何だか寒い。気温も11度、昨日の新宮は夏のようでした。
昨日、新宮へ買い物に行ったのですが、あまりに暑くて、夏が長いなーと思う。本宮へ来ると夕暮れ近くで、秋らしくほっとする。十津川へ越してきた頃は、本宮もひなびた感じて、とっても良かった。田舎らしさもあり、どこか懐かしかった。
役場が新築され、世界遺産登録に合せて、道幅が広くなり、道沿いにはお店も増え、普通の洒落た街道になってしまった。初めて来ても、わーっと驚く感激はないだろう、全国各地、似たような風景。でも、住むには良さそうだ。温泉もあるし、ショッピングセンターのある新宮へも30分位、海もある。道路も整備され、十津川からの距離感も近くなった。世界遺産センターでは、イベントも多く、月末にはインドの‘バウルの唄in 熊野’が催される。
文化祭の準備当日だけれど、行こうかなと思案中。
川沿いにはセイタカアワダチソウが、咲いていた。この花を見ると、文化祭の季節といつも思う。さあ、今日も新しい人生の最初の日。
古都奈良の文化遺産が、世界遺産に登録されたのは1998年。平城宮跡にある‘朱雀門’。世界遺産になってから復元が竣工され、平城遷都1300年の今年に合わせ、平城宮跡地の復元完成を目指したようだ。今月の24日から始まる平城遷都祭に向けて、最後の仕上げをしているようでした。
先週の土曜日に見た、NHKの古代史ドラマスペシャル‘大仏開眼’で、吉岡君の演技力もあっただろうが、歴史を知りたいと、少し感動した。戦国時代の事はドラマで良く見るが、それ以前の事はあまり知らない。興味もなかったが、飛鳥、奈良と近いと地に住んでいるのだから、ちょっと歴女したい気分になる。
ドラマを見て、まだ一線を越えずに、剣をおろす心があったと思い、1300年後の今、長い歴史の中で、戦争は終わらず、人が憎しみあい、物の奪いあいで、命の尊厳がなくなり、政治は何の為、誰の為なのか?過去を振り返るのも悪くない。人間が宇宙に行く今だから、より深く人は何の為に生きるのか、考えてみたい。
来年もまた桜の頃、今度はゆっくり歩いてみたいと思う。
古代都市テーベとその墓地遺跡が、世界文化遺産に登録されたのは、1979年。
古代都市テーベは、現代のルクソール。そんな事も知らずにおとずれたのが、1985年の事。カイロからドミトリーで知り合った、アメリカ人のジョンとバスでルクソールまで来た。私はアスワンに行こうとしただけで、ルクソールについては、何もしらなかった。
でもこの2枚の写真は、私が写したもの、確かにルクソール神殿が写っています。バスでルクソールに着いたのは夕暮れ前、ジョンがサンセットを見たいと、塀を乗り越えた。回り道したのでは間に合わない。私も後をついて、塀を乗り越えると、ライフルを持った警備員が寄って来た。私にではなく、ジョンに向かって、何か言っている。ジョンは夕陽を見る為にここを通りたいと、説明している。結局、乗り越えた場所から、また塀を乗り越え、外に出された。回り道して、河岸に行った時はすでに、陽が沈んでいた。
あの神殿が、世界遺産の神殿だったかどうかは、記憶にないが、今思うと大事にならなくて良かった。ジョン曰く、‘やってみないと分からない事はやってみる’彼は世界中を旅していて、日本にも行った事があると言う。インドはもっと面白いという。
エジプトはモノクロフィルムを使った。何故だか分からないが、そんな気分だった。
エジプトのピラミッド郡が、世界文化遺産に登録されたのは1979年。エジプトの旅はブログでも書いたが、1985年の事。当時、世界遺産については何も知らなかった。歴史に興味も無く、せっかくだからピラミッドを見よう、何て軽い気持ち。偶然出あった人達と、サッカラの階段ピラミッドも見た。サッカラの周辺はロケに利用される事が多く、入場料も高いが、学生証の無い私はYHの身分証で、学生料金でした。
まだ発掘の作業している人達がいて、ちょっと話していたら、お茶を飲むかと言われ、飲んでから、お金を請求された。お茶代程度の金額だったと思うが、成る程、無料と思った私の感覚が、非常識でした。砂漠の一杯のチャイは美味しかった。
私の写真は、ギザのピラミッド。上までは上らなかったけれど、何だか無国籍人。
昨日は英会話教室の日。旅の話を聞くと、昔が懐かしい。
アテネのアクロポリスに建つ、パルテノン神殿が世界文化遺産に登録されたのは1987年。建てられたのは紀元前423年頃とあるが、そうとう古い。以前ブログにも書いたが、私が行ったのは1985年、世界遺産になる前だから、誰でも近づけたのだろか?見るのに料金など無かったような?
こんな側で、触れたりもしたのだろうか?人も少なかった記憶があるけれど、何だか、崩れそうな感じだけれど、確かに私は見た。
今なら古代のロマンや、歴史の重みなど、気配や、空気を感じる事が出来るような気がします。
ああ、もう一度行きたい。
シドニーのオペラハウスが世界遺産に登録されたのは、2007年。美しかった、中には入りませんでしたが、すっごく美しかった印象です。
ケアンズからブリスベン経由で、バスターミナルで夜明し、シドニーについたのは、夜でした。キングストンのYHに落ち着く。この頃は日本人ではなく、ネパール人か韓国人に見られていた。郊外のGlebe(グリーブ)のYHに移り、そこで知り合ったイギリス人の女性が、シェアーハウスに移ったので、そこに居候させてもらい、しばらく居た。シドニーの中心まで歩くと一時間以上はかかったが、行きは歩きながら、街を楽しんだ。自然食品店の多さに驚いた。日本のメーカーも輸入されていた。
結局、オーストラリアには二ヶ月半位いたように思う。タイのバンコクでビザを取り、シンガポールからジャカルタ、バリ経由でパースまでと、シドニーからマニラ経由で香港までの旅券を買っていた。ブログを書きながら、あの頃は旅するしか無かった自分を振り返る。そしてマクロビに出会い、日本できちんと食と向き合ってみよう、そして仕入れた羊皮で皮のニットをしよう、何て思って日本に帰る事にしたと、思い出す。
ケアンズのYHに滞在した。自炊できるので、多くの旅行者がいた。アデレードで購入したアタ(インドのチャパテイ用の粉)で仕込んだのが、翌日自然発酵していて、周囲の人から、驚かれた記憶がある。グレートバリアリーフが世界遺産に登録されたのは1981年、’87年だから、人気のあるのは当然。そんな事など全然知らずいたが、やはり世界最大の珊瑚海を見なきゃと思い、一番安いツアーに参加して、船で島に行きました。名前も覚えてないのですが、天候も今ひとつ、それでも何となく、珊瑚海を見たという満足感はあった。
もう22年も前だけど、ケアンズは滞在しやすい印象がありました。特に海好き、マリンスポーツ好きにはお勧めですね。
オーストラリアのカカドゥ国立公園が、世界遺産に登録されたのは1981年。’87年にパースのYHに着いて、カカドゥがいいと旅人達が言っていた。バスの路線や日数、安い宿泊施設等を考えると、とてもカカドゥまでは無理なので、旅行社の勧める、マタランカまで行く事にした。ノーザンテリトリーだけど、カカドゥではないので、世界遺産ではないと思うが、ここのジャングルのような天然温泉プールはすばらしい。画像でも分かるように、そのままの自然を利用して造られている。2泊したように覚えているが、オーストラリアへの計画を立てるなら、是非にとお勧めしたい。
水着着用だけれど、透明な温泉で、何か一年の旅の疲れがとっても癒されたと記憶している。そして次はケアンズに向かった。
お盆が過ぎると、今年も後半戦という感じで、ちょっと気分転換。’86年の8月の末に、神戸から船(鑑真)で上海に行き、ずっとアジアを旅して、87年の8月の末に、2ヶ月過ごしたバリ島から、オーストラリアのパースに行き、確か2週間のバスチケットを購入し、アデレードを経てアリススプリングへ行きました。YHに滞在し、定期ツアーバスでエアーズロックへ。カメラを持っていなかったので、南アメリカからの旅行者に撮って頂き、送ってもらいました。
ウルル‐カタ・ジュタ国立公園が世界遺産に登録されたのが、1987年とあるので、この時は世界遺産になっていたのかな?たくさんの日本人が、軍手を用意してそれなりのかっこうで登っていました。私はインドで買ったサンダルでしたので驚かれました。旅に出てから、マクロビ的な食事になり、インドで下痢にあい、53k位あった体重が、タイのバンコクで計った時は39k位になっていました。この頃は40k位でしょうか?身も心もすっきりし、睡眠4時間で元気でした。おそらく人生で、一番体調が良かった頃かもしれません。
昨夜は、浦島ホテルに友人と泊まりました。ここは、大阪万博の時、家族で行った懐かしいホテル。でも記憶の中のイメージとは随分変わってました。もう39年経っているのだから無理ないですね。
那智大社と那智の滝。ここも、小学校6年生になる、春休み、大阪万博へ向かう途中に寄りました。長い階段も、昔よりは短く感じました。那智の滝も一瞬、雲で隠れ、ちょっと幻想的な雰囲気でした。それにしても、ハイヒールのサンダルで来る若い女性が少なくないので、世界遺産も、今風のファッションなのかなと、思ったりもしました。
十津川への途中で本宮大社にも寄りました。ここは、時々来ますが、いい感じですね。旧社地の大斎原も好きです。
近くに住んでいても、きっかけがないと、中々行けない熊野詣で、今日は一日、小雨の熊野を楽しみました。
カナダ東部のケベック州の州都、ケベックシティの旧市街歴史地区が世界遺産に登録されたのは、1985年。私が訪れたのは’84年の11月初め、トロントから、ニューヨークへ向かう途中の、寄り道でした。カナダは公用語が英語とフランス語で、特にケベック州はフランス文化の州。モントリオールは英語が通じても、ここケベックシティはフランス語圏、街並がおしゃれです。
驚いたのは、マクドナルド。あのハンバーガーショップがグリーン色のシックな建物でした。聞くと、概観を雰囲気に合せてと言う事で、店舗営業を許可したとの事。そうでなければ、営業できないと言う事ですね。文化に誇りを持ってるフランス人らしいと感心しました。Y・Hも男女に分けないドミトリーで、こちらもフランスらしかった。
紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されたのが、2004年7月です。十津川村にも熊野参詣道小辺路が通っていて、私は世界遺産のある村に暮らしている事になります。http://www.nanwa.or.jp/sekaiisan/sankeimichi.html
旅もいろいろ行きましたが、世界遺産を見に行った事はありません。行った場所が世界遺産になったという事で、訪れた世界遺産を記そうと思います。
1984年に登録されたカナディアン・ロッキー山脈自然公園群、私が訪れたのは’82年の6月でした。バンクーバーにいた私を訪ねて来た友人と、グレイラインツアーで、ジャスパーからバンフへ行きました。ジャスパーの観光案内所。朝早くにカムループスから、バスで到着。森の中の山小屋風でいい感じ。ここは、’99年8月にも息子と来ています。トロントからバンクーバーまで、カナダ鉄道を利用し、途中下車しました。
静かな街に、スーパーやお土産物屋、ホテルにマンション、すっかり変わっていた。
さあ、ここから、コロンビア氷河を見て、バンフに向かいます。