『日本書紀』景行天皇 14
時舉燭而進食、是夜、以歌之問侍者曰、
珥比麼利 菟玖波塢須擬氐 異玖用伽禰菟流
諸侍者不能答言。時有*秉燭者、續王歌之末而歌曰、
伽餓奈倍氐 用珥波虛々能用 比珥波苔塢伽塢
卽美秉燭人之聰而敦賞。則居是宮、以靫部賜大伴連之遠祖武日也。於是日本武尊曰「蝦夷凶首、咸伏其辜。唯信濃國・越國、頗未從化。」則自甲斐北、轉歷武藏・上野、西逮于碓日坂。
時日本武尊、毎有顧弟橘媛之情、故登碓日嶺而東南望之三歎曰「吾嬬者耶嬬、此云菟摩。」故因號山東諸國、曰吾嬬國也。
*『日本書紀』に出てくる*秉燭者(ひともせるもの)
英訳は、文脈や解釈によって異なりますが、以下のような候補が考えられます。
1. 道案内をする者
「guide」:最もシンプルで一般的な表現です。
「pathfinder」:未知の道を切り開くような、先駆的な道案内者を指す言葉です。
「wayfarer」:旅人、遍歴者。転じて、人々を導く者を指す言葉です。
(Gemini)
≪英訳≫
One evening, as YamatoTakeru no Mikoto was having his meal by the light of a torch, he composed a song and asked his attendants:
“Over the fields of Niibari, beyond Tsukuba, how many nights have I slept?”
None of the attendants could answer. Then, one person holding a torch continued the Emperor’s song, saying:
“As days pass, it has been nine nights and ten days.”
Impressed by the torchbearer’s wisdom, YamatoTakeru rewarded him generously. It was then, in this palace, that he granted the Yukei part to the ancestor of the Ootomo clan, Takehi.
YamatoTakeru remarked, “The malevolent among the Emishi have
acknowledged their guilt. Only Shinano and Koshi remain somewhat resistant to our rule.”
From Kai, he journeyed northward through Musashi and Kozuke, eventually reaching Usui Pass.
YamatoTakeru, always reminiscent of his consort Tachibana-hime, climbed Usui Peak and gazed southeastward, sighing thrice, “My beloved wife, Azumahaya.”
Hence, the lands east of Usui Peak are called “Azuma” (Eastern Country).
≪この英文の和訳≫
ある夜、日本武尊(やまとたけるのみこと)が灯りをつけて食事をされているとき、歌(詩)で伴(とも)の者たちに問いかけられました
ニヒバリ、ツクバヲスギテ、イクヨカネツル (新治にいばりや筑波つくばを過ぎて、幾夜寝ただろうか)
伴(とも)の者たちは誰も答えることができませんでした。その時、一人の秉燭者(ひともせるもの)が、日本武尊の歌の続きを歌いました
カガナヘテ、ヨニハココノヨ、ヒニハ卜ヲカヲ (日数を重ねて、夜は九夜、昼は十日でございます)
日本武尊はその秉燭者(ひともせるもの)の賢さに感銘を受け、厚く褒美を与えられました。この宮で、較部(ゆけいのとものお)を大伴連(おおとものむらじ)の先祖の武日(たけひ)に賜わった。
日本武尊は言われました、「蝦夷(えみし)の悪党はみな罪を認めた。ただ、信濃(しなの)と越(こし)はまだ少し王化に服していない」。
甲斐(かい)から北へ向かい、武蔵(むさし)と上野(こうずけ)を経て、最終的に碓井峠(うすいとうげ)に到着されました。
日本武尊は常に弟橘姫(おとたちばなひめ)を思い出され、碓井峰(うすいのみね)に登り、南東を望みながら三度ため息をついて、「我が妻(つま)よ、アズマハヤ」と言われました。
それで、碓井峰(うすいのみね)より東の諸国を「アズマ 東国(あずまのくに)」と言います。
令和6年2月21日(水) 2024