YuHiのブログ

時系列というかメモその4:『このような眼は日本人には無いのである』

Twitterで画像を拾っていたら、昔読んだ坂口安吾を思い出した。







アンダーラインは私が引きました。

『日本文化私観
坂口安吾


     一 「日本的」ということ
--(中略)--
いつかコクトオが、日本へ来たとき、日本人がどうして和服を着ないのだろうと言って、日本が母国の伝統を忘れ、欧米化に汲々(きゅうきゅう)たる有様を嘆いたのであった。成程、フランスという国は不思議な国である。戦争が始ると、先ずまっさきに避難したのはルーヴル博物館の陳列品と金塊で、巴里(パリ)の保存のために祖国の運命を換えてしまった。彼等は伝統の遺産を受継いできたが、祖国の伝統を生むべきものが、又、彼等自身に外ならぬことを全然知らないようである。
 伝統とは何か? 国民性とは何か? 日本人には必然の性格があって、どうしても和服を発明し、それを着なければならないような決定的な素因があるのだろうか。
 講談を読むと、我々の祖先は甚だ復讐心が強く、乞食となり、草の根を分けて仇を探し廻っている。そのサムライが終ってからまだ七八十年しか経たないのに、これはもう、我々にとっては夢の中の物語である。今日の日本人は、凡(およ)そ、あらゆる国民の中で、恐らく最も憎悪心の尠(すくな)い国民の中の一つである。僕がまだ学生時代の話であるが、アテネ・フランセでロベール先生の歓迎会があり、テーブルには名札が置かれ席が定まっていて、どういうわけだか僕だけ外国人の間にはさまれ、真正面はコット先生であった。コット先生は菜食主義者だから、たった一人献立が別で、オートミルのようなものばかり食っている。僕は相手がなくて退屈だから、先生の食欲ばかり専(もっぱ)ら観察していたが、猛烈な速力で、一度匙(さじ)をとりあげると口と皿の間を快速力で往復させ食べ終るまで下へ置かず、僕が肉を一きれ食ううちに、オートミルを一皿すすり込んでしまう。先生が胃弱になるのは尤(もっと)もだと思った。テーブルスピーチが始った。コット先生が立上った。と、先生の声は沈痛なもので、突然、クレマンソーの追悼演説を始めたのである。クレマンソーは前大戦のフランスの首相、虎とよばれた決闘好きの政治家だが、丁度その日の新聞に彼の死去が報ぜられたのであった。コット先生はボルテール流のニヒリストで、無神論者であった。エレジヤの詩を最も愛し、好んでボルテールのエピグラムを学生に教え、又、自ら好んで誦(よ)む。だから先生が人の死に就(つい)て思想を通したものでない直接の感傷で語ろうなどとは、僕は夢にも思わなかった。僕は先生の演説が冗談だと思った。今に一度にひっくり返すユーモアが用意されているのだろうと考えたのだ。けれども先生の演説は、沈痛から悲痛になり、もはや冗談ではないことがハッキリ分ったのである。あんまり思いもよらないことだったので、僕は呆気(あっけ)にとられ、思わず、笑いだしてしまった。――その時の先生の眼を僕は生涯忘れることができない。先生は、殺しても尚あきたりぬ血に飢えた憎悪を凝(こ)らして、僕を睨(にら)んだのだ。
 このような眼は日本人には無いのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人には無いのである。『三国志』に於ける憎悪、『チャタレイ夫人の恋人』に於ける憎悪、血に飢え、八ツ裂(ざき)にしても尚あき足りぬという憎しみは日本人には殆んどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。凡(およ)そ仇討にふさわしくない自分達であることを、恐らく多くの日本人が痛感しているに相違ない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかく、せいぜい「食いつきそうな」眼付ぐらいが限界なのである。』


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