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Pamja nga Shqiperia me nje TIRONSE nga Japonia!! 

(旧:Jeta ne Shqiperi のはずだった・・・)
ぐるぐるぐるぅぅぅ 改め がつがつがつっっっ

ティラナの雪

2010年02月16日 | DITAR


(写真:NOA)
先週の土曜日の朝、首都ティラナでも雪が降りました。

山がちなアルバニアでは、北部だけでなく南部でも山岳部では大雪となり、しばしば道路が通行止めになったりしますが、首都ティラナでは、今回の雪が7年ぶり(3年ぶりと伝えている記事もありますが)に降ったようです。

ですので、聖ヴァレンタインデーの前日であったこの日、ティラナの人々はこの素敵な空からのプレゼントを喜び、その美しさを楽しんでいました。

私もアルバニア人になったなぁ~と思ったこと。

2010年01月29日 | DITAR
1年住んでいると、たった1年だけど断然写真を撮ることが少なくなった気がします。

いかにも観光客のように写真を町中で撮りまくっても、誰もおかしな眼で見ないであろうが、なんとなく恥ずかしくなってきたのと、日本人にとっていろんな珍しいことや非日常的なことが、珍しくなくなってきたり、日常になってきたのかもしれない。


これは、前置き。


メインテーマへ。

アルバニアでは、朝から雨が降っていようが、それが土砂降りであろうが、雹混じりの攻撃的な雨であろうが、折り畳み傘を使います。

この国では折り畳み傘は路上から、雑貨屋さん、マーケットまでいろんなところで簡単に手に入ります。
中国製で300~500円ほどです。


一方、折り畳み傘ではなく、“普通の傘”を売っているのを見たことがない!!

最近、銀行や航空会社などの宣伝が入った“普通の傘”を持っている人を見かけるが、銀行へ用もないのに“傘ください!!”と言いたくなる。

思うのだけど、銀行の“ブランド”が入った傘を持っていることって、もしかしたらトレンディーなのかもしれない。

今日コンビニであるようなビニール傘を店の軒先でアルバニアで見つけて、“お!!”と思った。


さて、そんな折り畳み傘が主流の国では、折れたり、傘の先の布を止めている糸がほどけて、骨が半分見えている傘、そして骨折している傘を使っている人が多い。
どうして壊れた傘を使い続けているのか?
お金がないのか?と思っていた。


でも今や私もそんな傘を使っていた・・・
骨は2本折れている。
骨が2か所まる出ていたけれど、さすがに歩道の狭いティラナ。
人とすれ違う時にいつも、骨が出ている箇所が後ろに来るように、人に突き刺さらないようにと気をつけなければならないので、3か所縫い直した。
しかし縫ったおかげでテンションが変わり、また別のとこの糸が切れた。

骨が折れている折り畳み傘を畳むのはなかなか手間がかかる。


だけど、この状態で数カ月使っている。
お金がないからではない。
どうせ買っても、またすぐにこうなるだろうと思うから…
雨が避けられていれば、まぁ彼らの職務はまっとうされているというわけで…


アルバニア人の人たちの気持ちがわかったような気がした。汗


ところで、この国では2人用の折り畳み傘を一人で使っている人も多い。
荷物なども濡れずにすむから便利なんだと思う。

だけど、何度も繰り返しますが、この街の歩道は狭い!!
その上、街の景観のためだとか言って、植樹しまくっている!!
下手すれば、通行スペースを完全にゼロにしてまで植えている場所もある…
(この前も足の不自由なお婆さんが手押し車を車道に降りて押しているのを見た…しかも夜。恐ろしすぎる。でもデコボコで十分な幅がない歩道を手押し車を押すことは困難だろう…)

で、そんなところを2人用の傘の人とどのように対向できるのか…

雨のティラナは本当にBezditshme!!

まだまだ続く 理解不可能の事態

2010年01月13日 | DITAR
日本でも報道されているらしいですね、アルバニアの浸水・・・


     
(Balkanweb より)

訂正訂正。浸水は元旦に始まったようですが、ダムの放水は先月28日に始まったようです。


テレビでは、首相、国会議長、内務大臣が、こぞって“これは管理下にある(から心配しなくてよい)”と地域住民に話していましたが、管理された放水でなんでこんな長い日数(すでに12日)、水に浸り付けり続けなければならないのか?

というより被害は広がり続けている・・・


これは6月に撮った写真だが、この景色が、現在は灰色の水に覆われ、遠くの山だけがひょっこり出ている状態がニュースに出ていました。
(写真探してみましたが、見つからず・・・残念)




最初のころ、車でなんとか移動していた人々。

そのうち浸水が深くなっていくと、馬が荷台を引いて人々を運んだ。

そして今やボートが移動手段に。

そしてそして、ボートのない人は筏を組んで移動する。



北部はティラナよりもちろん寒い。

そしてティラでも北部でもこの時期頻繁に雨が降る。


首相を含むお偉い人たちは、月食により引き潮も海に川の水が流れ込まなかったと、月の所為にしていた・・・



政府の責任だとして最大野党の社会党が義援金口座を設置。

私はアルバニア最大のテレビ局と、アルバニアにある3つの携帯会社がコラボしている、“この番号にメールすると100円(=レク)”というのに何度かメッセージ送ってみた。



牛はなんとか息ができるだろうが、羊や鶏は完全にアウトと思われます。
農作物もアウト。

ティラナの人みたいに決して、十分な収入源が他にない人もたくさんいて、本当に気の毒で仕方がない・・・




そんななかでも“新たにできた湖”で魚釣りをする人。(街路樹やベンチかもわかるようにここは、もちろん道路だったんだな。)


*自治体でも政府でも、ポケットにお金を入れる人がまだまだ横行している国なので、100レク以上寄付したくても、誰を信用していいのかわからないので、しばらく様子見。

というのも、9月にあった地震の被害で、傾き、壁や天井にヒビが入ったままの今にも崩れそうな家に住んでいる人々に出された資金が、自治体のドキュメントでは支払われたことになっていて、お金が消えてしまっていると一昨日もニュースに出ていました。
この地域は、さらに山間部にありめちゃくちゃ寒いと思われ、そして所得もかなり低いと想像されるところで、本当に不憫です・・・

理解不明の事態  続き

2010年01月08日 | DITAR
元旦より続いていた北部地域の“浸水非常事態”にまつわるニュースですが、7日になっても、その状況は変わらず・・・というか!

1月7日の19:00時点で、


・3470人が避難をしている。
・2080世帯が浸水している。
・9150ヘクタールが浸水地域となっている。

参照:我が故郷の近く旧O村は9500ヘクタールぐらいだそうで、1813世帯、人口5867人だそうですので、ほぼあの村が全域浸水していると考えてよいかと・・・



一応、政府も避難を呼びかけ、軍がトラックやボートで救出をしようとはしているものの、浸水(60cm以上の所も多々)した家の2階部分で生活し続けている家庭も結構あるらしい。


というのも;

・家畜を飼っている人たちがいる。
(脛までジャバジャバ水につかりながら、牛と散歩?している人もまだいる・・・)
・無許可で建てられた家が多い?
(一度出てしまうと、2度と戻れなくなる恐れがあるから。行政だか地方自治体だかに持っていかれてしまう?)
・悪い奴はどこにでもいるもの。空けた家に泥棒が入る?



天災か人災か・・・論議はつづく。。。

理解不明の事態

2010年01月06日 | DITAR
年明けから早々、理解に苦しいニュースが連日報道されています。

元旦の夕刻に初めて映し出されていました・・・


あ、そもそも12月半ばから、今年は温かくまた雨がよく降っていました。
そのおかげで、特に北部の2000~2500m級の山々の雪が溶けだし、加えて雨のせいで、ダムの閾値を超えそうだと言うニュースはされていました。


そして大晦日。

もともとそれほど寒くはないティラナですが、この日はついに最高22℃にまでのぼり、ハイネックのセーターとジャケットでは汗ばむほどでしたが、恐らく山間部でもかなりの雪が解けた様子・・・


元旦の夕刻のニュースで伝えていたのは、

“ダムの3つの入り口を開いた。”
“必要不可欠だった。”

で・・・

“ダム下流の村々の200世帯が島状態になり孤立、570世帯が床上・床下浸水”って・・・


元旦から政府要人が長靴や、ジーパン履いて陣中見舞い??していたようでしたが、必要不可欠で浸水状態に人工的にさせられた人々って・・・


翌日には軍が食糧や医療品を届けていると放映されていましたが、浸水状態になっていても、未だにダムはゴウゴウと放水し続けています。
閉める様子は全くありません。

まぁ、開けるのも閉めるのもお金がかかる、と。
んでもって、もう既に浸かってしまったのだから、まぁ我慢してもらおうってか??


恐るべしアルバニア。
理が通る国ではないので、何事も気をつけなければねぇ。

ティラナの師走

2009年12月25日 | DITAR


ティラナのあちらこちらでも年末に向けて12月初めよりライトアップされました。上の写真はティラナの最大の大通り。
共産時代はカフェもなく、夕刻ともなると人々はこの道を行ったり来たりしていたと言われています。



写真は、街の中心地で、1930年代の初めのアフメド・ゾグ一世の統治時代に、イタリアの建築家たちにより新しくティラナの街が首都ととしてデザインされた際に建てられた省庁やティラナ市庁舎などの黄色の建物がライトアップされています。




振り返って写真を取ると、正面入り口の上に“アルバニア”と名づけられたモザイク画が置かれている国立歴史博物館の建物(左)と、現在は民営化され改築が済んでいますが共産主義時代にも国営の15階建ての一流ホテルとして機能していた、現“ティラナ・インターナショナル・ホテル”(右手。赤いランプで縁取りされた)が見えています。




毎年12月からこの街の中心地である国民的英雄のスカンデルベグ広場と、マザーテレサ広場の2か所に突如、遊園地が設置されます。 

そして昨年はマザーテレサ広場辺りで、2カ月もの間大渋滞が引き起こされ、毎日先生は遅刻してきました・・・

後ろに見える絵が、国立歴史博物館のモザイク画です。
街のど真ん中に設置されるので、遅くまで大人も子どもも寒空の下、クリスマスと年末の雰囲気を楽しみます。

アルバニア三大テノール

2009年12月10日 | DITAR
12月の初めに開かれた、アルバニア三大テノールコンサートに行ってきました。

チケットは当日に買ったので良い席ではなかったとは思うけど、700円ほど。


 

一人で行ったのだけど、隣のおじさんも一人で来ていて、聞けば出演のピアニストの伯父さんにあたるそうな。(右写真の大きく映し出された人が甥っ子のピアニスト)



で、このコンサート毎年行われていて、8年目になるそうなんですが、伯父さんは毎年来ていた!!!

というわけで、“この歌手よりあの歌手の方が上手だ”とか、“この家族はどこどこ出身だ”、“この人はここの大学を終えて、現在はどこに住んでいる”とかいろいろ解説つきでした。


それにしても驚いたのは、コンサートの最中に休憩タイムでもないのに、10分弱程時間が設けられ、オーケストラは舞台に座りっぱなしなのに、舞台のバックにはガンガンCMが流されると言う事。

まぁこれら巨大な協賛があるから、我々平民もお手頃な値段で??コンサートを楽しめるのでしょうね。


    
天井が星がたくさんでかわいかった!!
会場の様子:協賛のボーダフォンの垂れ幕だらけ!



最後はバレリーナも登場でコンサートを盛り上げました。

なかなかできない経験をしたぞ!Ne Pallatin e Brigadeve

2009年11月22日 | DITAR
11月20日は1989年に国連で“子どもの権利条約(正式名称:児童の権利に関する条約)”が採択された日ですが、今年はちょうど20年目の記念日となるようでした。


職場で、ユニセフ(国連児童基金)アルバニア事務所が子どもたちや、青少年に関する団体などを招待してフェスティバルが開かれました。


その会場が、なんとパラティ・イ・ブリガーダヴェという、1920年代にアルバニア王殿として建てられ、後に共産主義時代には独裁者エンヴェル・ホジャも住み、現在は迎賓館などとして利用されている、我々“ペーペー”がなかなか訪れる機会などありそうもない建物だったのです。


お姫様のように着飾った見るからに富裕層の子どももいれば、一般人の子もいるし、障害児、そしてアルバニアの人口の3.5~4%を占めていると言われているロマ人の子どもたちを支援している団体、親のいない子どもや貧しい家庭の子をサポートしている団体、麻薬などの子ども犯罪をなくすために活動している団体などが参加していました。


刑務所(?少年院?)の子どもたちが“母”というタイトルの詩を読んだり、ロマ人の子どもたちが伝統音楽とダンスを披露したりしていました。

     

左:現大統領のバミル・トピ氏
右:副首相兼、外務大臣のイリル・メタ氏


    

さすがに大統領&夫人、副首相、ユニセフと大物が集うと、マスコミも集まります。 夕方のニュースで、左の写真に写るマスコミが取ったと思われる角度で、米粒のような私が映し出されていました。



というわけで、貴重な経験でした。

只今メディアお騒がせ中のタッチ氏

2009年11月09日 | DITAR
先月、ミランがアルバニアのものになる日でお知らせした、アルバニア人石油王!?のタッチ氏ですが、ここ1週間ほど連日テレビをにぎわしています。


というのも、ミラン買収がいよいよ本格的になったからではなく、先週末ティラナの繁華街のカフェで、報道記者を殴ったとか殴らないとかで…


一応、翌日の報道では、“タッチ氏のガードマンが”殴った。と、出ていたが、その殴られた記者が、タッチ氏本人が殴ったと、語っているからです。


連日、この“殴った”とされるガードマンの処分についてももちろん伝えられるのだが、もうひとつ別のところでも、にぎわいを見せている。


この殴られた記者は半年ほどこのタッチ氏の脱税疑惑や、現首相のサリ氏との黒い関係!?などを書いていたらしいのです。


というわけで、首相官邸前で、報道関係者たちが、“表現の自由”を求めて抗議したりもしたり、さらに討論番組にもこの殴られた記者をお家のベッドから中継して出させたりしているのです。


“Sali Berisha! Don't TAC the Media!!”
まぁ首相のサリ氏に今回の件で抗議するのもよくわかりませんが、“サリ・ベリーシャよ! メディアにタッチする(触れる)な!”の タッチがTAC氏の名前をいじってある所が、さすが報道関係者だなぁと、関心した私でありました。


いずれにせよ、タッチ氏の名声はアルバニア国内にとどまらず、もちろんイタリアでも、落ちましたでしょうね…

ミランがアルバニアのものになる日も消え失せてしまいましたね…

純粋なアルバニア人? 資本主義にばっちり染まっている私?

2009年10月26日 | DITAR
先日10月19日はマザーテレサの日でしたが、ふと一昨日町を散歩していると、並木道にポスターが・・・


マザーテレサ生誕100年記念マラソン大会が開かれるという。
1kmにも及ぶ大群が走る!

と、書いてあった。


が、それは翌日。(つまり昨日。)



町の誰もが生誕100年であることを知らなかったと思われる・・・

そしてそのマラソンが何時にスタートするのか、表示されていない・・・


え・・・これは来年のものか!?!?!?!?!



生誕100年なんて、そうそう巡って来ないチャンスなのだから、たとえば、記念切手、記念コインを発行するだとか、何かイベントを開くとかしても良かったかと思うが・・・

そんな商業主義的な考えをするのは資本主義バリバリの日本からやってきた私の間違いだろうか・・・

もしかしたら、世界のマザーテレサを肖像権はそう簡単には使えないのか!?



ちなみに、19日の夜のテレビ番組でやっていた。

共産党主義時代の1970年代、彼女のお母さんはアルバニアで生活していたらしいのだけど、(もちろんテレサはインドで活躍していたころ!)病気だったから、海外で治療させるために、アルバニアの外に連れ出したかったが、当時のエンヴェル・ホジャという共産党独裁者が、それを許さず、テレサはフランスの大統領だか首相だかに、エンヴェル・ホジャへのテレサの母親をフランスに出すことを許可するようにと手紙をかくが、受け付けられず、さらにバチカンだかからも同様の手紙を送るが受けいられなかったらしい。

そのままお母さんの治療もできず、会うこともできないまま、母親は亡くなり、母親の死後、そしてエンヴェル・ホジャの死後ようやく、アルバニアに入国できることとなりました。


今でこそ、アルバニア人の誇りであるマザー・テレサですが、20年前までは多くのアルバニア人がその人の存在も知らされていなかったと思われます。

1990年以前のアルバニアはまさに現在の北朝鮮のような感じで、外からの情報も全く入って来ず、人々が海外へ移動することも入国することもできず、さらには国内外でも自由に転居が許されていなかったのです。