気まぐれ五線紙 Jazz

古き良きジャズを懐かしんで - スウィングしなけりゃジャズじゃない

Blue Note best jazz collection / Herbie Hancock  ※2月7日追記

2012年02月06日 | Blue Note best collection



「Blue Note best jazz collection」の2号はハービー・ハンコック(Herbie Hancock)だ。

   DeAGOSTINI Blue Note best jazz collection / Herbie Hancock


今回の2号には付録が付いていた。
それは「JAZZ KEYWORDS」と称する、ちょっとした辞典だ。
ページ数(Word数)は少ないが悪くはない。

因みに、私の数少ないジャズコレクションの中にはハービー・ハンコックは無い。

ハービー・ハンコックは1940年にシカゴに生れ育っている。
彼は、大した下積み時代も無く、1962年22歳の時にブルーノートと契約し「テイキン・オフ」でデビューしている。
そして、翌年にはマイルス・デイヴィスの新クインテットに加わっているようである。

彼は公務員の父を持ち、7歳でクラッシックピアノを始め、なんとその4年後11歳でシカゴ交響楽団と共演している。
そして、14歳でジャズに興味を持ったようだ。
高校卒業後はアイオワ州のグリンネル・カレッジで電子工学を専攻していたが、途中から音楽へ専攻を変えた。
20歳の時に、ドナルド・バード(tp)と出会い、ドナルド・バードは彼をニューヨークに呼んで、アルフレッド・ライオンに紹介している。

1962年から1969年にかけて彼のレコードは作られているのだが、大半はハンコックのオリジナルのようである。
これはライオンがハンコックの長所をアピールするには自作曲がいいと考えたからのようだ。
また、驚いたことに、これらの中にはピアノ・トリオの録音が無いそうである。これがハービー・ハンコックの特徴のようで、彼は作編曲家として総合的な即興表現のクリエーターということのようだ。

ハービー・ハンコックは1960年代、モダンジャズの伝統から脱却するための方法論を、主にメロディーや和音の面から模索したようだが、1970年代以降にはファンク音楽にいち早く接近したり、ヒップホップを大胆に取り入れたり、アフリカンドラムをテーマにしたりとか、リズム面で試行錯誤をしたそうだ。

また、彼は映画音楽にも、その才能を発揮したらしい。

Blue Note best jazz collection / Herbie HancockのCDには、今回も5曲が収録されている。
(前回と同様に記載順は録音順とした)

3. 「Watermelon Man ウォーターメロン・マン」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1962年5月28日
Freddie Hubbard(tp) / Dexter Gordon(ts) / Herbie Hancock(p) / Butch Warren(b) / Billy Higgins(ds)

ハービー・ハンコックが初のリーダー作「Takin'off テイキン・オフ」の1曲目の曲のようだ。
彼はクールで知的な魅力とポップでファンキーな部分を持っているようだが、この曲は後者の代表作のようだ。


5. 「Cantaloupe Island カンタロープ・アイランド」
  (Music by Harbie Hancock)    録音: 1964年6月17日
Freddie Hubbard(cor) / Herbie Hancock(p) / Ron Carter(b) / Tony Williams(ds)
(※ウェブには「Anthony Williams」と書かれているが「Tony Williams」の間違いであろう ・・・ その旨連絡した)

ハービー・ハンコック4枚目のリーダーアルバム「Empyrean Isles エンピリアン・アイルズ」の3曲目の曲だ。
この曲でのフレディー・ハバードはコルネットを吹いている。
カンタロープとは、それを食べると不老不死になるという、オレンジ色の果肉のメロンの一種だそうだ。
ウォーターメロン・マンの続編とも言うべき曲だそうだ。


1. 「Maiden Voyage 処女航海」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1965年3月17日
Freddie Hubbard(tp) / George Coleman(ts) / Herbie Hancock(p) / Ron Carter(b) / Tony Williams(ds)
(※ウェブには「Anthony Williams」と書かれているが「Tony Williams」の間違いであろう ・・・ その旨連絡した)

ハービー・ハンコック5枚目のリーダーアルバム「処女航海」の1曲目の「処女航海」だ。
1960年代後半以降、コンセプト・アルバムが一般的になっていったそうで、このアルバムはその草分け的な存在であったようだ。テーマは「海」だ。
この曲はもともとは英国皇室ご用達ブランド、ヤードリーのコロンのコマーシャル用メロディーだったそうで、当初のタイトル名は「TVジングル」となっていたのを、ハンコックの妹が「処女航海」と付けたということだ。


4. 「Riot ライオット」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1968年3月6日
Thad Jones(flh) Peter Phillips(b-tb) Jerry Dodgion(a-fl) Herbie Hancock(p) Ron Carter(b) Mickey Roker(ds)

1963年にマイルス・デイヴィス・クインテットが誕生しているが、ハービー・ハンコックは1968年までマイルスのもとで活動を続けたようだ。
※マイルス・デイヴィス・クインテット: マイルス・デイヴィス(tp) / ハービー・ハンコック(p) / ロン・カーター(b) /
  トニー・ウイリアムス(ds) / ジョージ・コールマン(ts) → サム・リヴァース(ts) → ウェイン・ショーター(ts)
そのマイルス・デイヴィス・クインテットで、1967年のアルバム「ネフェルティティ」に収められていた自作曲を、その
1年後にリーダー・アルバムで再録音したのが、この「ライオット」のようだ。


2. 「Speak Like A Child スピーク・ライク・ア・チャイルド」
  (Music by Herbie Hancock)    録音: 1968年3月6日
Thad Jones(flh) Peter Phillips(b-tb) Jerry Dodgion(a-fl) Herbie Hancock(p) Ron Carter(b) Mickey Roker(ds)

ハービー・ハンコック6枚目のリーダーアルバム「Speak Like A Child スピーク・ライク・ア・チャイルド」の2曲目だ。
この曲、フリューゲルホーン、ベース・トロンボーン、アルト・フルートの3本の管が、アンサンブルでバックを務める
ピアノ・トリオとなっている珍しい曲というかハンコックらしいと言うべき編曲となっている。
なんでも、1968年1月に彼はマイルス・デイヴィス・クインテットで、この曲の録音を試みたことがあるそうなのだが、決定テイクを残すことが出来ないまま終わってしまったそうである。


ところで、ハービー・ハンコックはいつも小さなテープレコーダーを持ち歩き、すべてのライブを録音していたらしく、遅れてきても、すぐにピアノを弾かずに、まずやることはテープレコーダーのセッティングだったそうだ。

また、彼の共演相手はジャズ界にとどまらず、ロック系、R&B系のアーティストの数も多かったようである。
(スティーヴィー・ワンダー、カルロス・サンタナ、ミック・ジャガー、ポール・サイモンほか)


話は変わって、ブルーノートの記念すべき初録音は第二次世界大戦突入間際の1939年1月6日だったようだ。

最初の録音はミード・ルクス・ルイス(p)とアルバート・アモンズ(p)だったようだが、この時のアルフレッド・ライオンは当然ながら録音の経験は無く、有るのは情熱だけだったそうだ。
そこで手助けをしたのが、ライオンの友人で経験豊富なプロデューサー、ジョン・ハモンドだったということである。
アルフレッド・ライオンの、ミュージシャンに最高の演奏をさせてあげたいというこだわりは、既にこの録音の時からあったようで、2人のピアニストが気持ちよく録音できるよう環境を作ったり、当時の録音が3分前後であったのだが、この時の2人の録音は4分前後で、自由に演奏してもらうようにしたようだ。

この日の収録では、2人で18曲だったのだが、当時主流の10インチSP盤では収まらなかった。そこで、ライオンは商業性の無い(ミュージックボックスで使えない)12インチSP盤を使うことに踏み切った。ここにもライオンのこだわりが感じられる。(※12インチSP盤はさらに割れやすく、クラシック用にたまに使われる程度だったそうだ)
全18曲の中から彼が厳選したのが、ルイスは「メランコリー」と「ソリチュード」、アモンズは「ブギウギ・ストンプ」と「ブギウギ・ブルース」のブギウギ4曲だったそうで、当時ビッグバンド・ジャズ華やかなりし時のブギウギだった。
つまり、彼は当時の流行に乗るのではなく、自分のこだわりで選んだ音楽がブギウギだったわけだ。
ブギウギは、この後全米で人気を得ることになる。(彼は時代の先を読んだ)

ブルーノートのレーベル「BLUE NOTE」だが、彼はジャズの中でもブルースの曲を好んだそうで、レーベル名も当初「BLUES NOTE」を考えていたが、5文字 + 4文字では収まりが悪いということで「S」を抜いたそうである。
そして、いまでは考えられない数だが、この記念すべき初レコードは約50枚ずつプレスされ、関係者への配布用を除いて約30枚が、録音から3カ月後の4月に売りだされたそうだ。
この初レコードはすぐに売り切れ、「BLUE NOTE」は幸先良いスタートを切ったようである。

12インチSP盤について、昔懐かし油井正一氏は「水増しはたまらんな」と聴く前から不安になったそうだ(笑)。




〈 2月7日 追記 〉
「Anthony Williams / Tony Williams」についての問い合わせに対する回答は以下の通りだ。

アンソニーが本名、トニーはいわゆる愛称であり、正式な表記は「Anthony Williams」ですが一般的には「トニー・
ウィリアムス」と呼ばれています。
付録CDジャケットは、当該曲の収録アルバムの表記にならい、またデザインを考慮してローマ字で表記しております。なお、本誌の本文は、わかりやすく馴染みのあるカタカナ表記でご紹介いたしました。

とのことだ。

再度、ネット上で確認したところ、たしかに、回答いただいた通りのようだ。
ただ、であれば、本体の「本」の方の記載も「アンソニー・ウィリアムス」と記載するか、あるいは注釈を付けるべきだと思うのだが、付録の方のみが本名というのもいかがなものかと思う。
おそらくは、担当者が異なるための結果だとは憶測するが、私のように知識の無い者も読んでいるわけで、打ち合わせをして書いてもらいたいものだ。



コメント
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