイヴィス・クインテットが誕生しているが、ハービー・ハンコックは1968年までマイルスのもとで活動を続けたようだ。
※マイルス・デイヴィス・クインテット: マイルス・デイヴィス(tp) / ハービー・ハンコック(p) / ロン・カーター(b) /
  トニー・ウイリアムス(ds) / ジョージ・コールマン(ts) → サム・リヴァース(ts) → ウェイン・ショーター(ts)
そのマイルス・デイヴィス・クインテットで、1967年のアルバム「ネフェルティティ」に収められていた自作曲を、その
1年後にリーダー・アルバムで再録音したのが、この「ライオット」のようだ。


2. 「Speak Like A Child スピーク・ライク・ア・チャイルド」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1968年3月6日
Thad Jones(flh) Peter Phillips(b-tb) Jerry Dodgion(a-fl) Herbie Hancock(p) Ron Carter(b) Mickey Roker(ds)

ハービー・ハンコック6枚目のリーダーアルバム「Speak Like A Child スピーク・ライク・ア・チャイルド」の2曲目だ。
この曲、フリューゲルホーン、ベース・トロンボーン、アルト・フルートの3本の管が、アンサンブルでバックを務める
ピアノ・トリオとなっている珍しい曲というかハンコックらしいと言うべき編曲となっている。
なんでも、1968年1月に彼はマイルス・デイヴィス・クインテットで、この曲の録音を試みたことがあるそうなのだが、決定テイクを残すことが出来ないまま終わってしまったそうである。


ところで、ハービー・ハンコックはいつも小さなテープレコーダーを持ち歩き、すべてのライブを録音していたらしく、遅れてきても、すぐにピアノを弾かずに、まずやることはテープレコーダーのセッティングだったそうだ。

また、彼の共演相手はジャズ界にとどまらず、ロック系、R&B系のアーティストの数も多かったようである。
(スティーヴィー・ワンダー、カルロス・サンタナ、ミック・ジャガー、ポール・サイモンほか)


話は変わって、ブルーノートの記念すべき初録音は第二次世界大戦突入間際の1939年1月6日だったようだ。

最初の録音はミード・ルクス・ルイス(p)とアルバート・アモンズ(p)だったようだが、この時のアルフレッド・ライオンは当然ながら録音の経験は無く、有るのは情熱だけだったそうだ。
そこで手助けをしたのが、ライオンの友人で経験豊富なプロデューサー、ジョン・ハモンドだったということである。
アルフレッド・ライオンの、ミュージシャンに最高の演奏をさせてあげたいというこだわりは、既にこの録音の時からあったようで、2人のピアニストが気持ちよく録音できるよう環境を作ったり、当時の録音が3分前後であったのだが、この時の2人の録音は4分前後で、自由に演奏してもらうようにしたようだ。

この日の収録では、2人で18曲だったのだが、当時主流の10インチSP盤では収まらなかった。そこで、ライオンは商業性の無い(ミュージックボックスで使えない)12インチSP盤を使うことに踏み切った。ここにもライオンのこだわりが感じられる。(※12インチSP盤はさらに割れやすく、クラシック用にたまに使われる程度だったそうだ)
全18曲の中から彼が厳選したのが、ルイスは「メランコリー」と「ソリチュード」、アモンズは「ブギウギ・ストンプ」と「ブギウギ・ブルース」のブギウギ4曲だったそうで、当時ビッグバンド・ジャズ華やかなりし時のブギウギだった。
つまり、彼は当時の流行に乗るのではなく、自分のこだわりで選んだ音楽がブギウギだったわけだ。
ブギウギは、この後全米で人気を得ることになる。(彼は時代の先を読んだ)

ブルーノートのレーベル「BLUE NOTE」だが、彼はジャズの中でもブルースの曲を好んだそうで、レーベル名も当初「BLUES NOTE」を考えていたが、5文字 + 4文字では収まりが悪いということで「S」を抜いたそうである。
そして、いまでは考えられない数だが、この記念すべき初レコードは約50枚ずつプレスされ、関係者への配布用を除いて約30枚が、録音から3カ月後の4月に売りだされたそうだ。
この初レコードはすぐに売り切れ、「BLUE NOTE」は幸先良いスタートを切ったようである。

12インチSP盤について、昔懐かし油井正一氏は「水増しはたまらんな」と聴く前から不安になったそうだ(笑)。




〈 2月7日 追記 〉
「Anthony Williams / Tony Williams」についての問い合わせに対する回答は以下の通りだ。

アンソニーが本名、トニーはいわゆる愛称であり、正式な表記は「Anthony Williams」ですが一般的には「トニー・
ウィリアムス」と呼ばれています。
付録CDジャケットは、当該曲の収録アルバムの表記にならい、またデザインを考慮してローマ字で表記しております。なお、本誌の本文は、わかりやすく馴染みのあるカタカナ表記でご紹介いたしました。

とのことだ。

再度、ネット上で確認したところ、たしかに、回答いただいた通りのようだ。
ただ、であれば、本体の「本」の方の記載も「アンソニー・ウィリアムス」と記載するか、あるいは注釈を付けるべきだと思うのだが、付録の方のみが本名というのもいかがなものかと思う。
おそらくは、担当者が異なるための結果だとは憶測するが、私のように知識の無い者も読んでいるわけで、打ち合わせをして書いてもらいたいものだ。



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