テンテン大好き

パク・ヨンハさんのテンテンクラブを中心にブログを綴ってみようと思います^^

パク・ヨンハのテンテンクラブ 見るラジオ 2004年9月16日 4部 Part3

2014-05-24 21:39:24 | テンテン 2004年9月16日
キム・ボムスの“パボガットゥン ネゲ”、ヘイの“アップジョ”このように2曲お聞きいただきました。
今日の<愛ひと口>の投稿は、インターネットでチョン・ヒョンジンさまが送ってくださいました。
さあ、今日は・・・木曜日ですよね?お、木曜日(笑)のメニューはここまでです。
Simply sundayの“サランヘヨ”をお聞きいただきながら、
私は明日の夜10時にまたやってきます。
みなさん、今日も美しい夜です。

<曲>

終了

※“アップジョ”が終わる間際のヨンハさん↓




これで見るラジオ10本分の訳のUP終わりました。
今後も牛歩で続けていきたいと思いますので、読んでいただければ幸いです^^

パク・ヨンハのテンテンクラブ 見るラジオ 2004年9月16日 4部 Part2

2014-05-18 13:27:44 | テンテン 2004年9月16日
<愛ひと口>

オッパ、今日カレンダーの前で数えてみたの。

私たちが付き合ってどのくらいかなと思って。

オッパに片思いしていたのは82日で

オッパと付き合ったのは627日だったって。

その短い時間の間 私は本当に笑ったわ。

そしてとてもつらかった。

でも今考えてみると 本当に素敵な思い出ばかりだわ。

雨の降る日 傘を差しかけてくれながらしたファーストキス。

一晩中顔が赤くなって

お母さんが“熱があるの?、具合悪いの?”って言ったわ。

カフェでオッパとあれこれ話していて夜を明かしたこともあった。

あの日家に帰ってどれほど怒られたことか。

私たち本当にたくさんおしゃべりしたわ。そうでしょ?

それからオッパが初恋の人と会って 私たちがケンカした日のこと覚えてる?

オッパから電話してきて 私に言ったわ。

“おまえはわからないかもしれないが、オレはお前だけを愛してる

だからこんなことで泣くな。 おまえが泣いたらオレたまらないじゃないか”

だけど、

“私を泣かせない”って

“私を捨てない”って

“私だけを愛する”って約束したのに

どうして私を泣かせるの?

オッパの約束のせいで 私はさらに泣くのよ。

だけどオッパ、私もうつらいからこれでやめるわ。

これからは私を本当に愛してくれる人と出会って

オッパとの恋よりもっと素敵な恋をするわ。

オッパを愛していた時間は今日が最後よ。

こんな私の心のせいで他の誰かがつらくても関係ないほどに

私はオッパを本当に愛したけれど、だけどもう解放してあげるから

これからはそのオンニと幸せにね。

元気でね。

私も元気に暮らすわ。

<曲>
※原稿を読み終わった後のヨンハさんのアクションです。



なぜこのようなアクションをしたのか、推測になりますが、
この投稿の“オッパと付き合った”日数のところ、実は噛み噛みだったのです。
で、こういうBGMに乗せて雰囲気たっぷりに読むのにうまくいかなくて、
“あ~ん、もうっ!ということではないかと思います。

ヨナスクールで初めての卒業式

2014-05-16 05:26:24 | ヨナスクール
グッドネーバーズコリアのホームページの記事です。
多分しばらくするとグッドネーバーズジャパンの方にも日本語で紹介されると思います。
初の卒業式、初の卒業生。。。ヨンハさんもきっと空の上から見て喜んでいますよね。

※本文中明らかな誤字は直しました。卒業生の数が17人とも18人ともなっていますが、そのまま訳します。




http://www.goodneighbors.kr/story/spot/spot.asp?bMode=view&bidx=HQ_story_hope&bUID=498977

卒業は心ときめくスタート、チャド・ヨナスクールの最初の卒業式



※写真の中の文※

1st Graduation YONA School

アフリカ・チャド第一号の希望学校ヨナスクールの最初の卒業式のお話


アフリカ、チャド パシャ アテレ(Farcha Attere)。
首都ヌジャメナから約60km離れたこちらには特別な学校があります。
故パク・ヨンハ広報大使の名前を取った最初の希望学校であるヨナスクール(Yona School)です。
2009年故パク・ヨンハ広報大使はSBSの希望TV と共にこちらを訪問した席で、
子供たちが未来を開けるように希望学校の建設を約束しました。
それから1年後グッドネイバーズ チャド支部では第1号の希望学校でありパシャ アテレに最初の学校となるヨナスクールを建てました。
2010年9月18日の開校当時2つの教室、定員300人の施設に近隣の村の子供たちまで集まって小さい教室がぎっしり埋まりました。
5年が過ぎた今年3月、最初の希望学校であるチャドのヨナスクールは初めての卒業生17人を輩出しました。
そのときめく現場の話をお聞かせいたします。



※写真の中の文※

去る2010年5月、ヨナスクール建立現場の故パク・ヨンハ広報大使とパシャアデレの子供たち

2014年のヨナスクール全景、現在は教室6個と幼稚園、飲料水ポンプと保健所を備えました。



卒業 終わりではないときめくスタート

皆さんにとって卒業はどんな意味のあるものでしょうか?
私たちは幼稚園から大学に至るまで数回の卒業を経験します。
“点”であり新しいスタートを知らせる‘卒業’。
こちらパシャ アテレではなじまない単語だったのですが。
学習の機会が人生のかたちを変化させることができるという確信を伝えたかった
故パク・ヨンハ広報大使の風がしっかり育っていることを確認する単語ではないだろうかと思います。
ヨナスクールの学生たちと地域住民が共にしたヨナスクール第1回卒業式はすべての人の心に忘れられない記憶として残りました。



※写真の中の文※

ヨナスクール第一回卒業式に参加した学生たちと家族および周辺住民たち



久しぶりに訪ねたヨナスクールの子供たちは喜んで私たちを迎えました。
大多数の子供たちはヨナ(故パク・ヨンハ)との思い出を記憶していました。
一緒に学校を建てる時レンガを運んだ記憶も、サッカーして汗を流した話もしました。
これから卒業を前にした子供たちの目じりはしっとりと濡れ、それとともに淡々とした意志がこもっていました。

特に今回のヨナスクール卒業式には希望学校プロジェクトにも参加している歌手イ・スンチョルさんがご一緒にしました。
彼と共に私たちは準備して行った卒業服を卒業生に着せて卒業帽をかぶらせ学校を離れて新しい出発を準備する子供たちを激励しました。
イ・スンチョルさんは特にヨナスクール最初の卒業生を祝うためにカバンと学用品のプレゼントを準備して子供たちに伝達もしました。
ヨナスクールの子供たちをはじめとする地域住民も一緒に参加したヨナスクールの一番目の卒業式はたちまち村祭りになりました。




※写真の中の文※

再会したヨナスクールの子供たち。
今回の訪問はSBS希望TVと歌手イ・スンチョルさんがご一緒しました。


ヨナスクールから夢を育んでいく子供たち ‘3人の卒業生代表を紹介します。’



※写真横の文※

アドゥム(12歳、男)はヨナスクールができる前、歩いて1時間ほどかかる近隣の村の学校に通っていました。
アドゥムには、障害があって学校に行けない妹がいます。
放課後には灯の下で妹に勉強を教えてあげたりもしました。
アドゥムの7兄弟の中で、足に障害のある子が3人もいます。
アドゥムは貧しさのために病院へ行けない兄弟たちのため、必ずや医者になり
痛む足を治してあげたいと思っています。
ヨナスクールからアドゥムの夢は少しずつ現実となって行っています。


アルバチル(12歳、男)は2010年からヨナスクールで勉強しています。
早くに両親を二人とも亡くし、7人兄弟がお互い寄り添って生きています。
グッドネーバーズの※縁結び後援を通し、ヨナスクールで学業を持続してきましたが、
卒業後は上級の学校に入学し、さらに多くの勉強をしたいと思っています。
アルバチルの夢は、貧しい村の面倒を見る長官になることです。
7人兄弟の家長の役目をしなければならないので、放課後も仕事を休むことはできませんが、
叶えようと思う夢があり、学校生活が楽しいです。


ハッサナ(12歳、男)は8年前水因性の病気でお母さんを亡くし、おじいさんと共に生きています。
仕事のできないおじいさんに替わって、叔父さん3人がハッサナの面倒を見ています。
ハッサナはおじいさんの配慮で日夜勉強し、上級の学校への進学を準備しています。
公務員になってちゃんとした病院を地域に建てること。
そしてお母さんのような残念なことが起こらぬよう村を発展させていくのに力になりたいと思っています。
ハッサナの夢は、遠いものではないと思います。


アドゥムをはじめとする18人の子供たちの手にはヨナスクールの卒業証書と卒業アルバムが渡されました。
初めてだった学校、初めての卒業式。
これから新しい出発を夢見る子供たちはどんな考えをしているのでしょうか?
ヨナスクールでの思い出の中で子供たちは各々の夢を少しずつ整えていきつつありました。
子供たちがヨナスクールと共に成長する姿を見守ってきた両親らと地域住民の心にも
希望が花開いているのではないかと思います。

ヨナ、グッドネーバーズ。夢を見守ってくれてありがとう



※写真の横の文※

“ヨナは私たちに勉強できるチャンスをくれ、
良い先生と友達に会うことのできるチャンスをくれました。
ヨナは私たちの人生を変えてくれました。
私たち卒業生はみなヨナに感謝を捧げ、
彼の人生を学び 実践したいです”

-ヨナスクール第一回卒業生 アチェクの感謝の手紙から


卒業式で卒業生代表のACHECK DJIDDA MOUSSA(アチェック12才、男)が
故パク・ヨンハ広報大使に贈る感謝の手紙を朗読しました。
まだ生き生きとしたヨナの記憶と共に、アチェックの手紙は席を共にした人々の心を泣かせました。
地球の反対側からやってきた暖かい心が学校となり、
人々に夢を話すことのできる時間をプレゼントしたことを反芻しました。
グッドネイバーズが夢見る教育が子供たちの未来と貧困の問題を変えることができるという確信は
近い未来にこの子供たちを通して証明されることができそうです。




※写真の中の文※

この子供たちにチャドの未来を見ます。


2010年ヨナスクールを基点として希望学校プロジェクトは本格的にスタートしました。
グッドネーバーズは現在8ヶ国28個の希望学校を建てつつあります。
現在アフリカ・チャドには故パク・ヨンハ広報大使とファンたちの後援で建てられたヨナスクール(パーシャアテレ地域)に続き
歌手イ・スンチョルさんの後援で建てられたイアンドチャドスクールが2ヶ所(トゴレ、アリガルガ地域)があり、
今年3番目のイアンドチャドスクールがアンナバク地域に建てられる予定です。
希望学校がアフリカをはじめとして全世界の子供たちの希望の象徴となるようみなさんの愛を結集してください。

パク・ヨンハのテンテンクラブ 見るラジオ 2004年9月16日 4部 Part1

2014-05-14 20:36:00 | テンテン 2004年9月16日
<一緒に聞こうか?>

4部の<一緒に聞こうか?>の時間です。
イ・ヒジョンさんが“大変な時期にこの曲を口ずさんで耐えた歌”とおっしゃって
ソ・チャヌィさんの“ポネルスバッケ オンヌン ナン”をリクエストなさいましたね。

“ソ・チャヌィさんの心地よい歌唱力で高音もスムーズに処理された曲”と説明してくださいましたが、
そうです!全くその通りの説明ですね。

この“ポネルスバッケ オンヌン ナン”は、ソ・チャヌィさんの3枚目のアルバム収録曲なんですが、
タイトルだけ見ても分かるように、別れに関する歌です。

我々は早いリズムのソ・チャヌィさんの歌にばかりなじんでいますが、
この歌を聞くとソ・チャヌィさんのまた違うカラー、別のフィーリングを知ることができるでしょう。

とても心が落ち着く、そういう歌です。ソ・チャヌィです。“ポネルスバッケ オンヌン ナン”。

<曲>

ソ・チャヌィの“ポネルスバッケ オンヌン ナン”をお聞きいただきました。

みなさんが送ってくださった投稿をご紹介いたします。今日は清州市(チョンジュ市 ※以下詳細な住所が続きますが省略)から
キム・ウニさんが、あ~とてもきれいな便箋に直筆で手紙を送ってくださいました。

“アンニョンハセヨ、ヨンハオッパ。私は清州に住んでいる愛聴者 キム・ウン・ヒといいます。
もどかしい思いでこうして(※テンテンのドアを)ノックしてみます。
私は現在浪人生です。
高校の友達は夏休みにパックパック旅行、アルバイトと思い切り大学生活をエンジョイしているのに、
私は今日も一日中図書館で本と格闘してやっと今家に帰ってきました。
きのう久しぶりに高校の時の友達と会ったのですが、外見が本当にすごく変わっていました。
カラーリングもして、ピアスもして。
私は未だに短い髪にGパン、Tシャツなんです。急に私の姿がみすぼらしく感じられました。
「私は今何をしているんだろう?」という思いになりました。
浪人になったときは、こんなことはなんでもないことだと思ったんですが、
浪人となって1日や2日でもないのに、なぜ今日に限ってこんなふうにみすぼらしく感じられるのでしょうか?
やはり、「勉強には時がある」という言葉は正しいのでしょうか?
ヨンハオッパ! 私も来年には本当に美しくステキな大学生になっていますよね?本当にそうですよね?
私に元気をください。しっかりやりとおせるように。
私を含めすべての浪人生のみなさん、ここまでよくやってきたではありませんか。
最後まで頑張りましょう。最後まで力をふりしぼりましょう。.
ときどき大変な時は私のように慰めてもらいにテンテンクラブにいらしてください。
浪人生の皆さん、ファイティンです。”とのことです。

うん~お~、辛いですね~もう浪人~生活もあまり残ってないですが、
仲の良かった友達と会って、今の自分の現実とは・・・違う友達を見て、感じた感情ですね。
ですが、「時がある」という、「勉強する時がある」というのは違うと思います。
うん~人生経験をちょっと先にするとお考えになって、先に学ぶということもあると思います、人生について。
良い方に考えてください。キム・ウニさんがおっしゃったように、本当に、うん~・・・
今後、来年もっと良い所で、キャンパスで良い友達とすてきな大学生活を送ることができるよう私は祈ります。はい。
頑張ってください、最後まで。勉強一生懸命なさってください。

次の投稿はハン・ジュヨンさんが送ってくださいました。

“会社が遠くて下宿生活をして、部屋にはテレビもなく、
ラジオただひとつで一日をスタートして一日を終えます。
今日もDJパクお兄様の声を聴きながら眠ります。
ところで、どうしていつも私の投稿を読んでくださらないんですか?

愛する人との1000日のお祝い、3年のお祝い、誕生日のお祝いの投稿をUPしても読んでくださらなくて、
メールで「私の文章を読んでくださらないならもうラジオを聞かない」と脅迫しても読んでくださらなくて。
なのであきらめます。ただリスニングだけします。

私はヨンハお兄様の声を聴かなければ眠れないということで、
下宿に帰ってくればラジオをまずかけるのに、どうして聴かずにいられましょうか。

今会社に残って夜勤中です。ワーカホリックに陥っているんです。
でも、「3人の男ショーショーショー」までは聴きますよ。また騒々しいことでしょうね。
ところで、選曲はどなたがしてらっしゃるんですか?
選曲がとても良くて、歌を聞こう、この歌だけ聞いてしなきゃ~と思って他のことをできなくて。
初めて聞く歌が流れると、次の日ホームページに行って選曲表を見て、
その歌だけ一日中聞いて仕事をするんです。
きのうは「三色トッポッキ」の歌がとても良かったです。
時々ヨンハオッパの歌の実力も聞かせてください。
私はそれ(※=三色トッポッキ)を全部聞こうと眠れないんですよ。
季節の変わり目風邪に気をつけてください。良い声をずっと聞かせてください。
ずっと(※リスニングを)続けられるように。良い歌もたくさん聞かせてください。”とのことです。

今聞いていらっしゃるでしょうね。お~・・・“良い声”、本当にありがとうございます。
ハン・ジュヨンさんのような方たちのおかげで本当に力が湧いてきます。これからもっと頑張ります。
投稿ありがとうございます。
今日はこの投稿をご紹介いたしましたので、これからたくさん参加してくださいね。おわかりですよね?はい。
投稿ありがとうございました。歌を一曲お聞かせいたします。
リッチーです。“Tonight”。

<曲>

ノ!チギョッソ~

2014-05-12 20:01:16 | ノ!チギョッソ~
お久しぶりでした。
実は、4月25日に熱が出て翌日病院に行ったところ、インフルエンザB型だと言われました。
5日間仕事を含め外出禁止、養生に勤めましたが、治りが遅くまだ本調子ではありません。
2週間が過ぎて、ようやく勉強も再開できるようになりました。
少しずつ更新していきたいと思いますので、またご覧いただければ幸いです。
それでは、2004年9月16日のゲストと撮った“ノ!チギョッソ~”をどうぞ^^





スキンシップ5兄妹!!    2004.09.25 17:53



スキンシップを心行くまで~できなかったセブン~

好きならまず私がする!! 情熱的なルル~

ボクもスキンシップしてみたいって!! 純真な男、ヒョシン!!

してもいい? 聞いてからして雰囲気を台無しにするギョンイル。。。

なぜうなだれたのかしら? 何かを隠しているDJパク。。。

彼らとご一緒した<スキンシップ>の話。。。

気になった方々~ 9月16日付<タシボギ>でお楽しみ下さい~^^