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だらき

徒然なるままに書いていきます。ヨロシク。。

続けるコツ

2018-08-05 17:19:02 | 日記
久しぶりのブログ更新。

過去記事を見直して、目標について述べた文章を再読。
あれから約三年経って達成できていることもあるし、できなかったこともある。

できなかったことについては、貯金と投資が不十分な点は若干の後悔あるが、それ以外はあまり悔やんでいない。より正確に言うと、達成できていればベターだけれど、できなかった目標は達成する必要性が低く、また達成までのプロセスにおける楽しさもあまりなかったものたちなので、「そりゃ出来ませんよね。当たり前の話ですわ。」という感じ。必要性or楽しさは、目標達成のための重要条件と再認識させられた。

逆を言えば、必要性か楽しさを意図的に与えれば(願わくば両方がベスト)、目標達成の可能性がグーンと上がるということ。自分をコントロールするためにも、ここでの気づきを有効に活用していきたい。語学やITの一部分は、必要性が低下している部分もあり、スキル向上のためにはそれなりのコミットメントが必要なので、必要性と楽しさ両方の底上げが必要かな。


ちょっと話は飛ぶが、最近アベマTVのドラ恋(略称)を見て、全然興味のなかったリアリティショーが「努力」「成長」「目標達成」という要素が加わると途轍もなく魅力的なコンテンツに化けることを認識。これ、スポコン漫画やDragon Ballなどの修行系バトル漫画と実は似たような構造を持っている。若者がぐんぐん成長していく姿は、とても魅力的。

私は既に若者ではないが、それでも何かにひたむきに努力して成長していく姿は、善きもののはず。少なくとも、自分の人生にはそう。

記録すること

2015-12-27 20:34:16 | 日記
クリスマスにちょっと旅行に行ってきました。
そこでデジカメを使ったのですが、その際に久しぶりに取り出したSDカードの中に昔の写真がたくさん入っていました。

入っていた写真を見て、ほとんど忘れかけていた過去の思い出とか、人とか、国とかいろいろなものに思いを馳せることができました。
この時は、こんなことで苦労していたなとか、この時住んでいたところもよかったなとか、旅先の列車で隣の席になり、たまたま話が盛り上がった人は今どうしているかなとか。

外部記憶媒体は、単なるストレージではなくて、頭の中の埋もれた記憶を掘り起こす取っ掛かりになると実感しました。


ちょっと切り口は異なりますが、「記録」という側面でもう一つ。

日記(このブログ)や過去に書いた文書、ビデオレターなど、自分の考えなど、写真では伝わりにくい情報を定期的に残しておくことも大切だと思いました。

きっかけは、次の映像(Yahooの記事とYoutubeの元動画の両方のURLを記載しています)。
二年間にわたるバイオリン学習の過程を映像で収めているのだけれど、やはり2年経つとこんなにも変わるのかと、ビックリ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151216-00010003-reutv-ent

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=DaugRxMz7tw

記録を残すことは自分の歩みを振り返り、現在の立ち位置を見直す契機になるので、今後ともこのブログを更新しようと思います。

感情によって前に進まない問題

2015-12-13 16:22:24 | 日記
昨日、NHKの週刊ニュース深読みで「マタハラ」の特集を見て、そして今日、朝日新聞で「夫婦別姓」の特集を見た。

二つの問題は、社会的・文化的・経済的側面から解決策・実現策を検討していく必要がある。ただ、ここで論じたいのは、この二つがなかなか解決しない一因として「感情」の問題があるという点である。

ここで「感情」と言っているのは、①既存の社会規範へ適応した先人が感じる「サンクコスト」or「シバキ上げ」の問題と、②「マタハラ」「夫婦別姓」という問題提起を行ってきたパイオニアの方々の一部が有するであろう強烈な自己主張に対する嫌悪の問題、に大別できる。

といっても非常に分かりにくいので、以下、個別に説明したい。

1.「サンクコスト」「シバキ上げ」の問題
マタハラや夫婦別姓の問題両方において、「私は仕事と家庭の両立であんなに苦労したのに、今の͡娘は甘えている」だとか、「姓が変わって非常に苦労したが、それでも家族の一体感を守るために、別姓には反対」という声が見られる。

私から見ると、「甘え」「一体感」は普遍性をもつ理屈付けだとは到底思えない。
そこで想像なのだが、より有り体に翻訳すると「私は、今のような妊娠・育児サポートを受けられなかった/夫と同じ姓にせざるを得なかった。私に許されなかったものを、今の若い子たちが享受するのはずるい」、「私が経験した苦労は意味があったはず」というのがその本音の一つではないだろうか。

これは、サンクコスト(埋没費用)に意味づけを与えようとする動きに思えるし、体育会系やブラックな職場で顕著にみられる見られるシバキ上げの構造に近い。


2.パイオニアの方々の一部が有するであろう強烈な「自己主張」に対する嫌悪の問題
「マタハラ」「夫婦別姓」は、以前は問題であるとの認識すら存在せず、先人たちが声を上げたからこそ、議論されるようになった。
その先人たちは、道なき道を切り開き、圧倒的なマイノリティであるという不利な中で闘い続けたのだろう。
私たちは、そういった先人たちがいたからこそ、諸々の主張がしやすい環境下におり、その恩恵を受けている。

しかし一方で、そういった先人たちの一部は、非常に強烈な個性を持ち、クセの強い方々だったのではないかと想像する。
多くの人から苦手とされる、或いは嫌われてしまう人も多かっただろう。

マタハラや夫婦別姓に対する感情的な批判の一部は、こうしたクセの強いパイオニアに辟易し、パイオニア個人に対する嫌悪感と主張内容自体に対する嫌悪感とを同一視してしまった人によるものではないか。

強烈な性格だったからこそパイオニアになれたという側面もあっただろうし、パイオニアの一部に人格上の問題があったとしても、その問題提起自体が否定されるわけではない。
ただし、ロジックではなく、感情によってこれらの問題に反対している人が少なからずいる状況においては、ある程度「感情」の問題にも配慮する必要もある。

これは、フェミニズムなどの他のマイノリティ問題に共通する課題だろう。


人間は、やはり感情で動くものなのだなと強く思わされた。

嫌いな理由

2015-12-13 00:42:35 | 日記

最近、身近でどうしても嫌いな人がいる。
ここまで人のことを嫌いになるのは久しぶりなので、ストレスを感じると同時に、その原因が何なのか疑問に感じていたのである。
今回、それは「自分より優れた人は人格的にも素晴らしい」と言う自分の(無意識の)認識と、現実が矛盾しており、混乱していたのだと気が付いた。

その人は、自分を圧倒するような能力を持っていて、しばしばその力を見せつけられることがある。ただ一方で、人格的に全く尊敬はできないし、得意でない分野や興味がない分野のパフォーマンスについては、たまに驚くほど酷いことも多い。

自分は、この人を激しく嫌っており、それを一重にその人の人格のせいにしていた。


しかし、今回、自分の認識を家族に話してみて、自分が上記のような前提を無意識に持っていることに気づかされた。

自分は今まで、自分よりも圧倒的に能力の高い人は尊敬できる対象として捉えていた。能力の高い人だから尊敬しなければいけないと思って、良い所を無意識に探し出していたのかもしれない。

もちろん、人格が全く尊敬ができなくても、ある方面において非常に高い能力を発揮する人は数多くいる。しかし、そういった人材は、「自分とは、活動分野が異なっており、別世界の人間」として自分の中で処理されていた。もちろん、自分の中の矛盾を避けるために、「活動分野が違う」と言う事を言い訳にしていたのかもしれない。

上記のような認識を持って今まで生きてきた中で、否が応にも、要求されている能力については自分よりも高いのだけれども、人間的に全く尊敬ができない人を目の当たりにして、自分自身非常に混乱していた。抱えていたストレスの根源もよく考えてみれば、こんなに尊敬できない人に能力で劣っているのだから、自分も人間としてレベルが低いのではないかと言う悩みがあったのかもしれない。

今回ある種残酷な現実を見せつけられるかとなったのかもしれないが、自分の中でのストレスの原因に気づくことができ、ある種スッキリした気分になっている。
その人との関係が今後どうなっていくのかもしれわからないが、今回整理した内容が、本当に自分の無意識も含めた認識を正確に反映しているのか今後も見つめていきたいと思う。

学期末

2015-08-30 00:14:51 | 日記
今日は、4月から半年かけて通った学校の最終日でした。

自分としては、一つ上のクラスに上がりたかったのだけど、まだ足りない部分がある模様。
センスはほめて(おだてて?)もらえたので、後は自分の努力次第というところか。


今までクラスメートとはあまり交流がなかったのだけど、飲み会を初めてやって交流を深めることができた。
皆、いい人で、かつ目標もそれぞれで有意義な時間を過ごせた。やはり、たまには普段かかわらないコミュニティの人と話すと新鮮。

飲み会では、一つ上のクラスの人の話も聞くことができた。
もう一つ上がると、本当にプロフェッショナルの世界になってくる模様。稼働している人も多く、学校との関係もちょっと違うように見受けられる。

まだ、生徒気分が抜けきっていないので、早く進級してはやくプロの卵の世界を見たい。
新しい学期は10月からなので、この一か月は地道な努力を怠らぬように頑張ります。