そこには当然、恋人や夫から引き離された女性も多く居たはずで、小さな子供を抱えた母親も居たコトでしょう。
その引き裂かれたロマンスを描くのに、文字だけでは限界があるので、今やっている朝ドラの登場人物を使わせて貰います。
チベット人は遺伝的に日本人とかなり近いので、朝ドラのジョーとルイ、娘のヒナタを想像してもらって遠からずだと思います。
チベットの男はジョーみたいにフラフラと遊んでて、女はルイみたいに善く働き、子供はヒナタのように自由闊達です。
しかし自然環境は日本よりも遥かに厳しい為、男と子供もある程度は生産に携わる必要があり、ただ遊んでいる訳ではありません。
男は馬に乗ってヤクや羊を放牧し、子供は犬を手懐けたり畑を手伝ったりし、彼等は殺生を嫌うので狩りや魚釣りはしません。
チベット人は牧畜農耕民族で、夏場の山に牧草が茂る季節には、一家総出で山でのテント暮らしをします。
それは実に牧歌的な暮らしで、日本人には伸び伸びしすぎてる観も抱かせますが、大きなヤクを管理するのは結構大変な仕事です。
ヤクの乳は彼等の貴重な栄養源で、もちろん手絞りでそれは女性の仕事です。
畑では主に大麦を育て、これはそんなに手の掛からない作物ですが、収穫と脱穀には手間が掛かり、それもやはり女性の仕事です。
彼等は歌と祈りを大切にしており、馬に乗ってのスポーツやお祭りにも情熱を傾けます。
子供はお寺の学校に通わされ、通うのが大変ならば住み込みも出来て、なかなか教育熱心な民族でもあります。
そんな彼等の生活とロマンスは、中共の侵攻によって踏みにじられてしまいます。
男達が戦いに敗れた後も、逞しい女達は抵抗を続けて女性専用の収容所も作られましたが、大多数は漢族の男に屈服させられ無理やり彼等のモノにされました。
これは古代から続く戦争のサガなのですが、それが20世紀の後半に行われたコトは人類の恥と言うべきで、漢族男性の野蛮さは打ち続く内戦と飢餓によるモノでした。
チベット侵攻に向かわされたのは、内戦で敗れた国民党軍の生き残りが多かったとされ、他にも内地で罪を犯して追放された男達が多かった様です。
そんな男達は占領したチベットを「地上の楽園」と呼び、欲しいままに略奪してチベット文化を破壊し尽くしました。
こうした負の歴史は「女戦士アデ」や「チベットの秘密」などで証言されていますが、漢族の歴史では完全に正当化されています。
そうした歴史認識はチベット人には受け入れられる筈がなく、今でも抗議運動が続けられ旅行者は自由に入れない状態になっております。
こうして、現世のロマンスが打ち砕かれた女性達にも、まだ来世への希望が残されており、それは信仰のロマンスと言えるでしょう。
私が描きたいのはそうした不屈のロマンスで、祈りの心は苦難によってますます強められたと想像します。
その心を支えていたのはリンポチェ(法王)の存在で、行善の肩にはとても大きな使命が課されるコトとなります。