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ChatGPTさんの『古事記』英訳

ChatGPTの『日本書紀』英訳 垂仁天皇 9

『日本書紀』垂仁天皇 9

廿五年春二月丁巳朔甲子、詔阿倍臣遠祖武渟川別・和珥臣遠祖彥國葺・中臣連遠祖大鹿嶋・物部連遠祖十千根・大伴連遠祖武日、五大夫曰「我先皇御間城入彥五十瓊殖天皇、惟叡作聖、欽明聰達、深執謙損、志懷沖退、綢繆機衡、禮祭神祇、剋己勤躬、日愼一日。是以、人民富足、天下太平也。今當朕世、祭祀神祇、豈得有怠乎。」

三月丁亥朔丙申、離天照大神於豐耜入姬命、託于倭姬命。爰倭姬命、求鎭坐大神之處而詣菟田筱幡筱、此云佐佐、更還之入近江國、東廻美濃、到伊勢國。時、天照大神誨倭姬命曰「是神風伊勢國、則常世之浪重浪歸國也、傍國可怜國也。欲居是國。

≪英訳≫

In the 25th year of His Majesty’s reign, in spring, on the second month, on the new moon day of the Tsuchinoto-Mi (the 8th day), an imperial edict was issued to the ancestors of five high officials: Abe no Omi’s ancestor, Takenunakawawake; Wani no Omi’s ancestor, Hikokunibuku; Nakatomi no Muraji’s ancestor, Ookashima; Mononobe no Muraji’s ancestor, Toochine; and Ootomo no Muraji’s ancestor, Takehi. The edict said: ‘Our previous Emperor, Emperor Sujin, was wise and holy, insightful and clear-sighted, cautious in governance, revered the gods, and was careful in his conduct. Thus, the people prospered and the realm was at peace. In our reign too, we should diligently worship the gods.’

On the 10th day of the third month,  Amaterasu Omikami was separated from Tomosukiirihime no Mikoto to Yamatohime no Mikoto. Yamatohime no Mikoto then sought a permanent location to enshrine the great deity. She went to Sasahata in Uda, then back to Omi Province, toured Mino, and finally arrived in Ise Province. At that time, Amaterasu Omikami instructed Yamatohime no Mikoto, saying, ‘Ise Province is a beautiful country where the waves always come in, a country that is not the center of the world. I wish to stay in this country." 

≪この英文の和訳≫

垂仁(すいにん)天皇の治世の二十五年目の春、二月の春二月八日(丁巳朔)の八日(甲子))の日に、阿倍臣(あべのおみ)の祖先である武渟川別(たけぬなかわわけ)、和珥臣(わにのおみ)の祖先である彦國葺(ひこくにぶく)、中臣連(なかとみのむらじ)の祖先である大鹿島(おおかしま)、物部連(もののべのむらじ)の祖先である十千根(とおちね)、大伴連(おおとものむらじ)の祖先である武日(たけひ)など、五大夫(ごだいふ)に対して詔(みことのり)が下されました。その詔には「我が先帝、崇神天皇(すじんてんのう)は賢く、聖なる方であり、聡明(そうめい)で豁達(かったつ)、政治をよくなさり、神々を敬い、身を慎んでおられました。その結果、人々は豊かになり、国は平和になりました。我が代においても、神々をお祀りすることを怠ってはならない」と言っておられます。

三月十日(丁亥朔丙申)に、天照大神(あまてらすおおみかみ)を豊耜入姫命(とよすきいりひめのみこと)から離し、倭姫命(やまとひめのみこと)に託されました。倭姫命は、大神を鎮座(ちんざ)申し上げる場所を求めて、菟田筱幡筱(うだのささはた)へ行かれ、その後、近江国(おうみのくに)へと戻り、美濃(みの)を巡り、伊勢国(いせのくに)に到着されました。その際、天照大神は倭姫命に、「伊勢国は常に波が寄せる、傍国(かたくに 中心ではない国)の美しい国です。この国に居たい」と仰せになりました。

令和6年1月28日(日) 2024

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