
■流派と道統
喜屋武 長徳 (首里手)
仲里 常延 (少林寺流開祖)
保 勇 (少林寺流空手道錬心館)
川元 規久 (正伝日本勤労者空手道会)
菅原 保雄 (楽しく護身空手を学ぶ会)/(総合護身武道 悠気塾)
■少林寺流空手道について
首里手系の大家・喜屋武朝徳(きゃん ちょうとく1870年~1945年)のもとで修行を積んだ仲里常延(1922年~2010年)を開祖として1954年に誕生した空手流派。
松村宗棍などから「セイサン」「アーナンクー」「ナイファンチ」「ワンシュウ」「パッサイ」「ゴジュウシホ」「チントゥ」「クーサンクー」の8つの型と、棒術では「徳嶺の棍」を伝授された喜屋武 朝徳は、生涯にわたって型の無修正主義を貫き通した。仲里 常延は、型が次々と変えられていく現代の空手界の風潮に対する反動として、この喜屋武朝徳の意思をくみ、"すべては源流に立ち返れ"と言う理念のもとに少林寺流と命名する。
■喜屋武長徳と"首里手"について
首里は、琉球王国の首都として、15世紀頃から1879年(明治12年)の廃藩置県まで、 琉球の政治文化の中心地として栄えた。
琉球王府に仕えた首里士族は、文武両道に優れた者が多く、武術の面 においても、 多くの武人を出している。なかでも松村宗棍は、武士松村と言われた傑出した武人 である。松村は幼少の頃から、唐手佐久川こと照屋筑登之親雲上寛賀に武術を師事 し、剣術の指南を薩摩の剣客伊集院矢七郎師より受け、示現流を修得し、その奥義 を極めた。首里士族の武術は、佐久川と松村によって形成され発展していった。松村の高弟には、安里安恒、糸州安恒などがいる。また、安里安恒の高弟には、松涛館流の創始者 富名越義珍がいる。
糸州安恒は、松村の他にも那覇の長浜や泊の松茂良などに就いても教えを受け、 その他当時における有数の大家は、おおかた歴訪し、質疑をしたり、指導を受けたりした。
首里の空手を大別すると昭霊流と昭林流に分けられる。
昭霊流の開祖は大兵肥満 の人だったそうで、その人の性格から自然に割出された一種の特色がある。 昭林流もこれと同じく、その創始者が痩形だったためその人に適する武術が生まれた。糸州 安恒は昭霊流の代表者で、安里安恒は昭林流を代表する人である。
首里手は松村宗棍から糸州安恒へ、そして喜屋武朝徳や知花朝信へと継承された。
喜屋武朝徳は30歳の頃には「喜屋武ミー小」の異名をとり、首里や那覇で武名が伝わるようになった。この喜屋武朝徳の流れを汲む流派が、少林流や少林寺流である。
参考文献 「本部朝基と琉球カラテ」岩井虎伯著 愛隆堂