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ChatGPTさんの『古事記』英訳

ChatGPTの『日本書紀』英訳 神武天皇 4

『日本書紀』神武天皇 4

六月乙未朔丁巳。軍至名草邑。則誅名草戸畔者。〈戸畔。此云妬轂。〉遂越狹野而到熊神邑。且登天磐盾。仍引軍漸進。海中卒遇暴風。皇舟漂蕩。時稻飯命乃歎曰。嗟乎。吾祖則天神。母則海神。如何厄我於陸。復厄我於海乎。言訖乃拔釼入海。化爲鋤持神。三毛入野命亦恨之曰。我母及姨並是海神。何爲起波瀾。以潅溺乎。則蹈浪秀而往乎常世郷矣。天皇獨與皇子手研耳命。帥軍而進至熊野荒坂津。〈亦名丹敷浦。〉因誅丹敷戸畔者。時神吐毒氣。人物咸瘁。由是皇軍不能復振。時彼處有人。號曰熊野高倉下。忽夜夢。天照太神謂武甕雷神曰。夫葦原中國猶聞喧擾之響焉。〈聞喧擾之響焉。此云左揶霓利奈離。〉宜汝更往而征之。武甕雷神對曰。雖予不行而下予平國之釼。則國將自平矣。天照太神曰。諾。〈諾。此云宇毎那利。〉時武甕雷神登謂高倉下曰。予釼號曰韴靈。〈韴靈。此云赴屠能瀰哆磨。〉今當置汝庫裏。宜取而獻之天孫。高倉下曰唯唯而寤之。明旦依夢中教開庫視之。果有落釼。倒立於庫底板。即取以進之。于時。天皇適寐。忽然而寤之曰。予何長眠若此乎。尋而中毒士卒悉復醒起。

≪英訳≫

In June, on the day of the second year, the army reached Nakusa Village. There, they executed Nakusa Tobe, rebellious woman. Crossing Sano, they arrived at Miwa-no-mura Village and ascended Amano Iwatate(the heavenly rock shield). Leading the troops forward, they encountered a violent storm at sea. The imperial boat drifted aimlessly. In despair, Inahi-no-mikoto lamented, “Alas, my ancestors are heavenly gods, and my mother is a sea deity. Why do they afflict me on land and at sea?” Saying this, he drew his sword, entered the sea, and transformed into the deity Sabimochi. Similarly, Mikeiri-no-mikoto expressed resentment, stating, “Both my mother and aunt are sea deities. Why create waves and drown us?” He stepped on the waves and departed for Tokoyo-no-kuni.

Emperor and his son, Tagishimiminomikoto, leading the army, reached Arasakanotsu in Kumano. They executed Takishi Tobe, another rebellious woman. Poisonous gas emitted by the gods weakened the people, causing the imperial army to falter. In that region, there was a man named Takakuraji in Kumano. He dreamt at night, where Amaterasu Omikami said to Takemikazuchi-no-kami, “Ashihara-no-NakatsuKuni (The central land of reed plains) still hears disturbances. You should go and subjugate it.” Takemikazuchi-no-kami replied, “Even if I don’t go, by sending down the sword that pacified the country, the land will stabilize on its own.” Amaterasu Omikami agreed. Subsequently, Takemikazuchi-no-kami informed Takakuraji, “My sword is called Futsunomitama. Now, I will place it in your storehouse. Retrieve it and offer it to the Heavenly Descendant.” Takakuraji responded affirmatively and, upon waking, found the sword in the storehouse. He presented it to the Emperor, who, despite a deep slumber, suddenly awoke, questioning why he had slept for so long. The soldiers affected by the poison also woke up and recovered.

≪この英文の和訳≫

六月二十三日、軍は名草邑(なくさむら)に着きました。そこで名草戸畔(なくさとべ)という女賊(にょぞく)を誅された。ついに佐野を越えて、熊野の神邑(みわのむら)に至り、天磐盾(あまのいわたて)に登りました。そうして軍を率いてさらに進んでいく中、海上で猛烈な嵐に遭遇し、皇帝の船は漂流しました。その時、稲飯命(いなひのみこと 神武天皇の兄)はため息交じりに言いました。「ああ、私の先祖は天神(あまつかみ)で、母は海神(わたつみ)。なぜ私を陸と海で苦しめるのか」と。言葉を終えると、彼は剣を抜いて海に入り、神である鋤持神(さびもちのかみ)に変じました。同様に、三毛入野命(みけいりのみこと)も母と姨(おば)が海神であるにもかかわらず、「なぜ波を立てて私たちを溺れさせるのか」と恨み言を述べ、波を踏んで常世国に発たれました。

神武天皇は、皇子である手研耳命(たぎしみみのみこと)と共に軍を率いて、熊野の荒坂の津に到着しました。ここで丹敷戸畔(たきしとべ)と呼ばれる女賊を誅されました。その際、神々が毒気を吹き出し、人々を弱らせました。このため、皇帝の軍は立ち直れませんでした。しかし、熊野の高倉下(たかくらじ)という人物が夢を見ました。夢の中で天照大神(あまてらすおおみかみ)が武甕雷神(たけみかづちのかみ)に告げたのは、「葦原中国はまだ乱れていて騒がしい。お前が往って平定せよ」というものでした。武甕雷神は「私が行かなくても、私が国を平定したときの剣を差し向ければ、国は自ら安定するでしょう」と返答しました。天照大神は「それでよい」と答え、武甕雷神は高倉下に言いました。「私の剣は韴靈(ふつのみたま)と呼ばれる。それをあなたの倉の中に置くから、取って天孫に献上しなさい」と。高倉下は「承知しました」と答え、目を覚ました後、倉を開けてみると案の定、剣がそこにあり、庫の底板に逆さに刺さっていました。高倉下はそれを取り、天皇に献上しました。その瞬間、天皇は深く眠っておられたが、突然目を覚まし、「なぜこんなに長く眠っていたのだろう」と言い、毒気に冒されていた兵卒たちも皆目を覚まし、起き上がりました。

≪女賊と女族  Bing AIの解説≫

*名草戸畔という女賊は、日本書紀や和歌山市の伝承に登場する、神武東征と戦った人物です。伝承によると女性で、地元では名草姫とも呼ばれます。
名草戸畔は、名草邑(現在の和歌山市名草山周辺)の統治者で、神武東征で進軍中だったイワレヒコ(のちの神武天皇)との戦いで戦死しました。名草戸畔の死後は、代わって紀氏が紀伊を治めました。紀氏は、自らの系図で名草戸畔を遠縁に位置づけることで、正当性を主張しました。名草戸畔の遺体は、名草の住民により頭、胴、足に分断され、それぞれ宇賀部神社、杉尾神社、千種神社に埋葬されたという伝承があります。名草戸畔については、日本書紀には一文しか記述がありませんが、地元の伝承や郷土史家の研究によって、その人物像や生活について推測することができます。34
名草戸畔は、縄文時代から西暦200年ぐらいまで紀国に存在していたと思われる、謎の女王とも言えるでしょう。

*女族と女賊は、似ているようで違う言葉です。女族は、古代日本において、女性が主導権を握っていたとされる部族や地域のことです。女族は、男性よりも女性が優位に立っていたという意味で、必ずしも戦闘的ではありませんでした。

*名草戸畔は、日本書紀においては女賊と呼ばれていますが、実際には女族の一員だった可能性があります。 名草戸畔は、自分の土地を守るために神武東征と戦ったので、盗賊というよりは戦士と言えるでしょう。

令和5年12月15日(金) 2023

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