このタイトルはジョン・レノンのアルバム「心の壁,愛の橋」から取りました。
これはジョンの最後のオリジナル-アルバムで、次作「ロックンロール」はクラシック-ナンバーのカバー集でした。
ここに載せたアマゾン-レビューを読むと、当時のジョンは洋子と喧嘩し別居中で、毎晩深酒してスランプに陥っていたそうです。
確かにそんな辛い心持ちが伝わってくるアルバムで、これまでのジョンの楽天的な作品とは正反対の感すらあります。
この作品はジョンの熱狂的なファンからは不評で、当時のジョンはそうした「追っかけファン」と諍いを起こし、それが彼の悲劇的な最期につながってしまいました。
因みにファンから狙撃されたスーパースターとしてはボブ・マーリーも有名で、彼は一命を取り留めてアメリカに亡命しますが、ジョンが逝った翌年にメラノーマという珍しい皮膚ガンで亡くなります。
ここで私事に話を移しますが、レノンやマーリーのような天才ですらスランプに陥るのだから、わたしも少しそれにあやからせて貰います。
ここ数日の間ブログが書けなかったのは、今回の旅で一番のスランプに陥っていたからですが、それはもう過ぎたコトなので駆け足で語らせて貰います。
まず、シバ神の聖地パシュパティナートを深堀りしていて、大人のボン-サークルとの付き合いが余りに「お金目当て」に思えて来たので見切りを付けて若者達のサークルに加わったのですが、アグレッシブなボーイが居て酔っ払ったわたしの胸ポケットからお金をパクって逃げ、てっきりクレジットカードも取られたと思ってパニクり停止しようとしましたが、幸いカードは無事でホッとし、その勢いでカジノで沢山引き下ろして勝負したら大勝ちしてしまいました。
それは1ヶ月ほど通って負けが込んだ10万円程に匹敵し、ポケットは1000ルピー札(最高紙幣、千円強)で溢れかえって何でも街では自由になり、すっかり仏舎利塔を建設中の山へ登る気が失せてしまいました。
その不義理が祟ったのか、結局最後にはカジノにキッチリ巻き上げられ、更に香港行きの飛行機に乗り遅れてチケット代の五万円がパーになってしまいました。
これは翌日の飛行機に乗り換えるコトも出来たのですが、それにも手数料はかなり掛かりVISAの延長もしなければならなかったので、面倒で他の航空会社に乗り換えました。
インド航空のデリー-トランジットが一番安かったのですが、当日の便ではマレーシア航空のクアランプール-トランジット(六万円)が有ったのでそれにしました。
これは夜12時の便だったので、それまで近くのパシュパティナートで付き合って来た人々に挨拶を済ませられ、このボンの聖地をすっかり制覇した心持ちで出発できました。
因みにカトマンドゥの空港は物凄く混んでいて中に入るのにも30分は並ばされ、航空会社のカウンターでも1時間は並ばされたので、出航の3時間前には行くコトをお勧めします。
半日ほどトランジットしたクアラルンプール空港は、デリー空港よりも遥かに洗練されていてまるで日本のようでした。
これはマレーシアの印象に通じ、この国は東南アジアでは1番洗練されていて英語もみんな話せます。
まあそのぶんタイやベトナムなんかよりは異国情緒に欠けると言え、わたしには空港だけでもう十分でした。
それから午後の便で香港へ飛び、サービスの良いマレーシア航空で美味しい食事とワインを飲みながら久々に映画も2本観て、海に浮かぶ雲も綺麗で堪能して夕方香港に降り立ちました。
この小さな国には以前に3ヶ月ほど滞在したコトがあるので、タイと同じく一万円だけ両替してそれで一週間は過ごせる自信があります。
もうすっかり香港の旅のペースは掴めてスランプからは抜け出せたので、次回は快調に旅を語れそうです。