’89年の六月、人生の最初で最後の出産をカナダで迎えた。大好きなバンクーバー、私にとってカナダは第二の母国のようです。多人種の新しい国なので、人権意識が高い。移住したかったのですが、最初に行った’82年には、移民の受け入れが無く、子供を生んで、カナダ人の母となって移住しようなどと、ちょっとした夢を描いていたのが、現実になるなんて、その時の思いを書いてみよう。
その前に、子供の誕生日というのは、母親にとっては出産記念日。子供におめでとうと言いながら、実は自分の出産を思い出し、生まれてくれてありがとうと、私もがんばったと、自分の思い出に浸ったりもする。
息子の小、中学校の作文集を読むと、小さいながらも夢や、人権の事などが書かれている。過疎の小規模の学校なので、このような文集が、きちんと編集され、どんな思いを描きながら成長したかが良くわかります。整理、整頓が苦手な私は、息子の成長記録など付けていないし、管理教育を押し付けられてはたいへんと、PTAで奮闘し、その未熟さから衝突も多かったが、今思うと、過疎の少人数の、良いところも多々ある。特に文集は単なる思い出だけでなく、成人して悩んだり、壁にぶつかった時に、隠れた個性を見出し、アドバイスも出来る。息子の夢は成長と共に変化していったが、生きる事に喜びを感じられる人生にしたい、という思いはいつもあるようだ。