真の動物福祉牧場を目指して

61. 「キャチミー イフユーキャン」

この「捕まえられるモノなら捕まえてみろ」という題名の映画は、私がディカプリオ作品の中で一番好きなタイトルです。

このタイトルは「キャッチャー イン ライ」(ライ麦畑で捕まえて)に通ずるモノで、現代社会への痛烈な反抗をディカプリオが演じております。

「キャッチャー」の役を演じるのはトム-ハンクスで、この2人の「妙なる命」が共演している作品はこれだけで、しかもこの作品は実話に基づいております。

「キャッチャー イン ライ」もそうですが、現実を描くというコトは創作よりもずっと「深み」があり、それを演技する技量において日本映画は欧米のそれにまだ及んでいない気がします。

でも、今やっている朝ドラのコンセプトは「劇を作る側のリアル」に移っており、「ブルースマン」のコンセプトは期待外れに終わった感があるので、次に期待したいと思います。

話を「キャッチミー」に戻しますと、ディカプリオは下らない社会の上を飛ぼうとし、それは宿命的に「法」に触れるコトとなります。

ヒトの作った「法」に対し、「心外無法」というスタンスを取り、それは「自分の心の外に法は無い」という姿勢でした。
その「心」が絶対的な「神」もしくはそれに近いモノに依っている場合、世間的な「法」と対立するコトは避けられず、若い頃のディカプリオはそうした役回りを善く演じていました。

こうした「心」はジョン-レノンも若い頃善く歌っていて、「Too much monkey business」(下らないコトが多すぎる)なんかが代表的です。
こうした歌をウイグル人の若者に伝えられたコトを、私は栄誉に思っています。

ディカプリオ作品でもう一つ、文学的な意義を持つ作品を挙げると、以前紹介したヒッピー映画「ビーチ」よりもむしろ「グレート ギャッツビー」を挙げたいと思います。

これは貧富の格差と、それを乗り越えた「天才」をリアルに描いた作品で、時代は摩天楼が初めてニューヨークに出現した頃ですが、シェイクスピア悲劇の味わいがある作品に仕上がっております。

こうした「天才」を中国では「天子」と呼び、それを求める声は近年高まって来ていると思います。
私が思うに、ロック歌手の朴樹(フーシュー)が一番それに近かった気がしますが、それは名盤「我去2000年」の頃で、その時代は私のチベット冒険旅行の頃と共に過ぎ去りました。

現代の「天子」は果たしてどこに生まれるのか? しばらくは映画スターを引き合いにして論じて行きたいと思います。








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