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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

縁のないお札であるが

2011-08-07 09:46:00 | 北海道旅行

かっての隆盛を誇った小樽は競うように立派なビルを建てたが、1次・2次大戦による国交や国政の変化に衰退の影を落とす。その代表の一つが今は閉鎖された日本銀行の小樽支店であった。東京駅の設計者辰野金吾らが設計し、ルネサンス様式が取り入れられ、イギリス製のらせん階段が取りつけるなど、贅の限りを尽くした建物と言われている。
正面玄関の2階のバルコニーから国旗がはためき、手招きしているようであり、恐る恐る門を潜った。
入った先は柱が全く無く、2階迄、吹き抜けの大ホール、見上げれば外周部には木枠で組まれたテラスと壁には装飾具が飾られ、ヨーロッパの神殿を思わす造りに驚く。営業窓口のカウンターがそのまま残されているが、それが何と大理石が使われている。

<お札の話し>
館内は圧倒的に札に関わることばかりであったが、普段小銭にしか持てない身分にお札は遠い世界であるが、こんな話が面白かった。

お札は誤って破断したり、或いは燃えてしまっても、その残骸があれば換金してくれる。
面積で2/3以上の場合は全額、2/5以上で半額戻ってくる。当然、専門家の鑑定が当然有る様だか、諦めずに救済されるのであろう。


これはアイヌの守り神シマフクロウをモチーフにした飾りものである。
大事なお札を守る役割として館内・館外に石膏で造られ装飾品として多数飾られている。
しかし、同じシマフクロウでもこれは素材として回収された古札を粉砕し固められ、成形されたものである。一生懸命、近寄ってその姿を凝視しても細かい粒子に、札の姿は微塵にも感じられない飾り物になっている。
果たして使われた貨幣は「ン千万」か「ん億」か、どの位であろうか?
こんなシマフクロウを枕に、せめて巨万の富の夢物語でも見たいものである。

鰊(にしん)御殿

2011-07-29 16:03:00 | 北海道旅行

千歳から100㎞、小樽より北側4、5㎞の、積丹半島の縁、高島岬にたどり着く
岬から祝津漁港を望む、穏やかな海である。
北海道西岸の浅瀬に3~5月頃産卵行動する鰊を「春にしん」と言われる。
オスの白子で海が真っ白になるほど海の色が変わったと言われる位に巨大な群れを浅瀬に寄せ、鰊の産卵があった。
その「春にしん」は昭和33年頃境にぷっつりと姿をけしてしまった。
にしんは何故消えてしまったのか?
森林の伐採により落葉が減少したため、海域へ流出するチッソや鉄など養分が不足したことにより海藻類が減少し産卵環境が悪化したことや、プランクトンなど鰊のエサが相対的に不足したことにもよるとされている。その鰊漁の豊漁も、枯渇し、夢物語になってしまった。

祝津には賑わいを見せた番屋も、立派な建屋も、ご覧の通り、板塀で封印されている。
栄華を誇る入母屋造りの玄関口、窓は木格子で組まれ、屋根の中央には煙を吐き出す天窓など、随所に鰊御殿と言われる風格さえ感じられる。
板塀の封印が解かれ、鰊漁に沸き返ることが再び訪れるのであろうか・・・。

その上の見晴らしのきく高台に建てられたのが俗に言う、鰊御殿である。積丹半島の一角、泊村での代表的な漁業家が鰊漁業最盛期に数年を要して、明治30年に 完成した建屋である。
昭和33年、北海道炭こう汽船(株)が記念事業で買い上げ、泊村から此処小樽へ移築され、その後、市へ寄贈され、鰊漁として北海道文化財に指定されている。
大きな建物は2月中旬の漁期になると、青森、秋田、山形から出稼ぎでヤン衆が此処親方の家に集まる。親方とその家族を含め総勢200人を越える大団体が寝起きや食事を一斉に行う、賑やかな集団の生活の場となる。
天井から垂れ下がったまた木の釣り手。それに吊り下がった自在鉄瓶、濡れ物を干す。
成熟した大型の鰊を串にさして丸焼きにする。焼いた鰊の油がしずくのようにパット燃える。
部屋中魚の焼いた匂いとたき火の煙で一杯。煙を吐き出すために天窓がある。
大勢のヤン衆たちは大鍋で仁平汁をたいて生活した。
ヤン衆は自分の働きに応じた賃金を貰い、豊かな気分でそれぞれの故郷の家に帰る。
同じ屋根の下、鰊漁にかける壮大な群れが家族のような生活を此処で行われ、賑わっていたのである。
巨万の富を巡る鰊漁の世界に以下のために何と「隠れ部屋」がある。
・鰊漁の巨額の販売代金を狙う強盗から防備する現金の保管場所。
・雇った素性の良くない者が酒の勢いで刃物を振り回すため、網元や家族の避難場所。
・鰊漁は豊漁と不漁の差が大きく、不漁年に借金取りが来たときの網元の隠れ場所

当地ならではの鰊蕎麦はちょっぴり濃いめの醤油味がするりと腹に収まる。
昨年の、道南巡りで寄った一つが江差の「横山家」では鰊蕎麦は匂いだけで、我慢した。最近になってBSの旅番組でその鰊蕎麦が紹介され、美味そうに食べる姿に刺激され、1年振りの小樽でようやく念願を果たした。
濃いめ醤油味、「高尿酸血症」には控えるべきであろうが、美味い美味いと汁まで、がんがん呑んでしまった。尿酸値も気にしながら、辞められない、止まらないで、意地汚く、食べ、飲み、後々まで喉の渇きが、後に残る。

逢いたい気持ちが ままならぬ

2011-07-27 15:43:00 | 北海道旅行

逢いたい気持ちが ままならぬ
  北国の街は つめたく遠い
  粉雪舞い散る 小樽の駅に
  ああ一人残して 来たけれど
  忘れはしない 愛する人よ♪♪・・・♪

聞き覚えのある、歌詞のイメージから
雪降る冷たく最果ての僻地での
逢いたくても逢えなかった切ない気持ちを
この小樽の駅でのロマンを唄ったのであろうか
ホームは2階で改札からその姿は全く見えず
その情景は窺い知れなかった。


「うわ~みごと」改札を見上げると見事な飾り物が賑やかに、目を奪われる。
大きな駅舎の改札口は見上げれば高い吹き抜け
ガラス張りの壁に鉄道の大事な信号を告げる
カンテラが釣り下がり、鮮やかな絵姿がホールを飾っている。


「むかい鐘」
上り列車は2打。下り列車は3打
「10数分後に列車が到着するよ~」
と到着予告を告げる鐘の音は今でも、打ち鳴らせば「かーん」と言う
澄んだ金属音が人、車で賑わいを見せる喧騒の中、響きわたる。

旅客は一杯の荷物を担いでホームへ急ぎ
出迎え人や行商人はその鐘に
吐き出される降車客との出会いを待ち受ける。

旅の始まりはこの鐘の音から始まった。

明治の時代から、大正そして昭和40年(1965)まで、時の過ぎ行くまま、列車の到来を人々に
告げていたのである。

かっては「北のウオール街」と船の輸送での小樽港が隆盛を究めたその、運河、歴史を語る建物に観光客が此処小樽を訪れ賑わいを見せている。
その駅舎も大事な役割を果たしている。

小樽での旅の出会いで、小樽駅を書いてみた。
道央の旅「小樽編」

暑さからの解放区へ

2011-07-09 17:52:00 | 北海道旅行

朝5時、未だ脳味噌が眠りから覚めないまま我が家を出発し羽田に向かう。
靄がかかり、くそ暑い東京を一ッ飛び、一路、千歳に向かう。
南北に長い列島に、この時期、東京とは全く違う異郷の地に取りつかれ、北行きは恒例行事になってしまった。
機内は満席、この時期涼気を求め、北への逃避行は人気の原点かもしれない。


千歳にズシーンという音に無事機は千歳に到着した。
タラップから空港に出た瞬間が何ともたまらない、北の空気である。これまでの糞暑さが総て、すっ飛んでしまう自然の涼気である。
レンタカー会社が、空港からかなり離れた位置にあり、道中、共にする車との対面である。
今流行りのハイブリットカー「プリウス」である。
何時も乗り慣れた車とは運転操作ががらりと変わる方式に案内のおにいちゃんの説明に頷きながらも、半ば鵜呑みで不安半分で、車を預かる。
例えばエンジンキーの概念は押しボタン操作に変っている。フットブレーキなどなど違う事ばかり、挙げ句の果てナビゲーションも走り出さないとその感覚が掴めない。
まあ、良かろうと千歳空港のicから大胆に道央自動車道に乗り込む。途中で分岐し札幌自動車道に分かれ、小樽にひたすらむかう。
専用自動車道は道内は始めて、国道でも道は空いており、専用道に遭遇することはなかった。
専用自動車道は写真の通り、車も少なく、マイペースで気分よく走る事が出来る。
ナビゲータは大変便利、しかし、道路に設置された発信器に反応し、「ETCカードを挿入下さい」のアラーム音にびっくりする。「一般」のゲートを最初から潜るのに、いきなりの警告音に余計なお世話、自動車道を走る過程で何時も驚かされた。


無事に小樽市内のホテルに到着する。車を預け、ようやく運転リスクから解放される。
小樽の運河、それに古い建物に包まれた落ち着いた街並みをゆったり歩く。
3.11地震の影響はここでも、あの騒々しい中国人の群れが全くおらず、観光客も少ない様子。写真の人力車のお兄ちゃんも商売上がったりで、人待ちしており、観光客にかける声に反応も今一で、手持ち無沙汰であったようだ。
運河沿いの涼気をたっぷり貰い、すっかり東京の暑さから解放された。
古いレンガ作りの倉庫建屋を活用したビアガーデンに入り、ガランとした空間で、地ビールを飲む。疲れ、渇き、から解放されたこの瞬間が何とも言えないこの一時、北の一歩がこうして始まった。

あの函館の温かさが消えぬ間に

2010-10-29 22:02:00 | 北海道旅行

函館市内から南側の函館山に車で登ってみる。狭い山道は一方通行になっている開けた踊り場に出るとそこが「立待岬」であった。
岬には色々名をつけるが「立待岬」って面白い名前だなあ~と思ったが、やはりここに生活基盤のあった、アイヌから生まれた言葉であった。魚を獲ろうと立って待つことから「立待」の名前になっていることが、説明されていたが、獲物を見つけて待とうと言う随分のんびりした漁である。

津軽海峡にせりだし、対岸の青森はかすかに認められる。反対に振り返ると市街を俯瞰し一望できる場所である。
見通しの効く場所だけにここに砲を置き、台場とされた時期があったが、もとより、一般人は立ち入ることが出来ない軍事上の聖地であった。
こんな海にせりだしているのに、風が全くない。穏やかな日和に半袖でも過ごせる穏やかな日であった。

それが1週間前のことであった。東京に帰って昨日の異常な寒さはなんであろうか、木枯らしが吹きまくり思わず放置してあった扇風機を片づけて、石油ストーブを慌てて出した。
天気予報で普段気にしない、北海道の天気が何となく気になった。釧路、札幌それに函館まで初雪であった。
もし、1週間遅れていたら、今頃雪の洗礼を浴びるところで、立ち往生。のんびりドライブなんて出来ないかもしれない。

あのくそ暑い酷暑が10月に入っても続いた。この先どうなるのだろうと思うまもなく、今度はこの寒さ、アップダウンの激しい陽気に、体も付いていけない。
長い長い夏があって、秋の気配が無いまま、いきなり冬になってしまった。
紅葉で有名な函館の大沼公園。この暑い夏の災いで大沼湖の周遊船から紅葉の姿は余り見られなかった。
紅葉を見ないまま冬をむかえるのであろうか・・・。地球自体が狂ってしまったのであろうか。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/