goo blog サービス終了のお知らせ 

YUKI - OMOLOLA

MY DAILY LIFE

コロンちゃん達

2020年10月16日 19時58分41秒 | Weblog
楊貴妃メダカの稚魚のうち、背丈が短くコロンコロンした体型のものをコロンちゃんと命名しました。
いつまでもこの愛らしい体型でいてほしいけど、いずれ成長してスラリとしてしまう。
ならばその変化の過程を楽しもうと、6匹のコロンちゃん達を別容器に隔離しました。
これでじゅうぶん観察できるわ。


この体型のせいで泳ぎがぎこちないの。

成魚になるまでの間、成長を見守りたいと思います。変化が楽しみ!

八重咲き

2020年10月16日 05時26分35秒 | Weblog
月曜日の水彩画教室のモチーフは八重咲きのコスモスだった。
コスモスにも八重咲きがあるなんて、全然知らなかった。私には一般的な一重のコスモスを描くのも難しいのに、八重咲きなんてムリムリ!出来上がった絵は、コスモスがなぜかダリアの花になっていたわ。トホホ。

そもそも八重咲きとはね、花びらが重なって咲く咲き方のこと。本来ならオシベやメシベがあるはずの場所(花びらの内側)なのに、そこには更に多くの花びらが並んでる。その内側の花びらって、実はオシベやメシベが花びらに変化したものなんですって。だから、八重咲きには実ができないのね。


さて、八重は八重でもコスモスじゃなくて山吹の話題。

「七重八重花は咲けども山吹の
    実のひとつだになきぞ悲しき   兼明親王」

この和歌は兼明親王(かねあきら しんのう 914~986年。平安時代中期の公卿・皇族で、醍醐天皇の第11皇子)の作品で、後拾遺和歌集(巻19-1154)に収載されています。
作者が小倉(京都嵯峨)の家に住んでいた頃、雨の日に来客があり、帰りがけに蓑を借りたいと言われた際に山吹の枝を折って持たせます。その人は意味が分からず、何日か後に真意を尋ねてきたので、その返事としてこの歌を届けました。
 <意味>七重八重に咲く山吹の花なのに、実のひとつもない(=蓑ひとつもない)のは残念なことです。


時は流れて、室町時代後期の武将・太田道灌がある日鷹狩りに出かけたところ、突然のにわか雨に遭う。雨具を借りるためにある農家に立ち寄ると中から若い娘が出て来て、蓑の代わりに一輪の山吹の花を差し出した。道灌は「自分が借りたいのは蓑なのだ。花なんかじゃない!」と内心腹を立てる。後で家臣にこの話をしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間の茅葺きの家で貧しくミノ(実の=蓑)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教えられる。道灌は自分の無知を恥じ、それ以後歌に励んで歌人としても名高くなったという伝承がある。

なるほど。
物事を極める人は、やはり気づきと改善によって進歩して行きますなぁ。私の場合は「あ、そうなの?あの時は腹立ててごめんね♥エヘ」で終わっちゃう。毎度反省の色はなく、お気楽に過ごすのがワタクシ。
これじゃあ絵が上達しないのも当然ですわ。