西湘日記2

気候温暖、風光明媚、自然に恵まれた西湘地域に住む夫婦2人の気ままなブログ。お気軽にお立ち寄りください。

ひなたの座布団

2023-05-05 14:07:04 | 思い出

妻です。

お読みいただきまして、どうもありがとうございます🌹

 

わたしがまだ独身で実家にいたころ。

家のまえのちょっとしたスペースは、大きめの屋根があるけど日当たりのいい、父が作業をするとき使う場所でした。

そこには、父が座るための赤いカバーの座布団が置きっぱなしになっていました。

かなり昔の話で、しかも田舎でしたから、父が使っていないときは近所のおばあさんがやってきて(我が家にいちいち断ることなく普通に)その座布団にすわっていました。

ぽかぽかと日にあたりながら、針仕事なのか編み物なのかをしながら、おばあさんはゆったりした時間の中にいました。

父もおばあさんも使ってないときは、野良猫がやってきて座布団のうえで昼寝をしています。

 

夕食のとき。

「今日は、午前中、おばあさんが来てたよ」とわたしが言うと、

「え、昼ごろはネコが寝てたよ」と妹。

ちょくちょく家族で笑いながら報告し合っていました。

 

誰も使っていないときの赤い座布団は、南からの日差しをぽかぽか浴びてあったかくなって、2人と1匹のうちの誰かがすわるのを待っているよう。

 

 

しばらく経ったある日の深夜。

「お姉ちゃん!」と叫ぶ妹の声で自室の窓をあけると、道路を挟んだ向こうから炎がのぼっています。

はす向かいにあったアパートを含む何軒かが、火事によって燃えてしまいました。

亡くなったのはアパートに住んでいたお1人。うちに来ていたおばあさんでした。

 

以来、座布団はおばあさんが座っていた時間、ただただぽかぽかと日を浴びていました。

そうしているうち、縄張りがかわったのか、野良猫も来なくなりました。

夕食時にわたしたちが座布団の話題を出すこともなくなり・・わたしも以前のように座布団をチェックしなくなり・・

 

気づいたときには、赤い座布団は片付けられ、なくなっていました。

 

 

 

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父親と妹について

2023-04-29 19:12:51 | 思い出

妻です。

お立ち寄りいただき、どうもありがとうございます🌸

 

GWに入りましたね~。毎年、月日がたつのははやいと感じますが、今年は一層はやく感じます。

今日という日はあとにもさきにも一日だけ。

日々を大切にすごしていきたいな、と思います。

 

わたしの父親は建築関係。自営でずっと働いてきましたが、ある年、熱中症にかかりました。

以来、調子が悪くなることが重なって、数年前に廃業しました。

 

子どもをかわいがる人ではありましたが、パチンコ好きで、わたしが小さいころは家にあまりいませんでした。

学校の友だちと家族の話をするようになると、うちの父親ってよそとちょっと違うのかな、と思い始めました。

 

わたしの2つ違いの妹は、在宅している時は父親にからかわれて、よく悔しくて泣いていました。

母いわく、かわいくてしょうがなくて、泣くまでからかってしまうんだよ、と。

 

ホールのケーキに載っていた、バタークリームでできたきれいなバラの花。

わたしと妹と、どっちが食べる? と相談しているすきに父に食べられました。

 

妹は、風船の割れる音、クラッカーの弾けるような音が大の苦手でした。

クリスマスのとき、父はわざと妹に向けてクラッカーを鳴らします。

母は毎回「もう! お父さん、いい加減にしな」とたしなめますが、父はどこ吹く風とばかり、小さい男の子がいたずらを楽しむような顔をしていました。

 

こんなふうにイベントごとに妹はぎゃあぎゃあ泣かされていました。

 

大人になっても、妹は小さいころのことを根にもっていました。

孫は目に入れても痛くないほどかわいい、とはよく言われますが・・。

「将来わたしに子どもが生まれても、お父さんには絶対にさわらせてやんない!」

決意を固め、わたしに宣言していました。

 

妹に最初の男の子が生まれ、ベビーカーに乗るようになると、

「えっ、いつの間に!」と驚くほど、父は誰よりも早くベビーカーのハンドルを握り、ベビーカーを押して歩いていきます。

 

わたしが帰省すると、父が孫を乗せてウマになっていたり、延々と「いないいないばあ」をしていました。

その間妹は、のんびりとテレビを見ながらおやつを食べています。

(『子ども、お父さんに絶対さわらせない』んじゃなかったの?)という意地悪い言葉を、その後もわたしはぐっと吞みこんだのでした。

 

 

 

 

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2、3回遊んだだけの男の子

2023-04-17 13:37:17 | 思い出

妻です。

お立ち寄りくださり、どうもありがとうございます。

 

小学校1年のころ、同じクラスに勉強をとても苦手にしている男の子がいました。

授業中は先生に当てられないように、いつも体を小さくしています。

どの教科でも、指名されてもほとんど答えられなくて、「わかりません」の声もほとんど聞こえないくらい。

そういう感じでしたので、男の子はクラスの中でも【ちょっと変わった子】という位置づけでした。

 

ある日の給食は、もう何の日だったか覚えていませんが、カップに入ったケーキがついていました。

白いクリームの載ったケーキに、クラスメイトたちは大喜び。

わたしも、最後まで大事にとっておいたケーキを食べ終えて大満足でした。

 

ふと気づくと、あの男の子の席の周りに何人かの子たちが集まっています。

「なんで食べないの?」

「いらないなら、ちょーだい」

すきまから見えたのは、ケーキに手をつけず、まるで授業中のときのように小さくなっている姿でした。

気になった先生がやってきて話を聞くと、「今までケーキを食べたことがないから、どんなものか、わからなくて食べられない」。

事情を知ったクラスメイトたちは一斉に驚きの声を上げました。

 

わたしは家に帰るといつもどおり、学校であったことを母に話します。

ケーキを食べられなかった子のことを話すと、母は泣いていました。

 

しばらく経った休日。

川沿いの原っぱで母とバドミントンで遊んでいると、近所に住んでいた、あの男の子が偶然やってくるのが見えました。

「お母さん、ほら、あの子だよ。ケーキの・・」

こそっと教えると、母はわたしに前もって相談することなく、いきなり

「ねえ、いっしょに遊ぼう!」

男の子に向かって叫びました。

(ええーっ⁉)

とつぜんのことにびっくりしていると、男の子はうれしそうに近づいてきました。

そのあと、バドミントンをしたり、鬼ごっこなんかをしたりして、しばらくいっしょにあそびました。

楽しかったものの、わたしは(こんなところ、同じクラスの子に見られたらどうしよう)と気が気ではありませんでした。

同じクラスの男の子と、しかもこの子と遊んでいたなんて知られたら、何て言ってからかわれるか、

わかったもんじゃありません。

ちらちらと川の向こうの道路に目をやり、知り合いが来ないことを祈りました。

 

一方、男の子はそんなこと全然気にしていないようでした。

男の子は原っぱを転がるように駆け回って、学校では見たことがないようないっぱいの笑顔で、聞いたことがないくらい大きい声でゲラゲラ笑っていました。

ほんとうに、ほんとうに楽しそうでした。

 

その後もこうやって、母と3人で、1、2回遊んだような記憶があります。

その都度わたしは人目が気になってしようがなかったのです。

(あー、あと何回、こんなドキドキ、続くんだろうなあ)と少し困っていました。

 

その日教室に配られたテストは、ちょっと変わった問題ばかりでした。

『同じなかまのものはどれですか?』のような、勉強というよりクイズみたいなもの。

このテストの点数は何日待っても教えてもらえず、ヘンだなあと思っていました(あとからわかったのですが、このテストはIQを調べる知能テストでした)。

 

それからしばらくすると、あの男の子は、クラスからいなくなりました。

わたしたちがいる、同い年の子たちばかりいるクラスでなく、いろんな年齢の子がいっしょのクラスに入ることになったのだそう。

 

家に帰ってさっそくそのことを母に話すと、母はまた泣きました。

 

学年が上になっていく中、休み時間などに、男の子の姿を見る機会が何度かありました。

彼は低学年の子たちの面倒をよく見ているようです。

 

休み時間。校庭のはしの鉄棒で前回りをしていると、不自由そうに動く下級生に手を貸している彼が見えました。

(あ、やさしい・・)

鉄棒の棒はちょっとサビていて、にぎって回すとザラザラします。

先生に交じってやさしい顔で下級生の世話をする彼と、人目ばかり気にしていた自分・・。

手のひらには鉄棒のザラザラ感、そして独特の鉄のにおい・・。

転んだ子のひざを払ってやっている彼の姿。

ザラザラ、ザラザラ・・。

 

わたしは小学校5年の終わりに転校するのですが、それまでの間、わたしは何度か彼の姿を見かけました。

 

でも・・彼と言葉を交わすことも、目が合うことも、二度とありませんでした。

そうして・・太陽の下、元気いっぱい、ゲラゲラ大きな声で笑っていた彼の顔を見ることも、もう二度とありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハープの話

2023-03-29 00:19:38 | 思い出

妻です。

お立ち寄りくださり、どうもありがとうございます。

 

タイトルの「ハープ」は楽器のことではなく、小学生のころわたしがお気に入りだった指人形(・・か、えんぴつのキャップ?)の名前です。

 

幼稚園から小学校低学年まで、わたしはともだち作りが本当に苦手でした。

だからクラス替えした新学期は大嫌い。

休み時間は自分の机でぽつんと一人でいたし、グループで食べる給食も気ばかりつかって全然味がしませんでした。

 

そんなわたしに、ある日大好きなともだちができました。

どうやってわたしのもとに来たのか、もう覚えていませんが、笑顔の男の子の指人形です。

当時テレビでハープを弾く女の人を見て、(人魚姫みたい!)と強くあこがれていたわたしは、そのともだちに早速「ハープ」という名前をつけました。

 

家でごはんを食べるときもテーブルに置いて一緒、水にぬれても平気だったのでお風呂も一緒。

ハープが家で待っていてくれるから、学校で一人でもへっちゃら。

自分の席で学級文庫の本を開き、(あー、早く帰ってハープと遊びたいな)と、だらだら長い休み時間をやり過ごしました。

学校から帰ると、近所の河原へハープをつれて犬の散歩へ行きます。

土手に座って、ハープを指にはめてわたしは言いました。

「ハープがいれば、ほかのともだちなんか、わたし、いらないな」

向き合ったハープはいつもどおりの笑顔。

わたしは大満足でした。

 

学校が終わると一目散に家に帰り、ハープと遊ぶ日々。

ある日ふと、わたしは(ハープ、もしかしてハープとしか遊ばないわたしを心配してないかな?)と思いました。

いつもどおり指にはめて「ハープ?」と聞くと、なんだかハープの笑顔がちょっと・・さみしそう?

イヤな予感がしました。わたしのことを心配したハープが、いつかいなくなっちゃうんじゃないかと。

 

少し経った日の夕方。

犬とハープと、いつもの河原へ行きました。犬はぐんぐんクサリをひっぱって草の茂った道を歩いていきます。

犬の気が済むまでさんざん歩いてから、土手に座って、ハープを取り出そうとスカートのポケットに手を入れました。

思わず立ち上がりました。ポケットの中はからっぽ。

「えっ!」と探ると、人さし指がポケットから突き抜けます。

穴からハープが落ちてしまったのだと気づきました。

「そんな・・ハープっ!」

 

夕焼け、風でなびく少し丈のある草の道。

犬をほったらかしで、歩いてきた道をしゃがみながら草をかき分けてさがしました。

「・・ない・・」

聞こえた自分の声はちょっと泣き声でした。

もう一回、同じ道をさっきより念入りにさがしてみます。

足元が暗くなって見えなくなってきました。でももう一回見てみよう。

だけど・・一生懸命さがしながら、もうハープには会えない気がしていました。

 

ハープのさみしそうな笑顔を思い出して、(やっぱり)と思ったことを、あれから何十年も経った今でも覚えています。

 

その後。

ハープがいなくなったわたしは、しばらくしてから、放課後しょっちゅう遊ぶようになる女の子と出会うことになります。

 

ハープと別れて数年後。

中学生になったわたしは、英語の教科書で、思いがけずハープと再会することになりました。

そしてその時、ハープの本名が「チャーリーブラウン」だったと知るのでした。

 

 

 

 

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もっとかわいく生まれたかった、と親に文句を言った結果

2023-03-02 09:00:05 | 思い出

妻です。

お立ち寄りいただき、どうもありがとうございます。

 

先日キャベツとミニトマトを税抜き100円以下で買うことができ、思わずガッツポーズ。

別の日。保育士さんに連れられた子どもたちが、パアーッと警笛を鳴らしてくれた電車を追って走っていくのを見ました。そのあとの散歩は、にこにこ顔でつづけられました(マスクしててよかったです)。

 

 

子どものころ、クラスのかわいい子やテレビのアイドルを見て、猛烈にうらやましく思っていた時期があります。

毎日鏡を見ては「はあー」とため息をついていました。

 

クラスの男の子に邪険にされたある日、(ぜったいわたしの顔のせいだ)と積もりに積もったものがついに爆発しました。

のんきに横になってテレビを見ている父と、夕飯のしたくをしていた母に、

「わたし、もっとかわいく生まれたかったーっ」

と思いのたけを叫びました。

母はコタツの上に持ってきたおかずを置くと、

「美人だと苦労するっていうじゃ・・。あんたっくらいが一番いいんだよ」。

すると間を置かず父が

「そーだそーだ、そんな顔にしてやった親に感謝しろー」

寝転がったまま、ちびまる子ちゃんのお父さんのような口調で言ってきました。

勢い込んで文句を言ったのに、まさか感謝しろと言われるとは。

「・・もーっ。もういいよっ!」

 

その後わたしは、「美人薄命」という言葉を知ったり楊貴妃の運命を聞いたりするたびに、このやりとりを苦い気持ちで思い返しながらも、ちょっぴり親に感謝するのでした。

 

 

 

 

 

 

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