物語の舞台は平凡な田舎町で、サイモン&ガーファンクルが「My little town」で「nothing but dead」(ただ死んでるだけ)と歌っている様な所です。
最初は本当に「死んでる」ような町でしたが、知的障害児のディカプリオが問題を起こすコトで俄に活気付いて来ます。
ギルバートはその問題児の兄で、大型スーパーによって潰れる定めの食料品店で働いています。
彼の母は父が自殺して以来家に引き籠もり、食べ続けて二階にも上がれない程の巨体に成ってしまっております。
もう1人この家にはとても反抗的な妹もおり、ギルバートは家族の面倒を見るのに追われて自分の夢や恋を追うコトなど到底できませんでした。
アメリカの田舎の熟年女性は本当に「相撲取り」みたいに太っていて、それがフツーと言ってもいい位です。
これは明らかに病的な社会現象で、ギルバートの母はその象徴的な存在です。
彼女はディカプリオが留置場に入れられると、そこに乗り込んで行き物凄いヒステリーで幼なじみの署長に迫り、息子を取り返します。
お母さんの活躍はそれだけに留まらず、流れ者のヒッピーの娘を家に引き留めてギルバートとくっつけようとします。
彼女は自分がギルバートの足枷になっていると悟り、「二階のベッドルームに行く」という命懸けの挑戦をして、心臓発作で逝きます。
あらすじの紹介はここまでにしますが、この一家は最後にはみんな幸せを掴み、町も潤いを取り戻してハッピーエンドになります。 だいぶファンタジックな結末なのも、シビアな現実をしっかり描いているので許せる物語です。
ここで少し私の経験を語らせて貰いますと、「フォレスト ガンプ」「二十日鼠と人間」「ギルバート グレイプ」と、続けて発達障害者を描いた映画を紹介してきましたのは、私がそうした障害児ケアの仕事をしていたからです。
これは知り合いの立ち上げた施設(さいたま市 願いの家)で、半年しか手伝っていませんが、私自身も彼等のように発達障害になり、その気持ちを知ろうと努力しました。(この方法については、芥川賞作の「介護入門」をご参照下さい)
その経験から述べますと、彼等は人一倍感受性が強く、他人との共感力も高くてある意味では幸せな人々です。
しかし感情の起伏が激し過ぎるキライはあり、かなり不器用なのでフツーの人々の助けが必要になります。(短期記憶が苦手)
話を「ギルバート」に戻しますと、彼は弟を繰り返し喜ばす術を心得ており、繰り返すコトに喜びを見いだす術も弟から教えられます。
これはおそらく家庭を幸せにする術でもあり、平凡な毎日の繰り返しでも、そこに喜びを見いだす「障害者」の存在は救いになるコトを伝えてくれる映画です。
最後にデップ作品について少し触れますと、最近の彼はファンタジー系に走りすぎているキライがありますが、若い頃はマジメな作品にも善く出ており、私が好きなのは往年の名優アル-パチーノと共演した「フェイク」です。
これはディカプリオ作品の「ディパーテッド」と同じ潜入捜査官モノですが、デップの方がマフィアとずっと仲良くなり、最後までバレずに仕事をやり遂げます。(ディカプリオは死んじゃう)
しかし「仲間を騙して売った」という気持ちもデップの方がずっと強く、彼は精神的に参ってしまい妻に当たり、それは離婚裁判にまでもつれ込みます。
「判決」はデップの勝訴となりますが、「愛」は取り戻せなかったという、これも「現実」を元にした物語です。