黄色い液

2010-05-24 20:20:24 | Weblog

週末に、組合の新人研修会があった。
内容は、組合活動の説明とろうきん加入への斡旋。
僕は子供の運動会とかぶったので、土曜日の活動の説明には出席せず夜の親睦会からの参加となった。

砺波の旅館で催されたその親睦会であったが、いやぁ、飲んだ飲んだ。
久しぶりの大広間・上げ膳・据え膳の宴会で、めしも美味かったし、長野から来たという偉い方(北信越の長か何かのひとだったかな?僕は説明会に出席しなかったのでよく分からず、その人を「長野から来た人」と呼んでいたが。)が、はじけてて、その人との絡みが楽しくて楽しくて…記憶を無くすまで飲んでしまった。らしい。

翌朝、同期の方々(かつて、クラスメートと呼ばれていた方々)から、
「パパ、昨日は楽しそうだったねぇ」
「前でカラオケを歌ってたよぉ。上半身裸でぇ。」
「何回も、一気をしていたよぉ。」
「ずっと、笑ってたよ。」
などなど、全く記憶のない僕の様子を聞かされることとなった。
記憶をなくしてからも、僕はかーなーり、楽しかったようだ。

ただそのせいで、一晩中トイレにこもって黄色い液体を吐いてたことは覚えている。
これは、辛かった。辛かったと同時に、良い経験になった。

入院患者さんで全身の筋肉が硬直して、動けない方がいる。
この患者さんは、時々声を上げ何かを訴える。
「どこか痛いのですか?」や
「気持ち悪いのですか?」
などの問いかけに、かすかに頷くことができるのみ。
気持ち悪いことが分かれば、鼻から胃まで通した管から胃に溜まった浸出液を吸い取って差し上げる。
この液が大方、黄色い。

「ああ、あの患者さんが気持ち悪い時は、こんな気持ち悪さなのかなぁ。」
と少し共感でき、これからも胃管からの吸引で少しでも楽にして差し上げれればいいなぁと自分の黄色い液を見ながら思った。

で、朝。
以前までは、こんな状態でも一晩経てば楽になって朝食くらいは食べれた。
が、しかし今回は朝食を受け入れられず、そのあとにあるはずだったろうきんの話の時間も気分が悪くて、車の中で横になっていた。(ま、どうせろうきんの既に通帳は持ってるし、今さら聞く話でも無かったろうと思われるし)
純粋に親睦会しか参加しなかった僕を組合幹部の方々は、どう思ったのだろうか?
ま、いいか。


ろうきんの話は11時頃に終わり、皆が帰る時間になったので僕は早々に家路についた。
(ほかのみんなは、旅館のバスで来ていた。僕はマイカーで行っていた。)
気分は冴えない。
13時ごろ家についてそのまま、ベッドにダウン。
気がついたら今日の朝だったとさ。やっと、回復したというわけ。
飲みすぎて回復するまでに、二晩を要してしまったのさ。
ああ、寄る年波には勝てないというわけか。


あと、残念なのが我が労組は他の労組(電機とか日教組とか)とは交流が無いらしい。
残念、そんなんでもあれば今後、知った顔ともどっかで会う機会もあったのにな。


てな、感じの週末でした。

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