YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

免疫学の巨人イェルネ

2010年07月01日 | ET CETERA
 すでに流行の時期は過ぎたとはいえ、免疫学は個人的に思い入れの深い学問領域である。
 高校の頃、理系選択を決めたのは、色々と理由はあるけれども、
 その中の一つに、免疫学に多少なりとも興味があったことが挙げられる。
 大学に入って、微生物学を専攻したのも、免疫との関係を検討したいと思ったからにほかならない。
 現在、そうした世界から大きく離れた世界で勉強する身分となってしまったが、
 免疫学には、今もなお色褪せない魅力がある。

 とはいえ、その魅力とは何かと聞かれても、一言で表現するのはなかなか難しい。
 自己と非自己の境界、複雑なネットワークシステム、場と全体の相関性など、
 単純に生物学的な関心だけにとどまらない知的な拡がりを感じさせるということも重要だが、
 そうした議論を戦わせてきた免疫学者たちに、実に個性的な人が多かったことも見逃せない点である。
 たとえば、抗体のクローン選択説でノーベル賞を受賞したマクファーレン・バーネットは、
 「神と対話している」と呼ばれるほど、生物学的センスに優れた学者であった。
 実際にバーネットと接したことがある分子生物学者の利根川進氏の話によると、
 バーネットが示したアイディアに沿って実験すれば、
 必ずポジティブな結果を得ることができたというのだから、
 バーネットにとって、ノーベル賞などというのものは、
 その気になれば、いくつも獲れたものだったのかもしれない。

 しかし、そのクローン選択説に先駆けて発表された自然選択説の提唱者で、
 デンマークの免疫学者ニールス・イェルネもまた、類稀なる魅力に富んだ人物である。
 いかにもヨーロッパ的な知性を具現化したような佇まい、
 そして、途方もない知識欲と好奇心に突き動かされてきた人生は、
 もはやサラリーマン化したような学者には、到底、真似することができない孤高の境地と言えるだろう。
 それでいて、「科学者として、私ほど多くの年月を無駄にした者はない」といった発言からも窺えるように、
 どこかモラトリアムな雰囲気を漂わせつつ、
 本格的に免疫学の研究に取り組み始めたのも、40代に入ってからという遅咲きの学者であった。
 そのため、簡単な実験機器の操作もままないという有様だったのだが、
 イェルネの才能は、そうした細々とした実験の技術や手法に満足するものではなく、
 免疫の作用機序を理論的に捉えるという点に向けられ、見事に大きく開花したのである。
 
 日本では、科学者の伝記というと、野口英世のように立志伝として描かれることが多い。
 だが、次の文献は、イェルネの人間性の部分をうまく抽出しながら、
 免疫学の分野で「巨人」と称されるようになった科学者の人生を、
 イェルネ本人が所蔵していた膨大な文書をもとにして、忠実に描き出している。

 トーマス・セデルキスト/宮坂昌之監修、長野敬・太田英彦訳
 『免疫学の巨人イェルネ』
 医学書院、2008年

 今現在、こうしたスケールの大きい学者が少なくなっていることは実に悲しいことである。
 また、こうした学者が自由に「遊べる」場所も失われつつあることに一抹の寂しさを覚える。

 「何か役に立たないことを学びたかった」

 実業の世界を離れて大学に入り直した際に、イェルネが父親に書き送った手紙にある一節である。
 俗に「ディレッタント」と呼ばれるような人が、
 自分の知的好奇心を自由に追求することができるような社会こそ、
 文化的に成熟した社会と考えるならば、
 実用重視の学問が幅を利かせるようになった現在の学問環境は、
 もしかしたら文化的に後退してしまっているのではないかという気がしてくる。
 一つの枠に収まり切れないで、知性がほとばしる人間にとっては、
 現在はまさしく不遇の時代と言えるのかもしれない。