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History, Strategy, Ideology, and Nations

中国の処世訓

2010年07月22日 | ET CETERA
 「言うは易く、行なうは難し」という言葉があるように、
 教訓めいた話を聞いても、それを生活の中で実践していくことはなかなかできないものである。
 同じように、「私の言う通りにせよ」と注意することは簡単だが、
 「私のする通りにせよ」と示すことは至難の業である。
 
 聞くところによると、少し前から名言集や格言集などが静かなブームとなっているらしくて、
 確かに古今東西の名言や格言を集めた本がよく売り出されている。
 不安の多い時代になったこともあるのだろう。
 元来、生活知を重視する日本人にとっては、宗教的な教義に帰依するよりも、
 歴史や人生の中から生み出されてきた言葉にこそ信憑性と説得力を感じるのかもしれない。
 
 だが、日本以上に名言や格言を好む国として中国が挙げられる。
 中国の古典をひもとけば分かるように、
 その内容は、実生活での体験や経験を通じて得られる処世術の訓話が多くを占めている。
 とりわけ現在でも最高傑作として広く愛読されているものとして、
 明の時代に洪自誠が著した『菜根譚』というものがある。
 日本では、江戸時代に和訳された後、座右の書として読まれるようになったそうだが、
 今まで一度も読んだことがなかった。
 とはいえ、いきなり原文に触れるというのもハードルが高いと思っていると、
 都合よく注釈本が新しく出版されていたので、これは幸いとばかりに目を通してみた。

 湯浅邦弘
 『菜根譚 中国の処世訓』
 中公新書、2010年

 最初に紹介されているのは、人間関係についての訓話である。
 たとえば、次のようなものがある。

 「世の中を渡っていくのに一歩を譲る気持ちが大切である。
  一歩退くのは、のちのち一歩を進めるための伏線となる。
  人を待遇するのに少し寛大にする心がけが望ましい。
  他人に利を与えるのは、実は将来自分を利するための土台となる」(p. 34)

 要するに、「情けは人のためならず」ということなのだが、
 はてさて、それを実践している人は一体、どれくらいいるだろうか。
 
 注釈者の湯浅邦弘氏は、「はじめに」の冒頭で、次のように書いている。

 「中国は処世訓の国である。
  さまざまな書が、工夫を凝らし処世の術を説く。
  だがそれは、世の中が息苦しいことの裏返しであるかもしれない。
  俗世が濁っているからこそ、清らかな処世の言葉が光るのである。
  とすれば、中国の乱世こそが、処世訓を大量に生産してきたのではないか」(p. i)

 つまり、こうした処世訓は、現実世界への批判として読み継がれてきたという側面があるということである。
 今日、日本でも名言集・格言集がブームとなっているのも、
 人生の指針を立てたいという願いからではなく、
 潜在的に現実世界への批判といったものが込められているのかもしれない。
 以前に比べて、はるかに拝金主義や成果主義が横行するような時代となったことで、
 人心は一層、荒んでいくばかりである。
 自分が実践できるかどうかはともかくとして、
 そこに広がる言葉の世界には、少なくとも現実社会には見られない理想像が描かれている。
 処世訓の言葉に慰めを見出したとしても罪になることはあるまい。