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Pamja nga Shqiperia me nje TIRONSE nga Japonia!! 

(旧:Jeta ne Shqiperi のはずだった・・・)
ぐるぐるぐるぅぅぅ 改め がつがつがつっっっ

これまた人生初

2009年01月25日 | DITAR
今年は1月26日が旧正月だそうで。

人生で初めて旧正月を中国人のクラスメートとその友人たちと祝って来ました!


といっても伝統的なものではなく、ティラナでも結構有名なクラブに行き朝方までハチャケて来ただけですが…

一人の中国人の青年がそこでアルバイトをしているとのことで、シート席でシャンパン、ワイン、カクテル等々を次々オーダーしてくれ、ちょっと金持ちみたいな感覚になりました。


(こっちでは日本にいた時よりも、財布の口を閉めて生活しているもので…)

しかもおごりでした。


というわけで、あけましておめでとう!!


*17歳のフイヤは(クラスメートは典型的中国人!?みたいな子で)、今日が初めてクラブデビュー!
今までどんなに私たちがアルコール類を飲んでいても一滴も試さなかった彼女が、今日は一滴ワインと、一滴のカクテルを試し、私たちに引っ張られるように踊っていました!

彼女は『クラブ』と言う場所をあまり気に入りはしなかったようで(うるさいから)、さらに残念なことに月曜日(つまり旧正月の元旦)体調がよくなく学校に遅刻しました。涙。
でも年の始りに病院に行ったり、薬を飲んだりするのは縁起が悪いと、薬も我慢していました。かわいいです。

歴史的な日に

2009年01月20日 | DITAR



今日はオバマ氏が44代アメリカ大統領に就任された歴史的な日です。
有色人種で初めてのアメリカ大統領です。


と、言うわけでクラスメートのチェルシーに誘われ、シェラトンで行われたアメリカ大使館主催のパーチーに参加してきました。

日本では深夜1時半からだったようですが、こちらでは夕方5時半からだったので、仕事の後に出かけました。


大きなスクリーンにはBBCの生中継が映し出され、軽い食べ物と飲み物がビュッフェ形式で提供されていました。

参加者は主に3種類
1:普段着で来たアメリカ人たち
2:着飾ったアルバニア人たち
3:報道関係者
などなど


アルバニアにいるたくさんのアメリカ人の中でも黒人の人はそう多くはなく(私も今までに3人くらいしか道で見かけたことない)、この日も会場にはチェルシーだけでした。

さらに彼女はおニューのオバマTシャツを着用!

報道マンの格好の餌食です。

1社(もちろんアルバニア系)からは生中継のインタビューを受け、他社からも受けていました。写真もバシバシ撮られていました。


完全に彼女は有名人です!!

オバマ氏の就任演説中、チェルシーは涙を流していました。
そしてその横で私は食べ続けていました。


でも私もこのような歴史的な日にアメリカにいるでもないのに、アメリカ人たちに囲まれ、その感動に触れられ光栄です。
(みんな私の事を日系アメリカ人だと思っていたそうです)
いい経験をしました。


後日談:
学校の先生と、ジーナおばあちゃん(私の家主)によると、チェルシーの横にいた私も頻繁にテレビに映し出されていたそうな…

食べてるシーンはなかったとのことで…

ついに

2009年01月19日 | DITAR
始めました…


ジムに通うことを…


日曜日にハロウィンで知り合ったイギリス人とランチをした時に、そのような話になり、彼が通っているジムに連れってもらうことになったのです。


週3回コースで一か月40ユーロ(5000円くらいか?)。
3か月分払ったので、それまでは行かざるを得ない状況になりました…

(週2回コースはあるかと聞いたら、“恐らく彼女は怠け者ね”と言われたので…)



初日と言うことでエアロバイク10分。
ウォーキングマシーン15分。
いくつかの筋肉増強マシーン10回×2

“今日はこれで十分。次回プログラムを作っておくわ!”とインストラクターに言われ、計45分ほど、汗もかかずに終わりそうになっていました。


着替えようと地下に降りたら、そのイギリス人たちが、ボクササイズを始めようとしてて、ちょっと見学させてもらっていた。
(インストラクターとそのイギリス人と、バリバリジムに通ってますって感じの女の人のみ)

ボクササイズが始まって10分ほど経った頃、”今日初めて来ました~♡きゃぴ♡”っていう感じの女の子たちが来て、彼女たちと一緒に私も始めることになったのです。



結局1時間強やったのですが、最初は楽しかったですが、終る頃には死にかかってました…

ももは既に痛くって、走れない~って感じでしたし、右腕はストレッチのためにすら持ち上げられないくらいでした…

ちなみにこのクラスはスウェーデンインストラクターのおかげで、がっつり英語が飛び交っていて、私にはしばしば指示がわかりませんでした…




さて帰り、2人きゃぴっ子と、バリバリジム通いのお姉さんに(ついにティラナで見つけた!!!)アイリッシュ・バーへ連れってもらいました。

きゃぴっ子は姉妹で姉が29歳、妹は25歳。
バリバリお姉さんも29歳。(25歳の妹と一緒に住んでいて、本当に毎日ジム通いしていた!!!)
私と同じような年齢、家族環境にあって、なんだか嬉しかった。
きゃぴっ子たちも、めちゃくちゃいい子たちだったし!!


というわけで頑張って通おうと決意したのでありました。



ちなみにきゃぴっ子の妹の方は結構有名な歌手だった!!!
声がめちゃくちゃかわいいと思っていたら…

みてみてちょ!



クリスマス

2008年12月24日 | DITAR
12月24日は冬休み第1日目でした。

近所のカフェで冬休みの宿題をしていましたが、12時閉店のこのカフェもこの日は遅くまで他のお客さんがいたので、ウェイトレスのお兄ちゃんが、最後のお客さんが帰るまで宿題をし続けることを許してくれました。


日本でもあるんでしょうか?私は見たことがないんですが、大晦日の『ゆく年くる年』のように、この国では教会からの中継が行われていました。

なんだか興味深く、1時に家に帰ってからも2時間ほどボ~っと見入ってました。


翌日はクリスチャンの中国人のフイヤに誘われ、韓国人牧師?神父?さんのいる教会へ行きました。

子どもたちが歌ったり、学生たちがイエスの生涯を現代風な音楽にのせたダンスで表現したり…



私にとってクリスマスに教会に行くのは初めてで大変興味深かったです。

ちなみにこの国ではクリスマスを、『キリストの誕生』という呼び方をするのですが、なぜか複数形にします。

確かに24日、25日の2日間を祝うからでしょうが、誕生日は24日の1日だけであって2日間ではないので私的(名詞に単数・複数の違いをあまりつけない国民としては)には“なんでやねん!!”と突っ込みたくなります。

バイラム祭

2008年12月08日 | DITAR
12月8日はバイラム祭でした。

イスラム教のお祭りです。

日本には宗教的な祝日はありませんが、この国にはキリスト教のオートドクス、カトリック、それにイスラム教、そして聞いたことない人がほとんどと思いますが、“ベクタシー”の宗教的祭日が、休日になります。

*ベクタシーはイスラム教の分派だとされていますが、私が出会ったベクタシーの人たちは、自分たちはイスラムではないと言っています*


私が住んでいる地域はティラナの町でも古い地域で、この地域に住んでいると言うと、「あ~、あなたの家のオーナーはイスラム教ね」とわかるらしいです。

で、近所に住む職場のボスもイスラム教徒らしく、豪勢なランチに呼んでいただきました。

この日は朝から家の周囲はにぎわしく(家の裏の裏の裏あたりにモスクだかイスラム教徒コミュニティーセンターだかあるし、アルバニアで一番有名なモスクも徒歩8分ほどのところにあるので)、タイコやら笛やらを鳴らしてあるくロマの人たちも行き来していました。


こうやって日本では体験し得ない行事に参加できるのが嬉しいです。

   

スープからお肉料理までボスのお母様の手作りでもてなしていただきました。
右:タヴァ・コス。アルバニア(特にエルバサンという町)の伝統料理なようです。羊のお肉と大量のヨーグルトを使うのが特徴です。このクリーム色のふわふわはヨーグルトによって出来ています。茶色の塊は羊肉。

初旅行(セルビアへ)⑦

2008年12月01日 | DITAR
ごめんなさい。パート⑥では終わりきれませんでした…
ケイタイでこのブログをチェックしてくれている人には、写真が重すぎて見れないかと思い…


   
左:アップル・ビュレック(ビュレックとはパイのようなものだけど、この地域特有なもの)を作るために新しくなったピヤッツァへ買い出しに!
右:リンゴをすります。

リンゴを巻き巻きしたパイをオーブンで焼いて、最後にミキサーで砕いた粉砂糖をかけて完成です。ブダは一人でこれをしばしば作ります!!
男の一人暮らしが長いから(奥さんを早くに亡くしているので)仕方ないかもしれませんが、この年ですべて一人で家事をこなすのですからビビります…


セルビア人の人は、こうやって1999年(NATOの空爆の)傷跡を未だ探して歩く観光客が好きではないようですが、一応この地を訪れたことのない人のためにご紹介。
    

手前:『私たちはただ子どもだった』と書かれた、空爆でなくなった子どもたちを弔う碑。
奥:聖マルコ教会。


再び来ることを約束して。


ベオグラードを出るとき、ブダは前回や前々回のようにビニール袋に、フルーツと茹で卵と、パンとチーズなどを入れて渡してくれました。

これがおいおい、すごい助けとなるのです…涙。

なぜなら、トンだトラブル!?により、ベオグラード(セルビア)→ミラノ(イタリア)→ティラナ(アルバニア)と帰る予定だったのが、ミラノからローマに一度飛び、空港内で一泊し(貧乏旅行ですので…)翌日ティラナに帰るという羽目になったのです。したがって、このブダのくれた食べ物が私の夕食となったのでした…

ローマの空港で。ピノキオの隣にノヴィタと書かれているカレンダーがあったよ。
ドラえもんのノビタくんって、ここからきてるの!?!?


旅の総評としましては、『セルビア人はアルバニア人よりアジア人に優しい』です。
これは、かつて多くの日本人の人たちが貢献したり、彼らの近くにいたおかげでしょう。

そして多くの日本文化なども見られました。


たった5日ほどアルバニアを離れていた私ですが、すっかりアルバニア語を忘れ、さらにセルビアではほぼ向けられなかった、あの冷たい視線を再び浴びる日々が始まり、正直ダイブ、ベオグラードに対してホームシックでした…

とは言え、しばらくはセルビア語を忘れようと誓ったのでした。


―――――完―――――

初旅行(セルビアへ)⑥

2008年11月30日 | DITAR
ついに最終章…

5年ぶりに訪れたベオグラードは随分変化していました。

ブダの家の窓から見えるバスターミナルと鉄道駅も美しくなっていました。

サヴァ側の向こう側のノヴィ・ベオグラードには韓国の某家電メーカーの看板がデッデ~ン見られました。

そして私の勝手な物差し(?)ですが、インターネットカフェが減ったように思います。
(=個人がパソコンを、インターネットを持つようになったってこと?!=経済発展?!?*私の勝手な偏見です*)

<*スチューデント広場の近くのプラトーともう一つのネットカフェはなくなっていたよ。>


あと、テラジャ近くのバスターミナル(ヴィディコヴァッツ・キャンプに行くときのバス停、ピヤッツァの近く)も美しくなっていました(ピヤッツァ共々)。

   
左:ブダの部屋から見たバスターミナル。
右:共和国広場。(馬は左を向き、人間は右を向く。これって銅像の鉄則??)
   
左:クネズ・ミハイロ通り。おしゃれなお店やギャラリーがありますよん。
右:カレメグダン公園。
   
カレメグダン内の軍事博物館
      
左:サヴァ川とドナウ川の合流点を臨む夫婦。ちょっとコーヒーのCMっぽい?!
   
カレメグダン公園でおじさんの人だかりと言えば、コレ。チェス!
   
左:5年前は外壁も工事中だった巨大な聖サヴァ教会。外側はきれいに出来上がりました。中は今も工事中です。(もちろん入れますし、お祈り中の人もたくさんいました。)
右:ブダの家の近くの鉄道駅。この駅からはオーストリア(ウィーン)まで、そしてモンテネグロのバール(私が乗車したところ)まで行けます。
   
左:ブダが2003年に私のために書いてくれた詩を再び、書き写してくれている。
右:ブダ自作の詩集の目次の1ページ。字がめちゃくちゃきれい!
(目次だけで3ページ半!!詩はまだまだ増えていく模様!!)


私たちはいくつものブダの自作の詩を読み砕きました。
不思議と言うか当然と言うか、5年前よりも今の方がその詩の意味が理解できて、より一層、ブダの私たち日本人“ゲスト”への温かい気持ちを知ったのであります。

初旅行(セルビアへ)⑥

2008年11月29日 | DITAR
夜9時40分に電車がついにベオグラードに到着!!

駅の外に出るとなんだか雰囲気が以前とは違うなぁと思いながらも、ブダおじいちゃんの家へ向かう。

どきどき、記憶を辿りながら。


ビルの下からピンポンを鳴らすを、インターフォンからブダの変わらない声が聞こえて安心した。

エレベータを降りるとブダが扉を開けて待っていてくれていた。

私がティラナから送った『ベオグラードに行くよ~!』のハガキは2日前に受けっとったとのことで、2日間待ちわびていたと。




82歳になったそうだ。
顔はすこしむくんだように思えるが、元気だ。
今も一人で自分の身の回りのことをして生活している。


私がご無沙汰していた5年間のうちにいろんな事が変わっていた。

孫のマルコ(推定24歳)は結婚して離婚した…はやっ!

医者がチェック中に鼓膜を破ったらしく、右耳は補聴器を付けないと聞こえないらしい。
重いハンディキャップだと言っていた。

もちろん動きはゆっくりになった。そりゃ82歳だもの!!

ドア、窓、電話、テレビが新しくなっていた。

ベランダが出来ていた。

エアコンがとりつけられていた。

次は風呂場を改装したいと!元気な証拠だ!


来客者が来たときに使ったシーツ、以前は自分でアイロンをかけていたが、今はクリーニングに出していた。


夜遅かったにも関わらず、軽い夜食を用意してくれ、部屋のあちこちを見せて回ってくれた。

数日前につくったというリンゴのビュレック(パイのようなもの)とカボチャのビュレックと、ラキアと蜂蜜を混ぜた手作りのお酒で再会を祝った! 『ジヴェリ!』


*私はどこまでも私…*
7月に式を挙げたみなっちの結婚式の写真を持って日本を出国し、アルバニアでもず~っとベオグラードまで持参する日を待っていたのに、モンテネグロのホテルで、忘れてきた…
(雨に濡れたり、曲がったりする恐れを感じて、一度鞄から出したのだ…)
本当に自分が信じられなかった…

初旅行(セルビアへ)⑤

2008年11月29日 | DITAR
10時、ゼイゼイしながら出発3分前の電車に乗りこむ。


電車というより列車と行った方がイメージがつかめるかと思いますが…


ジーパンも靴下も髪の毛もびったんこの、どこから見ても怪しい私は、モンテネグロ人の大学生の女の子が一人で座っていた客室に入る。

今から10時間とかの列車の旅の事を考えると、とてもこのべったんこのジーパンと靴下では耐えれそうもなかったので、お姉さんを信じて、スポーツバックを席に放置し、揺れまくりのトイレの中で必死に着替えました。

(いつも電車の旅の時思いますが、荷物をトイレに持ち込むわけにはいかず、周囲にいる人を信用するしかないですよね!??!)



この大学生の女の子はめちゃくちゃキュートで、1時間ほどで降りて行きましたが、しばしば私の意味不明なセルビア語?モンテネグロ語?に耳を傾けてくれ、微笑みかけてくれました。

   
バルカン半島最大のシュコドラ湖。モンテネグロとアルバニアの間にある。
(もちろんこれはモンテネグロ側からの撮影)


バールから1時間のポドゴリッツァ(大学生のお姉ちゃんもココで降りた)でたくさんの人が乗り込んできて、自分の指定席のところへ移動せざるを得なくなる…


新しく同客室になったメンバーも、いい人たちだった。私を含め4人。
というか愛すべき人たちだった。


初めて食堂車でランチを食べるぞ!と意気込んでいたけれど、同室のおっちゃんが、ミカンに始まり、さらに自家製ラキア(アルコール度22度ほど)を振る舞い始め、チーズ、ハム、ゆで卵、パンをくれたので、食堂車に行く機会を失ってしまった…


しかも食堂車に行くとなると、長時間荷物を放置しなければならなくなると思い、金持ち日本人であることを隠していた。
(つまり中国人だと偽っていた。ごめんなさい。)


でもね、ホント私がやっぱり嬉しかったのは、中国人の私にもみんな優しくしてくれたこと。

同室のみんなはもちろんのこと、廊下でも他室のおじさんたちが、カメラ片手に外を眺めている私のために窓を開けるのを手伝ってくれたり、綺麗な景色が近づくと呼んでくれたり、最寄りの町の話をしてくれたり。

セルビアとモンテネグロの国境でのパスポートコントロールでは、アルバニアから来た私のパスポートはなかなか返してもらえず、国境警察(?)の人たちが、アルバニアから来てセルビアに入ろうとしている外国人がいるとか何とかトランシーバーで話しているもんで、同室のおにいちゃんとかも、「心配しなくても大丈夫だよ!明日の朝の新聞に君が逮捕されて載っているのを楽しみにしているよ!」とか冗談交じりに緊張をほぐしてくれたりしていた。


   
よくこんな岩山の、こんな高い所に線路を敷いたな~と感心せざるを得ませんでした!本当に景色最高!!
ただ岩山を貫通するように列車は進んでいくので、めちゃくちゃ頻繁にトンネルに入ります。
    

    
モンテネグロではしばしば雪が積もっている町も通過しました。まだ11月ですけど…
   
セルビアとモンテネグロの国境ポイント。修道院前。セルビアの国旗ではないけど、国旗色(赤白青の横縞)にCCCC(Samo sloga Srbina spashava セルビア人族団結)のマーク。いよいよセルビアに入ります!
食堂車。無駄にカプチーノ飲みに行ってみた。




10時間で到着予定でしたが、ついたのは結局約2時間遅れの21時45分。

無事ベオグラード到着!!!
12時間近く乗っていたけど、素晴らしい景色に大興奮し、同室のみんなのセルビア語に耳を傾け、時にうとうとし、おっちゃんに起こされ、おにいちゃんにコーヒーをおごってもらったりしていたら、あっという間だった!!



いよいよ4年半ぶりにブッダおじいちゃんと再会の時がやってきた!!
私が送った手紙(11月28日か29日に行くよ~っていう知らせ)は届いているだろうか?
ていうか私はちゃんとおじいちゃんのアパートのピンポンを間違わずに押すことができるだろうか?(オートロック式なので)


巨大なワクワクと、少々の心配を胸に電車を降りたのであります…つづく。