「勝って生きるか、負けて死ぬか」
戦闘者である武士にとって、最高の価値は、相手に「勝つ」ことにありました。
「武者は、犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本(もと)にて候こと」(『朝倉宗滴話記』)
明治以降今日に至るまで、武士道の精神は、さまざまに歪曲され、また抑圧されてきたように思います。武士道の根本精神は、言うまでもなく「武」にあり、「武」とは、「勝つ」ことであり、「強さ」です。新渡戸『武士道』をはじめ近代の武士道論は、戦いに勝つという「武」の本質を、どこかないがしろにしているように思われます。(中略)
そもそも戦闘とはリアルな力のぶつかり合いです。その戦闘の結果は、勝敗・生死・存亡という冷酷な現実として示されます。たとえ相手がどんな卑劣な振る舞いをしようとも、負けてしまえば、何も言うことはできません。生きるためには絶対に勝たなければならないのです。
だから、武士がまず何よりも追究すべきは、相手に打ち勝つ強さでなければなりません。「勝つことが本」とは、そういうことです。(中略)
ただし、朝倉教景が言いたかったのは、敵の卑劣な手にかかって負けても、負けは負けだ、相手が卑怯だったということは言い訳にはならない。本当の強さとは、敵のありとあらゆる手立てを超えて、それに打ち勝つ力なのだ、と。
でも、強さを追究していった果てに、武士たちが最終的に卑怯・非道を肯定しなかったのはなぜか。それは、結局、卑怯・非道は強さではないという単純な理由によるのです。このことを、武士たちは五百年以上にわたる戦乱の経験から、骨身に徹して学んできたのでした。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
戦闘者である武士にとって、最高の価値は、相手に「勝つ」ことにありました。
「武者は、犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本(もと)にて候こと」(『朝倉宗滴話記』)
明治以降今日に至るまで、武士道の精神は、さまざまに歪曲され、また抑圧されてきたように思います。武士道の根本精神は、言うまでもなく「武」にあり、「武」とは、「勝つ」ことであり、「強さ」です。新渡戸『武士道』をはじめ近代の武士道論は、戦いに勝つという「武」の本質を、どこかないがしろにしているように思われます。(中略)
そもそも戦闘とはリアルな力のぶつかり合いです。その戦闘の結果は、勝敗・生死・存亡という冷酷な現実として示されます。たとえ相手がどんな卑劣な振る舞いをしようとも、負けてしまえば、何も言うことはできません。生きるためには絶対に勝たなければならないのです。
だから、武士がまず何よりも追究すべきは、相手に打ち勝つ強さでなければなりません。「勝つことが本」とは、そういうことです。(中略)
ただし、朝倉教景が言いたかったのは、敵の卑劣な手にかかって負けても、負けは負けだ、相手が卑怯だったということは言い訳にはならない。本当の強さとは、敵のありとあらゆる手立てを超えて、それに打ち勝つ力なのだ、と。
でも、強さを追究していった果てに、武士たちが最終的に卑怯・非道を肯定しなかったのはなぜか。それは、結局、卑怯・非道は強さではないという単純な理由によるのです。このことを、武士たちは五百年以上にわたる戦乱の経験から、骨身に徹して学んできたのでした。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用