以前に比べると、日本で洋楽信仰といったものはかなり薄れてきたような気がする。
実際、邦楽を聴いていても、言葉の面を除けば、ほとんど洋楽と遜色がないものになっているし、
演奏技術や音色のセンスなども、洋楽には見られない日本独自のアレンジが施されていて、
すでに音楽ジャンルの一つとして確立された印象を受ける。
こうした事情に詳しい人から言わせると、それを「J-POP」と呼ぶのだそうだが、
確かに欧米の音楽シーンでは聴くことができないオリジナリティがそこにはあるのである。
たとえば、音楽的に低く評価される傾向が強いアイドルの楽曲も、
今にして思えば、非常に作り込んだものであったことを思い知らされる時がある。
例としては若干、古くなるが、田原俊彦の「NINJIN娘」(1982年)は、
軽く聴くだけだと、歌詞の内容からして、随分おちゃらけた楽曲のように思ってしまうが、
実を言うと、ジャズで使われるフレーズがふんだんに盛り込まれていて、
聴く人が聴けば、作り手のジャズ魂を強く感じさせる楽曲構成になっているらしい。
しかも、それをアイドルが歌うポップスとして表現しているところに、
日本独自の解釈、ならびに洋楽と邦楽の絶妙な融合を見ることができるのである。
一方、例としてはさらに古くなるが、坂本九の「上を向いて歩こう」に関しても、
洋楽と邦楽の絶妙な融合が生んだ傑作と言われている。
従来、ポップスの楽曲は、Aメロ、Bメロ、サビ・・といったように構成されるのが一般的だが、
「上を向いて歩こう」は、こうした構成にまったく当てはまらない。
それというのも、楽曲の核となる「サビ」に相当する部分が存在しないからである。
では、冒頭のフレーズ「♪上を向いて~」がサビかというと、そうではない。
なぜなら、「♪幸せは~空の上に~」の部分は、明らかにブリッジであり、
楽曲構成上、次のメロディに移るための「つなぎ」の役割を果たしているからである。
こうした奇妙な構成は、欧米の楽曲ではまず見ることができないものであろう。
作曲者の中村八大は、戦前からジャズマンとして活躍し、
戦後、服部良一と並んで、日本のポップス界を牽引した音楽家としてあまりにも著名な人物であるが、
この世代は、ちょうど終戦によって、米国から大量に洋楽が日本に輸入される中で、
いかにしてそれを日本的に解釈していくかに心を砕いた世代であった。
のちに、「上を向いて歩こう」は、米国において「スキヤキ(SUKIYAKI」として売り出され、
やがてビルボード1位を獲得し、現在も多くの海外アーティストがカバーする名曲として知られているが、
そこには、邦楽との出会いによって、
洋楽の可能性を大きく拡げさせた画期的作品というリスペクトが込められているのである。
もちろん、それは逆に、邦楽の可能性も大きく拡げたということにもなる。
ジャズからフォーク、ロック、R&B、ヒップホップといった具合に、
音楽の流行は刻々と変化していったけれども、
現在、「J-POP」と呼ばれる楽曲群は、そうしたあらゆる音楽ジャンルが詰め込まれていて、
その柔軟性と応用力は他の追随を許さないところがある。
国際政治学者の高坂正堯は、
他の文化との融合を通じて独自性を発揮するところに日本文化の特徴があると論じたが、
その点では、確かに「合金」文化としての日本の伝統は、
現代のポップスにおいても、はっきりと反映されていると言えるだろう。
また、そのことに気づいて、積極的に評価する外国人がいるのことも興味深い。
たとえば、米国のメタルバンド「メガデス」のメンバーとして活躍し、
現在、日本を活動拠点の場として選んでいるマーティン・フリードマンというギタリストは、
著書の中で、「J-POP」の大きな魅力として、
「ジャンル的になんでもありで、いろんな音楽スタイルを自由に追求できる」ことを挙げている。
マーティン・フリードマン
『いーじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』
日経BP社、2008年、42頁
米国では、音楽のジャンルごとに求められる楽曲のスタイルといったものが意外と厳しく、
新しいことに挑戦したくても、ファンやレコード会社から敬遠されることが多いようである。
また、一つのジャンルが流行すると、そればかりがビルボードに並んでしまうくらい、
音楽ニーズが硬直化しており、
その点で、個々のアーティストのパーソナリティを楽しむのであれば、
日本のヒットチャートを聴いている方がエキサイティングだとも指摘している。
著書では、最新の邦楽曲をいくつか取り上げつつ、
バラエティに富んだ「J-POP」の魅力を引き出すことに関心が向けられており、
楽曲制作の最前線で格闘する日本人アーティストへの敬意が表されていると同時に、
洋楽との相違点にも言及されていて、
改めて邦楽の面白さに気づかされる内容になっている。
余談だが、著者の父親は、米国・国家安全保障局(NSA)の職員だったそうで、
一時期、ドイツやハワイに在勤していた時期があったらしい。
その際、滞在期間がそれぞれ概ね三年であったと記されていることから、
NSAでのスタッフの配置転換が、大体それくらいの周期で動いていることが分かる。
実際、邦楽を聴いていても、言葉の面を除けば、ほとんど洋楽と遜色がないものになっているし、
演奏技術や音色のセンスなども、洋楽には見られない日本独自のアレンジが施されていて、
すでに音楽ジャンルの一つとして確立された印象を受ける。
こうした事情に詳しい人から言わせると、それを「J-POP」と呼ぶのだそうだが、
確かに欧米の音楽シーンでは聴くことができないオリジナリティがそこにはあるのである。
たとえば、音楽的に低く評価される傾向が強いアイドルの楽曲も、
今にして思えば、非常に作り込んだものであったことを思い知らされる時がある。
例としては若干、古くなるが、田原俊彦の「NINJIN娘」(1982年)は、
軽く聴くだけだと、歌詞の内容からして、随分おちゃらけた楽曲のように思ってしまうが、
実を言うと、ジャズで使われるフレーズがふんだんに盛り込まれていて、
聴く人が聴けば、作り手のジャズ魂を強く感じさせる楽曲構成になっているらしい。
しかも、それをアイドルが歌うポップスとして表現しているところに、
日本独自の解釈、ならびに洋楽と邦楽の絶妙な融合を見ることができるのである。
一方、例としてはさらに古くなるが、坂本九の「上を向いて歩こう」に関しても、
洋楽と邦楽の絶妙な融合が生んだ傑作と言われている。
従来、ポップスの楽曲は、Aメロ、Bメロ、サビ・・といったように構成されるのが一般的だが、
「上を向いて歩こう」は、こうした構成にまったく当てはまらない。
それというのも、楽曲の核となる「サビ」に相当する部分が存在しないからである。
では、冒頭のフレーズ「♪上を向いて~」がサビかというと、そうではない。
なぜなら、「♪幸せは~空の上に~」の部分は、明らかにブリッジであり、
楽曲構成上、次のメロディに移るための「つなぎ」の役割を果たしているからである。
こうした奇妙な構成は、欧米の楽曲ではまず見ることができないものであろう。
作曲者の中村八大は、戦前からジャズマンとして活躍し、
戦後、服部良一と並んで、日本のポップス界を牽引した音楽家としてあまりにも著名な人物であるが、
この世代は、ちょうど終戦によって、米国から大量に洋楽が日本に輸入される中で、
いかにしてそれを日本的に解釈していくかに心を砕いた世代であった。
のちに、「上を向いて歩こう」は、米国において「スキヤキ(SUKIYAKI」として売り出され、
やがてビルボード1位を獲得し、現在も多くの海外アーティストがカバーする名曲として知られているが、
そこには、邦楽との出会いによって、
洋楽の可能性を大きく拡げさせた画期的作品というリスペクトが込められているのである。
もちろん、それは逆に、邦楽の可能性も大きく拡げたということにもなる。
ジャズからフォーク、ロック、R&B、ヒップホップといった具合に、
音楽の流行は刻々と変化していったけれども、
現在、「J-POP」と呼ばれる楽曲群は、そうしたあらゆる音楽ジャンルが詰め込まれていて、
その柔軟性と応用力は他の追随を許さないところがある。
国際政治学者の高坂正堯は、
他の文化との融合を通じて独自性を発揮するところに日本文化の特徴があると論じたが、
その点では、確かに「合金」文化としての日本の伝統は、
現代のポップスにおいても、はっきりと反映されていると言えるだろう。
また、そのことに気づいて、積極的に評価する外国人がいるのことも興味深い。
たとえば、米国のメタルバンド「メガデス」のメンバーとして活躍し、
現在、日本を活動拠点の場として選んでいるマーティン・フリードマンというギタリストは、
著書の中で、「J-POP」の大きな魅力として、
「ジャンル的になんでもありで、いろんな音楽スタイルを自由に追求できる」ことを挙げている。
マーティン・フリードマン
『いーじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』
日経BP社、2008年、42頁
米国では、音楽のジャンルごとに求められる楽曲のスタイルといったものが意外と厳しく、
新しいことに挑戦したくても、ファンやレコード会社から敬遠されることが多いようである。
また、一つのジャンルが流行すると、そればかりがビルボードに並んでしまうくらい、
音楽ニーズが硬直化しており、
その点で、個々のアーティストのパーソナリティを楽しむのであれば、
日本のヒットチャートを聴いている方がエキサイティングだとも指摘している。
著書では、最新の邦楽曲をいくつか取り上げつつ、
バラエティに富んだ「J-POP」の魅力を引き出すことに関心が向けられており、
楽曲制作の最前線で格闘する日本人アーティストへの敬意が表されていると同時に、
洋楽との相違点にも言及されていて、
改めて邦楽の面白さに気づかされる内容になっている。
余談だが、著者の父親は、米国・国家安全保障局(NSA)の職員だったそうで、
一時期、ドイツやハワイに在勤していた時期があったらしい。
その際、滞在期間がそれぞれ概ね三年であったと記されていることから、
NSAでのスタッフの配置転換が、大体それくらいの周期で動いていることが分かる。